漸近龍吟録

反便利、反インターネット的

煙草と頭の固い現実主義者たち

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 昭和時代の愛煙家と嫌煙家の会話。
 
嫌「煙草きらい。煙たい」
 
愛「そんなこと言ってもしょうがない」
 
嫌「煙草の煙が充満している所もつらい。特にレストランとか食事する場所。食事がおいしくなくなる」
 
愛「僕もたしかに自分が吸ってない時は他人の煙草の煙は気になる」
 
嫌「喫茶店とか定食屋とかレストランとか、せめて食事処だけでも禁煙にしてほしい」
 
愛「それは無理。考えてごらん。一店だけ禁煙にしたら、客を他の店に奪われちゃうでしょ? そんなことしたら商売あがったりでしょ?」
 
嫌「じゃあ、すべての店が禁煙にすればいい」
 
愛「それは無理だよ。今、世の中の男性の九割が煙草吸ってるんだよ? 女性専門の店とか、男性客に来てもらいたくない店とかならともかく、すべての店が禁煙にしてしまったら、男性たちが外に溢れ返るよ」
 
嫌「でも、どこ行っても煙たいのが本当につらいの! 喉も痛いし」
 
愛「んー、それはかわいそうだと思うけど、まあ、我慢するしかないよね。若しくは君も煙草を吸い始めてみれば? 自分が吸い出したら周りの煙は多少、気にならなくなるかもよ?」
 
嫌「私は煙草は吸いたくない。毎日のこの煙たさが耐えられない」
 
愛「だけどそれを文句を言ってもしょうがないんだよ。僕はなるべく君の前では吸わないようにするけれども、でも、世の中は喫煙者ばかり。食事処も駅も会社も公園も道路も、どこ行っても煙草の煙からは逃れなれないよ。どうしても嫌なら煙草が無い海外の国に移住するとか…。あまり現実的ではないけど」
 
嫌「本当に耐え難いんだけど」
 
愛「まあ、慣れもあるよ。毎日、モクモクに囲まれていたらだんだん平気になってくるよ。僕もそうだったから」
 
嫌「なんでこの世から煙草は無くならないんだろう」
 
愛「それは難しいよね。人間っていう生き物はだんだん欲望の方に流れていくんだよ。世の中、きれいごとじゃないんだよ」
 
嫌「あきらめろってこと?」
 
愛「うん。あるいは、煙草を吸ってる人の風上に立つなり座るなりしてみたら? なるべく煙が自分のところに流れてこないように。もうここまで広まってしまった煙草社会はどうしようもないけど、その中でも自分なりに工夫できることってあるでしょ? マスクをするとか」
 
嫌「マスクぐらいじゃ煙は防げない。煙草のせいで、ほんとうに喉が痛いし、頭も痛くなってくるし、肺癌になりそうだし、健康を害してると思うんだけど…」
 
愛「そうやって何でも世の中のせい、他人のせいにするんじゃなくて、先ずは自分にできることからやってみようよ。最近は高性能のマスクも売ってるらしいよ? 世の中に対して文句を言ってても始まらないから、自分に何ができるかを考えてごらん」
 
 
 昭和時代にこんな会話を交わしていた嫌煙家と愛煙家の二人。もし、二十一世紀の現代の日本社会に一足飛びに連れて来られたら、どう思うだろう。
 
 「こんなに煙草を見かけないとは」と驚くに違いない。職場も禁煙。電車のホームにも煙草を吸ってる人がいない。公共の場所ではほとんど見かけない。飲食店でも皆無に近い。街なかで歩きながら吸ってる人もいない。昭和時代とは比べ物にならない。これが本当に日本なのか。
 
 でも実際に日本社会は煙草に関しては劇的な変化を遂げた。昭和時代の煙草社会のピーク時を「100」とすると、現代は「1」ぐらいだろう。実際には徐々に変化していったので、なんとなく皆「こんなものか」と騙されてきたかもしれないが、昭和のピーク時と比較したら現代は「別世界」と言っていいほどである。昭和時代には電車のホームどころか、電車の車輌内でも煙草を吸っていたという事実を、その当時生きていたはずの老人たちですら忘れてしまっている。
 
 
 最近、キャッシュレス化した中国の店で現金払いができないことにおじさんが怒っているというニュースがあった。そのニュースを見た日本人が「こういうクレーマーの言うことにいちいち耳を傾けていたら世の中は変わっていかないんだよね」と言っていた。
 
 世の中が変わっていかないのは、現金払いなど旧い方法にこだわるおじさんがいるからではない。真にイノベーションを阻害しているのは、現金払いを「時代遅れ」と決めつけ、キャッシュレス化を「時代の流れだから文句を言ってもしょうがない」と言い、理想を語る者に対して「そんなのはきれいごとだ」「そんなことできっこない」「もっと現実を見ましょう」と言う頭の固い現実主義者たちである。
 
 昭和時代にも「この世から煙草がなくなりっこない」と言っていた頭の固い現実主義者たちがいただろう。しかし、なくなった。完全にゼロになったわけではないが、昭和時代を100分の1ぐらいしか日常で煙草を見かけることはなくなった。昭和時代にあんなにも「常識」だった煙草が、今はまったく常識ではなくなってしまった。
 
 「そんなの常識」、「現実問題として」が口癖の現実主義者たちは、この煙草の事例をよくよく考えるべきである。
 
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