漸近龍吟録

反便利、反インターネット的

自動車事故と“切り離し”の心理

 繰り返される自動車事故。
 
 東京で10人の死傷者を出す自動車事故が起きた。運転していたのは87歳、轢かれたのは31歳の母親と3歳の子どもだった。
 
 この事故を受けて多くの人が「また老人か」、「老人は免許を返納しろ」と言っている。
 
 ここには、老人個人の責めに帰することで、自分たちのおもちゃ(クルマ)に規制が及ぶのを避けようとする心理がある。
 
 このままクルマ社会全体の問題としての議論になって行ってしまうと、「物理的に時速50kmまでしか出ないような造りにしましょう」とか「法律も変えてすべての制限速度を50kmまでにしましょう」などという意見が出てきて、自分たちの普段の利便性にまで規制が及んでしまう。
 
 だから、「また老人か」と言って自分たち若者(20代〜60代)とは切り離すことで、問題を片付けようとしている。
 
「ブレーキを踏むなり、最悪、壁にぶつけて止めるなり、なぜそんな簡単なことができないのか。情けない」
 
と言ってる人もいる。
 
 何故そんな簡単なこともできないかって?それは、あなたが87歳になった時わかるよ。
 
「なぜ免許を返納しなかったのか」
 
と言ってる人もいる。
 
 それはおそらく、この老人がそれまでずっとクルマに頼った生活を送ってきたからだよ。若い人でさえ、今までの生活スタイルを変えるのはなかなか大変なのに、老人が長年続けてきた生活スタイルをそんな簡単には変えられない。
 
「悼ましい」
 
と言ってる人もいる。
 
 これは、「私たちは悪人ではなく、ちゃんと亡くなった方たちや遺族に思いを馳せることができます」という意思表示であるとともに、あくまでも「被害に遭われた方にとっては今回の事故はまったく不運な事故でした」ということにしたいという心理がある。
 
 人間は一度手に入れた利便性や楽しみ(ドライブの楽しみや車内空間の快適さ)は手放したくない。醜い。自分たちのおもちゃは必死に後ろ手に隠して「心からお悔やみ申し上げます」と言う。「心から」ではなく「(自分たちのおもちゃが規制されない程度に)お悔やみ申し上げます」ということだ。
 
 3歳の子どもの命よりも自分たちのおもちゃが大事な人たちが、「歩いてた人はたまたま運が悪かった」、「免許を返納しない老人は本当にひどい」と言うことで、いっしょうけんめい自分たちから問題を切り離そうとしている。
 
 自分がその3歳の子どもであった可能性にも、自分が将来その87歳の老人になる可能性にも、まったく想像が及ばない人たちなのだ。
 
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