漸近龍吟録

反便利、反インターネット的

忘れられた宮城県沖地震の教訓

 今朝、大阪で大きな地震があった。
 
 小学生のとき、学校の防災の授業で「地震のときはブロック塀から離れなさい」とやたらと言われた記憶がある。防災読本みたいなものにもイラスト入りで書いてあったような気がする。
 
 その後の人生でいくつかの大きな地震があったが、ブロック塀の被害が言われたことはあまりなく、なぜ小学校の時あんなに「ブロック塀」ピンポイントで注意を促されていたのか不思議だった。
 
 調べてみたら宮城県沖地震という地震があって、その地震ではブロック塀の下敷きになって犠牲になった人が多かった。当時の大人(教員)たちにはその記憶が鮮明にあったので、それで「ブロック塀」ということを強調して言っていたのだろう。
 
 大地震から得られる教訓は毎回違ったりする。
 
 阪神淡路大震災だったら「先ずは火の確認を」、東日本大震災だったら「海岸や川から離れろ」、「先ず原発は大丈夫か?」、熊本地震だったら「瓦屋根や土砂に気をつけよう」など。
 
 いつの時代も大人たちは直近の大地震の教訓を生徒たちに伝えているのではないか。
 
 だから、今の子どもたち(というか、もうだいぶ前の子どもたちから)は、「地震の時はブロック塀から離れろ」なんて教わっていないのではないか。
 
 この「注意」というものは厄介で、「ブロック塀や屋根や看板に注意しろ」と言われて上を注意しながら歩いていたら、道路の陥没に嵌まったり。「じゃあ、地震の時はいずれにせよ、外に出るのは危険だということですね」と思ったら、家屋の倒潰に遭ってしまったり。右を気をつけていたら左からやられ、上を気をつけていたら下から襲われる。
 
 注意というものは「これさえ気をつけていれば大丈夫」というものでもなく「先ずはこれに注意」というようなものでもない。全方位的に注意をしなければならない。
 
 直近の地震と同じパターンで来てくれたら前回の地震の教訓は役に立つが、地震はそういうパターンでは来てくれない。
 
 過去にまったく前例のない地域やパターンの大地震というのも起こる。かと言って、過去の地震がまったく参考にならないか、というとそうも言えない。
 
 小学校時代に「地震の時はブロック塀から離れろ」とせっかく教わっていた世代である私のような大人が、今の子どもたちにこの教訓をきちんと引き継いでいなかったのは過ちである。
 
 そして、宮城県沖地震の時にさんざん「ブロック塀」と言われたにもかかわらず、あれから何十年か経って、ブロック塀の強度や安全性に関する注意が疎かになっていたのも、また大きな過ちである。