漸近龍吟録

反便利、反インターネット的

危ないアボリジニー 〜クルマ社会を疑わない人々〜

f:id:rjutaip:20180723113552j:plain

 
 オーストラリアの先住民族アボリジニー
 
 19世紀にオーストラリア大陸にやって来たイギリス白人。
 
 そのイギリス白人たちの会話。
 
アボリジニーの人たちって危ないよね」
 
「ここは私たちの射撃場なのに」
 
「『立入禁止』ってちゃんと書いてあるのに、あの人たち字ぃ読めないのかなあ」
 
「わかる。この間、私も射撃を楽しんでたら、アボリジニーが急に飛び出して来てひやっとした」
 
「ほんと、危ないからここら辺を横断するのやめてほしいよね」
 
「このあいだも、射撃を楽しんでいた人が夜間に急に飛び出してきたアボリジニーを撃ち殺してしまったってニュースでやってたね」
 
「しかも、そのアボリジニーは体に蛍光色とか光るものを何も身に着けていなかったんだって」
 
「うわ。夜間にアボリジニーを見分けるとか無理ゲー」
 
「うわぁ。それはさすがに撃ち殺してしまった人がかわいそう。一生、人を殺してしまったという重荷を背負って生きていかなきゃいけないなんて」
 
アボリジニーたちは頼むから、夜間に出かけるときは蛍光色の服を着ていてほしい。ほんとに危ないから。射撃する側からどんなに見えないかということを知ってほしいよね」
 
 
 「危ない」という言葉は不思議な言葉で、交叉点で子どもとトラックが出会い頭に衝突しそうな場所では、子どもの側から言ったら「トラックが危ない」と言い、トラックの側からは「飛び出す子どもが危ない」と言う。子どもには「クルマが危ないから気をつけてね」と言い、運転者には「飛び出す子どもが危ないから気をつけてね」と言う。
 
 クルマと子ども、いったいどっちが「危ない」のか。
 
 このアボリジニーの喩えは、日頃、クルマを運転する人たちが歩行者に向かって言っていることである。
 
 バスの車内では「道路の横断歩道がない場所での無理な横断はたいへん危険ですのでおやめください」というアナウンスが繰り返し流れている。自動車を優先し、横断歩道を何十メートルも先に作っておきながら、歩行者の「無理な横断」を咎める。
 
 「歩道橋」という、歩行者に信じられないほどの労力を使わせる設備もある。
 
 
 白人たちは事故が多発していることを知りながらも、あくまでも「アボリジニーが危ない」「アボリジニーたちにきちんとルールを解らせなければ」と言い、「銃が危ない」とは決して言わない。自分たちが手に入れた便利な道具、楽しいおもちゃを失うのが嫌だからだ。
 
 
【関連記事】