私、りゅうたいぷは「アインシュタインは頭がいい」なんて言わない。
「アインシュタインは頭がいい? それ、誰が言ったの?」
「りゅうたいぷさんが言ってました」
これを聞いたら、皆、腹を抱えて必死で笑いを堪えながら、「そりゃ、りゅうたいぷさんから見たら、この世の大半の人は頭がよく見えるでしょうね」と思うだろう。
この発言の主がりゅうたいぷであることの滑稽さ。頭が悪い私がどうしてアインシュタインが頭がいいかどうかを判断できよう。
世の中、医者や弁護士には「先生、先生」と言って“へいこら”しながら、ファミレスの店員やタクシーの運転手に対しては横柄な態度を取る人が多いのはなぜか。
それは、敬意の基準が「自分ができるかできないか」になってしまっているからである。つまり医者や弁護士を「すごい」と思うのは「自分にはこんなことできない」と思うからであり、ファミレスの店員に対しては、自分がその仕事をやったことがないにもかかわらず、「これぐらいのことは自分にもできそう」と思うのである。
自分ができそうかできなさそうか、を「すごいかすごくないか」の基準にしている。
自分を基準にしてしまうことの愚かさ。あなた如きを基準にされたら堪らないのである。
私は、「私から見たらアインシュタインは頭がよさそうに見える」とか、「アインシュタインは20世紀の人間にしては頭がいい」という言い方はするかもしれないが、「アインシュタインは頭がいい」とは言わない。