漸近龍吟録

反便利、反インターネット的

マイナンバー制度と申請主義

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 山口道宏編著『「申請主義」の壁!』を読む。この本には日本の申請主義の問題点が豊富な事例によって紹介されている。申請主義にどんな問題点があるかは、この本ではいやというほど挙げられている。

「申請主義」の壁!―年金・介護・生活保護をめぐって

「申請主義」の壁!―年金・介護・生活保護をめぐって

 
 
 申請主義は職権主義に対するものとして登場したと聞いたことがある。職権主義はイメージが悪い。職権を持つ者がその職権を濫用する印象がある。そのような濫用は許さず、民主的な(民が主役の)仕組みにしていかなければならない。そういう思想から「申請主義」は生まれた。
 
 だが、その後、申請主義は行政側、あるいは企業側に都合よく使われてきた。
 
 離婚した、子どもが生まれた、家族の人数が変わった、別居になったので世帯主が変わった、年老いた親を同居させて扶養することになった、テレビは見ていません、ウチにはテレビがありません、昨年まで働いていましたが体調を崩し、今年からは働いておらず収入はありません…。
 
 そうした生活状況の変化に対し、行政側は一様に「そんなことは知りません」、「あなたの家の中のことなんて、そっちから教えてもらわないかぎり私どもは知りようがありません」と言ってきた。
 
 「あなたの家の家庭内事情なんて、こっちは知りようがない」と言う一方で、行政・企業側は「徴収」に関するときはめちゃくちゃ詳しく調べて把握してくる。
 
 「あなた、最近、家族構成変わりましたよね」、「扶養義務のある家族が一人減りましたよね」、「あなた先月からバイト始めて一定の収入がありますよね」、「ベランダにテレビの受信機がありますよね」、etc…。
 
 税金や受信料など「徴収」のときは、あなたが言わなくても「知ってるぞ」と言い、社会保障などサービスを施す側のときは、あなたの方から言ってくれなければ「知りようがない」と言う。
 
 これが、あまりにも都合が良すぎる申請主義の実態だ。
 
 マイナンバー制度が国民に不評なのは、結局のところ税の徴収のことしか考えていないのが見え見えだからだ。国にとっては大きなメリットだろうが、国民にとってはメリットがなさすぎる。
 
 マイナンバー制度が浸透する社会とは「知りませんでした」が通用しなくなる社会だ。
 
 「あなた、隠れ収入があるでしょ」、「あなた、別の銀行に預貯金があるでしょ」、「あなたの財産はすべてお見通しですよ」と言う。見通せるということは知っているということだ。
 
 マイナンバーを通してすべて「お見通し」てしまうということは、知りたくなても困窮具合も知ってしまうということだ。そして人の困窮を知りながら助けないのは目の前の川で人が溺れているのに助けないようなものだ。
 
 「たしかに私はその時間、そこの川岸を歩いていましたが、人が溺れているのには気づきませんでした」。
 
 今まではそういって知らん顔して“面倒なこと”に関わらないでこられたかもしれないが、もう、溺れていることは知っているのである。マイナンバーを使えばすぐにわかることなのである。たとえ川岸から遠く離れた所にいたとしてもマイナンバーを通して“知っている”のである。
 
 マイナンバー制度の実施・普及を機に、申請主義を見直すべきだ。「国民・市民の方から申し出てくれなければ、こちらとしては知りようがない」はもう“嘘”だからだ。
 
 マイナンバーという“筒”を通して国民を把握できるようになる、ということは、知ってしまった以上は国民を助ける義務も出てくる、ということだ。
 
 マイナンバー制度の普及は、申請主義の見直しとセットでなければならない。