漸近龍吟録

反便利、反インターネット的

年末調整批判

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 今年もまた年末調整の時期がやってくる。
 
 毎年、11月頃の恒例年中行事のようになっているが、謎の行事である。
 
 この時期になると毎年、年末調整を担当している事務の人の苦労、そして「書き方が分からない」、「めんどくさい」といった会社員の声が溢れる。最近もこんなのを見た。

🧑‍🎤「年末調整をする前に 言っておきたい事がある かなり厳しい話もするが事務員の本音を聴いておけ」 - Togetter

 
 年末調整では「扶養控除等申告書」というのがあって、養っている家族がいる場合はその用紙に書けば所得税がいくらか控除される。
 
 年末調整の用紙にはマイナンバーを記入しなくてはいけない。自分の分だけではなく扶養控除等申告書を出す場合は家族の分のマイナンバーもだ。だが、毎年記入しなければいけないわけではない。「そう言えば去年マイナンバー書かなかったなぁ」という人も多いのではないだろうか。一度会社に伝えて、会社がきちんと管理しているならば、マイナンバーの部分は会社が記入するので毎年いちいち記入する必要はない。つまり、会社にマイナンバーを伝えるのは初回だけなのである。
 
 年末調整は、会社が従業員に代わって国に所得税を納めるための準備作業である。
 
 だが。なぜ毎年、扶養控除等申告書を書かなければいけないのか。マイナンバーを届けているのだから国が調べれば分かるはずである。「国はあなたの家族のことまでは分かりません!」と言う人がいるかもしれないが、家族のマイナンバーも届けているのである。分かるはずである。
 
 生命保険の控除なども国がマイナンバーを通して保険会社に訊けば分かることである。わざわざ会社員に申告させることではない。こういうことを言うと、「保険会社にマイナンバーを届け出ていない人もたくさんいます!」などと言う人がいる。私はマイナンバーを届け出ている人の話をしているのである。届け出ていない人についての話はしていない。届け出ている人の分に関してはきちんとマイナンバーを使って国が調べるべきなのである。
 
 プライバシーの侵害とか、「それはマイナンバーの利用目的から逸脱しているのでは?」と思う人もいるかもしれないが、“税”に関することはマイナンバーの最も主たる目的なのである。こういうところでマイナンバーを使わないのだったら何のためのマイナンバーか。
 
 以前、私が確定申告批判給付金申請批判を書いた時にも、「そうじゃない人はどうするのか」、「マイナンバーを正直に届け出ている人は少ないからそういう施策はできない」と言う人がいた。
 
 あなたたちは、1億人が1人残らずマイナンバーを提出するまで何の施策もしないつもりなのか?そんな馬鹿げた話はない。1億人中、10人でも100人でも素直にマイナンバーを届け出た人がいるのなら、国はその10人のために動かなければいけない。なぜなら国がマイナンバーの提出をお願いしたのだから。
 
 国税庁は国民にマイナンバーの提出をお願いしておきながら、銀行や保険会社に素直にマイナンバーを届け出た人たちに対して、何もしていない。素直にマイナンバーを届け出た人たちは今のところ何の利点も恩恵も得ていない。
 
 マイナンバーから辿れば分かることを国民に、ましてや所得や預貯金額や個人情報を国に把握されることに同意しマイナンバーを提出している国民に、訊くべきではない。
 
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「タッチ決済」呼称への違和感 ~接触するのかしないのか~

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 ここ一、二年で「タッチ決済」という言葉を目にする機会が急に増えた。
 
 「タッチ決済」とは何か。
 
 QRコード決済のような読み取り式ではなく、カードやスマホを読み取り機にタッチして決済する方法全般のことを言う。NFCという技術が使われている決済方法なので、まれに「NFC決済」と書かれているのも見る。
 
 中でも特にクレジットカード会社のクレジットカード、デビットカードプリペイドカードなどをタッチして支払う形式のことをタッチ決済と言う。Suica楽天Edyなどは以前からタッチして使うものだが、クレジットカードは従来は「タッチして使う」ものではなかったため、「VISAやMastercardはタッチして使えるんですよ」ということを広く知らせるために普及し始めた言葉だと思う。
 
 だが。私はこの「タッチ決済」という言葉に違和感がある。
 
 この決済方式は「非接触決済」と書かれることもある。私は最初、混乱していた。「touch(タッチ)」という単語を英和辞典で引くと「接触」という意味だとある。「タッチ」と「非接触」は真逆なので、まさか同じことを指しているとは思わなかった。
 
 この非接触決済は、マスターカードは「MasterCard PayPass」、VISAは「VISA Paywave」、JCBは「J/Speedy」という名前でそれぞれ始めていた。が、途中からマスターカードは「Mastercard Contactless」、VISAは「VISA Contactless」、JCBは「JCB Contactless」という名称に変えた。主だったクレジットカード会社がすべて「○○コンタクトレス」という名前に変えた。なので、日本のメディアは、それを直訳して「非接触決済」と言うようになった。
 
 では「タッチ決済」と言い始めたのは誰なのか。誰が一番最初かは分からないが、一番広めようとしているのはVISAではないかと思う。各社のウェブサイトを見るとVISAが一番「タッチ決済」という表現を多用しているからだ。
 
 VISAは英語圏では「Contactless(コンタクトレス)」という言葉を使っているが、日本では「タッチ決済」と言っている。なぜか。
 
 「日本では、コンタクトレンズと似ていて紛らわしいからではないか」と言っている人がいた。それもあるかもしれないが、単に「コンタクトレス」という言葉が長いからではないか。例えば日本人がレジで「(支払いは)マスターカードコンタクトレスで!」とすらすらと言えるとは思えない。
 
 「非接触決済」も堅いし難しすぎる。それで「タッチ決済」という言葉を流行らせようとしているのではないか。
 
 だが、VISAは英語のウェブサイトでは、読み取り機にカードを近づける行為のことを「touch」ではなく「tap」と言っているのである。つまり英語圏では「タッチ」という言葉は出てこない。日本では「タッチ」または「非接触」。
 
 読み取り機に接触しているのかいないのか。
 
 英語の「コンタクトレス」には、従来の磁気カードのように機械の中に差し込んだりスライドさせたりする必要がない→接触させない、という意味合いがあるのだろう。日本は磁気カードのスライドをそこまで経験していない、それでいてSuicaのような電子マネーが普及していた日本では、その行為は接触させているように感じる。
 
 例えば、駅の自動改札でSuicaは読み取り部分に接触させなくてもよい。上空5cmくらいでもちゃんと読み取られるらしい。だが、上空5cmで止めることの方が難しい。大体の人は読み取り部分にSuica接触させている、人によっては叩きつけているだろう。この上空5cmを接触していると見るか、接触していないと見るか。
 
 しかし、クレジットカード会社が世界的に「コンタクトレス」という名称を使っていて、日本のメディアもそれを直訳して「非接触」と伝えている時に、「タッチ決済」と言うのはよくない。仮にメディアで今後「非接触」という言葉の使用頻度を少なくしていくとしても、「コンタクトレス」は大手クレジットカード会社の正式サービス名なので至る処で目にする。そして、いくら日本人が英語が苦手だと言っても、「コンタクトレス」は「コンタクト(接触)」が「レス(ない)」なのだな、ということは分かる。それぐらい分かってしまうから、それが「タッチ決済」と言われると混乱するのだ。
 
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マイナンバーは「絶対に他人に知られてはいけない番号」ではない

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 国民のマイナンバーに対する誤解はたくさんあるが、今日はその中でもよくある、マイナンバーが「絶対に他人に知られてはいけない番号」と言われていることについて書こうと思う。

 

 12桁のマイナンバー(個人番号)を「絶対に他人に知られてはいけない番号」と言っている、思っている人は多い。「そんな番号がなんでカードの券面に書かれているのか」と。 

 たしかに過去に政府の人間がそのように口走ったことがあった。それで、国民の間でもそのような認識が独り歩きしてしまっている。だが、マイナンバーは「絶対に他人に知られてはいけない番号」ではない。 

 マイナンバーは他国の個人番号制度を参考にして作られており、他国の類似制度の反省から、番号を知られても大丈夫なように設計された。 

 米国のSSN*1や韓国の住民登録番号という個人番号は、ちょうど日本の運転免許証の番号のように、番号そのものに意味を持たせた。なので、見る人が見たら、その番号の人のある程度の地域や年齢やらが判ってしまう仕組みになっている。また他の国の個人番号制度では、個人番号をあらゆる分野に統一の番号にしてしまった。そのことによって個人番号さえ判れば芋蔓式にその個人の情報を辿れるようになった。

 そうした反省から、マイナンバーは番号そのものに意味を持たせず、また他の分野の番号、例えば年金番号や保険証の番号*2とは統合しなかった。このような仕組みにすることで、マイナンバーは「他人に知られてしまったとしても、ただちに害はない番号」になっている。

 マイナンバーは「むやみに他人に見せるのは望ましくない」番号であって、「絶対に他人に知られてはいけない」番号ではない。 

 「見せても大丈夫な番号なら、何故むやみに他人に見せるなと言うのか」と言う人がいるかもしれない。それは余計な好奇心を煽ってしまうからである。

 

 例えて言うなら下着のようなものである。 

 ズボンのファスナーが開いてて下着が見えていたら恥ずかしい。しかし、下着は「絶対に他人に見られてはいけない」などということはない。見られてしまったとしても別に害はない。だからと言って、むやみに他人に見せるのも望ましくない。
 マイナンバーは「名寄せ」と言って、番号が個人情報を集めることを捗らせる可能性があることがセキュリティの専門家らによって指摘されている。だから「絶対に安全」ということはない。しかしマイナンバーだけからさまざまな個人情報を手繰り寄せるのは極めて難しい。

 これも、僅かに見えた下着からブランド名を推測し、そのブランドの下着はあの店にしか売ってないはずだから、などと言って、その人の住んでる地域をある程度推測できるかもしれない。だが、そんなことは極めて難しいことである。

 

 「見せてはいけない」と「見られてはいけない」は違う。前者は使役であり、後者は受身である。 

 マイナンバーは「見られてはいけない」ということはないし見られても大丈夫だが、むやみに見せるのは望ましくない、下着のようなもの、と覚えておけばいい。

 

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*1:米国のSSNは今は地域は判らないようになっている。

*2:保険証をマイナンバーカードに統合するという話が出ているが、これはマイナンバーカードの話であってマイナンバーの話ではない。

事後の変化、事前の変化

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 NewspicksでJRの社長がダイナミック運賃導入に言及する中で「もうコロナ前には戻らない」と言ってるのを見て、大企業のトップがなんとつまらないことを言うのかと思った。「戻らない」ではなく、「戻すか戻さないか」が問われているのに。
 
 それに対して「ダイナミック運賃賛成!オーストラリアなんかでは以前から導入されていますよね!」と言ってるコメントがまた多数の賛同を集めていた。Newspicksは新し物好きな人たちが集まっているので、こういうコメントが多数の賛同を集めるのは特段珍しいことではない。
 
 COVID19の大流行以来、「新しい生活様式」、「ニューノーマル」、「新常態」といった言葉を見聞きするようになった。これを機に私たちも変化しましょう、というわけである。
 
 だが私はこうした風潮に違和感を感じている。
 
 私は「変化」には二つの変化があると思っている。「事前の変化」と「事後の変化」である。
 
 事前の変化は、事が起こる前に変化する。先に理想像というものがあって、そこに向かって変化していく。
 
 事後の変化は、事が起こった後に変化する。何か事が起こって、それにどう対処したらよいかというところから考え始めて変化するので、この変化は大きくは「対応策」の一環である。
 
 ダイナミック運賃の話で言えば、私はオーストラリアが本当にそのような制度を導入しているのかどうかまでは知らないが仮にそうだとして、オーストラリアはコロナ前に導入しているのである。日本はコロナ後に導入しようかと言っている。これは同じ「変化」でも大きな違いだと思う。ダイナミック運賃が制度として素晴らしいものか否かという話は今は置いておく。
 
 もしダイナミック運賃という制度が素晴らしいものだと言うなら、それはコロナとは関係なく導入すべきものだろう。オーストラリアはコロナ前に、つまりコロナとは関係なく導入している。日本は「コロナを機に」導入しようと言っているところが駄目なところだ。
 
 「素晴らしいものなら遅れてでも導入するのは良いことじゃないですか」と言う人がいるだろうが、こういう「事後の変化」はただの対応策、弥縫策でしかない。
 
 対応策であることには二つの問題点があって、一つは対応できてしまうことによる「問題のぼやけ」がある。つまりコロナ禍に上手に対応することにより、コロナの問題自体は見えにくくなってしまう。
 
 もう一つは、こうした「事後の変化」が、「狭間に苦しむ人」を救いにくい、という問題がある。
 
 例えば大学の新入生。「今年の新入生はせっかく大学に入学したのに大学のキャンパス、校舎、施設も使えず、友達も作れなくてかわいそうだね」という声を屢々聞く。こういうのは「かわいそう」で済ませてよい問題ではない。これも事後の変化が齎す問題の一つだ。
 
 「日本ではどうしてイノベーションが生まれないのか?」という古くから言われている問題があるが、その答えの一端は、こうした事前と事後の違いにある。事後の変化であっても、時に“偶然に”イノベーションとも呼べるような大変化が生まれるかもしれないが、それは所詮、理念なき変化である。
 
 戦時中を聯想する。「たしかに今までは華美な服装をしてよかったかもしれないけど、今はこういう時代なんだから、贅沢は慎んでみんなで協力してやっていかなきゃしょうがないでしょう。大仏を溶かして銅を供出するのだって、こういうご時世なんだから、しょうがないでしょう。これが今の時代の新しい生活様式なんです」。
 
 「贅沢は敵。慎ましいことは美徳じゃないですか」と言うなら、なぜ戦争前からその慎ましい暮らし方ができていないのか。「戦争に勝つため」と言うが、なぜ戦争が始まる前から戦争に勝つ準備ができていないのか。
 
 誰も戦争に勝ちたくなどないのだ。ただただ、「戦争の世の中になってしまった」から、それへの対応策を取っているだけなのだ。それらの「対応」がどれだけ戦争を長引かせ、どれだけ多くの人々を苦しめたかはご存知の通り。
 
 「新しい生活様式」、「ニューノーマル」はまるで「私は今まで何も考えずに生きてきました」と言ってるようなものだ。私たちには事後の変化ではなく事前の変化こそ必要なのだ。日本で今言われている「変化」は事後の変化。事後の変化というのはただの「対応」でしかない。
 
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2020年東京都知事選挙の区別結果から見る東京23区の地域傾向

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 2020年7月5日、東京都知事選挙が行われた。都民の一人として私も投票に行った。
 
 その結果は次の通り。
 
1位 小池百合子 59.7%
2位 宇都宮健児 13. 76%
3位 山本太郎 10.72%
4位 小野泰輔 9.99%
(数字は得票率)
 
 小池氏の圧勝であった。小池氏は東京のすべての区、市で1位の得票率であった。また、多くの区、市で宇都宮氏が2位であり、3位は山本氏と小野氏がほぼ同数であった。
 
 全体的な傾向は以上のようでありながらも、区ごとの結果を細かく見てみると、東京という街の特徴が見えてくる。
 
 次の図は、小池氏の得票率が高かった上位7区と宇都宮氏の得票率が高かった上位7区を色塗りしてみたもの。緑が小池氏で黄色が宇都宮氏である。かなりはっきり東西に分かれている。
 
緑=小池
黄=宇都宮
 この分かれ方は何を意味するか。地方の人にはあまりピンと来ないかもしれないが、これは大雑把に言うと「学のある地域」と「学のない地域」である。黄色の地域は大学などが多い「学のある」地域で、緑色の地域はそれに比して大学なども少ない相対的に「学のない」地域になる。
 
 今回は23区にだけ色を付けたが、この傾向は市部でも同じで、例えば一橋大学を中心とした大学街として有名な国立市は他の市と比べて小池氏の得票率が低く、宇都宮氏の得票率の高さが目立つ。
 
 
 次に「3位」に注目してみる。ほとんどの区で1位は小池氏、2位は宇都宮氏だったが3位は山本氏と小野氏が接戦だった。
 
 次の図は3位がどちらだったかを色分けしたものである。薄い赤が山本氏、薄い青が小野氏が3位を取った区である。濃い青は小野氏が宇都宮氏を斥けて2位だった「もっと小野」の区である。見て分かるように、こちらは先ほどと違って南北に分かれている。
 
赤=山本
青=小野
濃い青=もっと小野
 
 この違いは何を意味するか。これは、簡単に言うと「金持ち地域」と「貧困地域」の違いである。
 
 政治志向的に、小池氏と小野氏は「強者のための政治」である。日本や東京を強くしましょう、という思想である。対して、宇都宮氏や山本氏は「弱者のための政治」を志している。
 
 金持ちエリアに住んでいる人たちは、すでに自分が強者なので、「弱者のための政治」よりも「強者のための政治」に投票するというわけである。ほとんど金持ちしか住んでいないと思われる、千代田、中央、港の都心3区での小野氏の支持率の高さ(宇都宮氏の支持率の低さ)が目立つ。
 
 このように、東京23区にはうっすらと「エリア」がある。「学」については東西に、「金」については南北に。
 
 私は以前から東京には「学」や「金」についてエリアが存在すると考えているが、今回、選挙結果を分析してみることで少しその傾向が見えたような気がする。
 
 もっとも、エリアがあると言っても“うっすら”である。23のすべての区において、小池氏が圧倒的得票率1位であったことは注意されたい。
 
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マイキーIDとは何か

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 マイキーID。今はまだほとんどの国民に知られていないこのIDも、そう遠くない将来にほとんどの日本国民に知られるようになる。マイキーIDは、これからの社会生活の根本になってくるものだからである。
 
 「マイナンバー制度」という言葉のイメージはこんな感じ。私は「マイナンバー制度」という言葉は大きくは「マイナンバー」と「マイキー」の二本立てで成り立っていると理解している。
 
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 だが世間ではマイナンバーの方はよく知られているものの、マイキーの方はほとんど知られていない。なのでマイキーの考察に入る前に、いつものようにQ&A方式でマイキーIDの基本的な説明を先に書こうと思う。
 
Q1. 「マイキーID」って何?
A1. 日本国民のためのデジタルID。
 
Q2. マイキーIDは誰でも持ってるの?
A2. 初めから全国民に割り振られているマイナンバーと違い、申請した人しか持っていない。
 
Q3. マイキーIDを持つことは義務なの?
A3. 義務ではない、自由。
 
Q4. マイキーIDは誰でも作れるの?
A4. マイナンバーカードを持ってる人しか作れない。
 
Q5. マイキーIDは好きな文字列にできるの?
A5. 初期設定ではランダムな文字列になるが好きな文字列に変更することは可能。(ただし既に使われているものは駄目。)
 
Q6. マイキーIDはどんなことに使えるの?
A6. 今のところマイナポイントを貯めることくらいしか使い途はない。
 
Q7. マイキーIDを持ってたらどんなメリットがあるの?
A7. 今のところは大したメリットはない。
 
Q8. マイキーIDを持つことによるデメリットは?
A8. デメリットも今のところ特にない。
 
 
 さて、ここからが本題。マイキーIDの考察。マイキーIDは、これから広く国民的なデジタルIDになっていくIDである。今のところはマイナポイントくらいにしか使えないが、その先はありとあらゆるIDとして使うことができる。
 
 「国民一人ひとりが持つデジタルID」と聞いて、多くの人が抱く疑問は「それってマイナンバーじゃないの?」ということだろう。たしかにマイナンバーも国民一人ひとりが持っている個人に固有の番号であり、主にデジタルで扱うので、そういう意味ではこの二つは似ている。
 
 では、何故何のためにマイナンバーの他にマイキーIDという固有のIDがあるのか?
 
 それはマイナンバーとマイキーIDは主な使い手と使い途が異なるからである。
 
 マイナンバーは主にバックヤードで使われる番号である。バックヤードとは私たち国民があまり目にすることのないところのことであり、より具体的には行政機関間等の情報連携に使われる。(今はまだ全然使われていないのだが...。)
 
 一方、マイキーIDの「使い主」は私たち国民である。マイナンバーを使うのは主に国や地方自治体やそれに準じる組織などだが、マイキーIDは国民自身が使う。Googleを使う時にGoogleアカウントを使う感覚に似ている。マイキーIDは目に見える表(おもて)のところで使われる。国民が自分で必要な時に使うイメージである。(こちらも今はまだ全然使われていないが...。)
 
 マイキーIDが表でマイナンバーが裏である。
 
 Appleを利用している人はApple IDでログインするだろう。それと同じでマイキーIDは私たち国民がデジタルの世界にログインし、かつ個人を認識するための文字列(ID)である。マイナンバーでログインするわけではない。
 
 また余談だが、マイナポイントは「マイナンバーに貯まるポイント」ではない。名前からしてそう思ってしまいそうだが、マイナンバーは関係ない。マイナポイントはマイキーに貯まる。このマイナポイントの例でわかるように、マイキーIDは、より身近な、私たち国民の暮らしに近いところで、かつ目に見えやすいところで使われる。
 
 マイキーIDはマイナンバーとは紐付いていない。独立しているからこそ、マイナンバーよりもっと自由に気軽に使うことができる。マイキーIDはこれから広く国民的なデジタルIDとなっていくべきものである。だがそのためには、今よりずっと広い用途で使えるようになることが欠かせない。
 
 マイキーの推進にあたって政府は立ち竦んでしまっている。マイキーもマイナンバーと同様、今のところまったく活用されていないに等しい。使い方やマイナンバーとの棲み分けをどうすればいいか、といったようなことに迷っているのではないか。
 
 マイナンバー制度に批判的な人々は「なんとなくプライバシーが心配」「今の政府が信用できない」と言う。しかし、「なんとなく」ではなく、仕組みをきちんと理解して批判しなければいけない。マイナンバーもマイキーも、すでに出来上がったり普及したりしてから批判をしても遅い。政府が信用できないなら尚のこと、先手先手で批判していかなければならない。
 
 今ならまだ間に合う。日本のデジタルIDをどうするか、は日本国民自身が考えていかなければいけない。
 
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変化に適応するだけの日本人

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つまらない「ダーウィンの言葉」

 
 数日前に「ダーウィンの言葉」として、こんなのが話題になった。
最も強い者が生き残るのではなく、最も賢い者が生き延びるのでもない。唯一生き残ることができるのは、変化できるものである。 
 
 話題になったきっかけは自民党の広報がツイッターに上げたからだが、この言葉自体は「ダーウィンの言葉」として以前から広く知られている。
 
 「本当はダーウィンはこんなことは言ってない」、「これはダーウィンの進化論を誤って解釈したものだ」という意見もある。
 
 この言葉がダーウィンの言葉として正しいのかどうかは今は追究しない。私が気になっているのは、日本人はこういう言葉が好きな人が多いであろう、というところだ。仮にこの言葉が本当にダーウィンの言葉であったとしても、あるいは他の有名人の“名言”であったとしても、私はこの言葉に魅力を感じない。なんともつまらない言葉だと思う。
 

事後適応する日本人

 
 「事後適応」。これが私は日本人の特徴の一つだと思っている。日本人は適応能力が高く、時代の変化に上手に対応していく。パソコンの時代が来れば皆パソコンを習熟し、携帯電話の時代が来れば携帯電話を使いこなすようになり、ガラケーからスマホの時代に変われば、またスマホに対応する。
 
 例えば00年代頃は、「これからはパソコンの時代なんだからパソコンぐらい使えるようになっておかないと」、「もう世の中はパソコンの時代なんだからパソコンを否定していても始まらないでしょう」と言う人が多かった。
 
 日本人は時代の変化、社会の変化を、「雲が湧いてきて雨が降る」といったような「自然の成り行き」として捉えている人が多い。自分の行動とは関係なくパソコンの時代に「なる」のである。パソコンの時代に「する」のだ、と考える人は少ない。
 
 これは、憲法改正の話に限らず、万事に見られる日本人の思考法だと思う。
 
 私はマイナンバー制度に関心を持っていて、このブログでもマイナンバーについてたくさんの記事を書いているが、このマイナンバー制度にしても導入した理由は「他の国もやっているから」。「それが今の世界の潮流だから」。「世界の流れに日本だけ乗り遅れるわけにはいかないから」。
 
 この思考法は必ず「後手」になる。世界の流れを見てから動くわけだから。そしてその「流れ」というものは自分で作り出すものではなく、“勝手に”、“自然と”できあがるものであり、その流れに乗り遅れまいとする。
 
 日本人にとって「パソコン社会」というものは、自分たちで作り出すものではなく、ある日突然、または徐々に、向こうから勝手に成立するものである。自分たちにできることは、その流れにとにかく乗り遅れないように必死でパソコンの習熟に努め、適応を計っていくことである。
 

理念と哲学がない日本人

 
 日本人には理念や哲学といったものがない。これは平たく言えば、「こういう世の中にしたい」が無い、ということだ。理想を描くところから始まらないので、他国の制度を真似してマイナンバー制度を作ってみたはいいものの、それをどうやって使ったらいいのかわからない。日本でマイナンバーとマイナンバーカードが活用されていないのは、よく言われているような「反対する人たちのせい」ではなく、政府も国民も誰もこの番号やカードの使いみちがわからないからだ。「マイナンバーを使ってこういう世の中を作りたい!」が無かったので、他国の制度をパクってきたところまではいいが、その先がない。でも日本人的には、もう外国から「まだ個人番号制度ないの?」と馬鹿にされずに済む、ということこそが大事なのだ。
 
 憲法改正もまったく同じ理由。「軍隊を持ちたい」、「他の国にだって軍隊はあるじゃないですか」、「なんで日本だけが軍隊を持っちゃ駄目なんですか?」、「軍隊がないから他国に舐められる」。
 
 現代は世界の主流は軍隊である。世界の主要国はほとんどが軍隊を持っている。この時代の流れに取り残されているのは恥ずかしい、要は「みんなが持っているから僕も持ちたい」ということである。「軍隊を持ってこういう世界にしたい」という理想像は誰も思い描けていない。そのような世界をリードする先行理念を思い描くのは日本人はまったく苦手で、とにかく世界に他国に追いつきたい、という一心なのである。
 
 それは憲法改正推進派の人たちが言う「私たちは何も戦争をしたいわけじゃないんです」という言葉にもよく表れている。「普通の国になりたい」、「並の国になりたい」、「一般的な国になりたい」。マイナンバー制度と同じで、軍隊も有ったらひと安心。これで他国に引けを取らない。恥ずかしくない、堂々と胸を張れる国になった。
 
 マイナンバーを使ってこういうことがしたい!、軍隊を使ってこういう世の中を実現したい!、は無いのである。
 
 欧米人は、先行理念や哲学がある。「パソコンやインターネットを使ってこういう世の中を作りたい!」がまず先にある。そこに向けてIT社会を構築していく。だが日本にあるのは、IT社会が向こうから勝手に到来して、「私たち日本も、この時代の流れに乗り遅れないようにしましょう」ということが目標になって、例えば小学校におけるパソコン教育などを始める。
 
 すべてが後手の思想である。理念も哲学もない。冒頭のダーウィンの言葉と言われている言葉、に戻ると、日本人は環境を“作らない”。環境を作るという発想がない。自分たちと関係なく“自然と”変化していく環境に「いかに適応するか」だけを考えて生きている。「負けまい」という思想はあるが「勝とう」という思想はなく、「遅れまい」という思想はあるが「先んじよう」という思想はない。
 
 ここ最近話題のトピックスである「アフターコロナ」の話題を見ていてもそう感じる。「アフターコロナには世界はきっと変わる」と言う人は多い。「そんなに変わらないんじゃないか」と言う人もいるが、誰も「変える / 変えない」とは言わない。日本人は、アフターコロナの世界はどう変わっているかを予想し議論し、それにうまく適応することを考える。だが、アフターコロナの世界をどう変えるか、あるいは変えないか、という考え方は誰もしない。
 
 冒頭の自民党の漫画がつまらないのは、変化後の適応の仕方、生き残り方ばかりを考えているところだ。特にこのアカウントは為政者のアカウントでありながら、どのように世の中を変えていくかという考えが微塵もない。 
 
 「変化に適応する / 適応しない」という考え方はつまらない。私は「変化を作る / 作らない」人間でありたい。