漸近龍吟録

反便利、反インターネット的

萩原慎一郎の長すぎた“滑走路”

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 歌人、詩人の萩原慎一郎が32歳の若さで亡くなってから今日で二年。
 
 ずっと萩原慎一郎の人生を考えてきた。
 
 私は萩原の人生をほとんど知らない。会ったこともないし、関係者でもない。昨年2018年に、テレビで少し紹介されていて、その時初めて知った。ネットで調べても大した情報は出てこない。萩原の人生は萩原本人しか知らない。だからここに書くことは私の勝手な想像である。
 
 ウィキペディアでもテレビでも、「中学高校時代のいじめを起因とする精神の不調から自死した」と紹介されている。
 
 私立武蔵中学高校という都内でも屈指の進学校を卒業し、いじめの後遺症に苦しみながら通信制早稲田大学に通い卒業した。大学卒業後はアルバイトや契約社員など非正規雇用で働いていた。
 
 文学活動の方は高校生の頃から始め、大学在学中から賞を取ったり本を出版したりするなど活躍していたようだ。
 
 萩原の代表的歌集『滑走路』にこんな歌がある。
 
非正規の友よ、負けるな ぼくはただ書類の整理ばかりしている
 
 現代、「非正規」が大きな社会問題になっていること、萩原自身が歌にしていることも相まって「非正規歌人」と呼ばれている。
 
 「非正規」。正規ではないという意味だ。萩原の自死の理由は本当に中高時代のいじめだけだったのだろうか。
 
シュレッダーのごみ捨てにゆく シュレッダーのごみは誰かが捨てねばならず
 
 私の勝手な想像だが、武蔵高早大卒の秀才がシュレッダー係をしている。隣の会議室では正社員たちが会議をしている。萩原は正社員の皆様の大量の書類をシュレッダーに入れながら、時々、書類にふと目を落とし、いくつもの誤字を見つける。この程度の簡単な漢字も書けない人たちが立派な会議室の席に座って、ああでもないこうでもないと議論している。彼らよりずっと優秀な萩原は彼らの「ゴミ」を黙々とシュレッダーに突っ込み続ける。
 
 大学教員が試験監督の仕事がものすごく苦痛だ、という話を聞いたことがある。試験監督なんて朝から夕方まで何もしないで座っているだけで給料がもらえるんだから楽な仕事じゃないか、と思う人もいるかもしれない。だが大学教員は毎日論文を読み、世界の研究から一秒たりとも遅れないようにと思い、日夜必死で研究をしている。そんな頭脳の仕事をしている人たちにとって「今日は読書も調べ物もせずに何も考えないで座っていてください」と言われるのは極めて苦痛なことなのだ。
 
 大学教員にとって頭をまったく使わない仕事が苦痛であるのと同様、萩原にとってシュレッダー係だの書類綴じだの、頭を使わない仕事が苦痛だったであろうことが想像できる。
 
 萩原がどんな職歴を送ってきたのかはわかっていない。身近にいた萩原の歌の先生でさえわからないと言っている。ひょっとしたら家族ですら把握していないのではないか。萩原はずっと一人で孤独な転職活動と仕事を続けてきた。
 
 「どんな仕事だって大変だよ。楽な仕事なんてないよ」と言う人がいる。だが仕事には適性というものがある。萩原のような頭のいいタイプの人間は、頭を使って高い成果を出すことを求められるような仕事は寧ろ得意なのだ。しかし職歴と経験がない萩原は、おそらくそれとは逆の頭脳労働ではない仕事に就かされることが多かった。
 
 中高時代のいじめの影響で大学卒業が遅れ、新卒採用の波に乗り遅れ、その後もずっと苦難の人生を歩むことになった。萩原のような秀才でさえ、一度躓くと底辺コース確定になってしまう。そんな日本社会に生まれ育ってしまった。そしておそらく職場でもいじめを受け、仕事のできない役立たずだと言われ、それらをずっと一人で受け止めて来た。
 
 中高時代のいじめだけが原因だったとは思えない。その後の人生もずっと苦しみの連続だったのだ。その苦しみを萩原は全部一人で受け止めてきたのだ。
 
 萩原には、もしかしたら就職をサポートしてくれるサポーターが身近にいたかもしれない。こういう周囲のサポーターが心に傷を持ってる人に対してやりがちなのは、「だいじょうぶですよ。今度の会社はせかせかした雰囲気じゃないし、電話も取らなくていいし、皆さんのんびりした雰囲気の職場で、萩原さんも書類のファイリングとかシュレッダーとか自分のペースでゆっくりやってくれればいいって人事部長さんもおっしゃってくれてましたよ」と言ってしまうことだ。
 
 つまり萩原のような大人しくて心優しいタイプの人はきっと効率や成果を厳しく求められる会社は向いてないだろうから、求められることの少ないのんびりした会社を紹介してあげようと思うのだ。
 
 でもそういう配慮が果たして萩原のためになっているかどうか。萩原はおそらくもっと仕事ができる自信があった。いじめなどの怖い思い、嫌な思いさえなければ、仕事に専念できる環境さえあればじゅうぶんに仕事はできたはずだ。だが与えられる仕事は書類の整理やシュレッダーなどのまったく頭を使わない仕事ばかり。
 
 萩原のことをネットで知った人が「この人は歌の方面でがんばっていけばよかったのに」とコメントしているのを見た。会社の正規雇用とかそんなことに拘らないで、短歌の世界で活躍し始めていたのだから、そっちの方面で伸びていけばいいじゃないか、というわけだ。
 
 だが、歌集を出したとはいえ、その歌集の売り上げで食べていけるとは誰も思わないだろう。萩原も文学で食べていくなんてことは不可能だと思っていたに違いない。だからこそ、普通の会社での仕事に拘った。萩原にとっては歌と会社の仕事は飛行機の両翼のようなもので、どちらがなくても駄目だった。
 
鳩よ、公園のベンチに座りたるこの俺に何かくれというのか
 
 歌の世界での活躍とは裏腹に“現実”世界での萩原はずっと惨めな思いを抱えていた。
 
 たしかに数々の名だたる賞を受賞し、歌集まで出版していた萩原は、歌の世界では十分に羽ばたいていたように見える。一方で、働いてお金を稼いで生きていくという現実の世界では、萩原はずっと飛び立つことができず、滑走路を走り続けていたように見える。
 
きみのため用意されたる滑走路きみは翼を手にすればいい
 
 これは自分と同じような境遇に苦しんでいる人々への言葉でもあるが、萩原が自分自身に言っている言葉でもあるだろう。「手にすればいい」、たったそれだけのことだったはず。
 
 長時間、飛行を続けるだけの能力も体力もある。他の人より速く高く飛ぶ能力さえある。あとは翼だけだった。きっかけさえあれば飛べる準備が整っていたのに、萩原という飛行機は茨の道を走り続けることを余儀なくされた。飛行機は陸を走るように作られているのではないのに。
 
 中高時代に萩原のことをいじめていた人間はその後立派な正社員になっていることだろう。彼らが「正」しくて、萩原は「非正規」、「正しからざる」。なぜなのか。こんな才能がいじめだの非正規だのといったつまらない「社会」に潰される。「しょうがない」と思う?私は思わない。しょうがないで終わらせたくない。
 
「抑圧されたままでいるなよ」「まだあきらめきれぬ夢がある」「ヘッドホンしているだけの人生で終わりたくない」「翼を見つけ出さねば」
 
 こうした言葉からも、萩原にはもっとずっとずっと高い志があったことが窺える。その萩原の思いに比しては、あまりにも長すぎる滑走路だった。
 
 
 
 萩原の思いを少しでも受け取りたい、萩原に少しでも近づきたいと思って書いてみたものの、まったく近づけていない。萩原に託けて、私が自分が主張したいことを書いているだけの文章になった。
 
 所詮、燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや。私に萩原慎一郎の志がわかろうはずもない。
 
 
(※文中、引用は『滑走路』角川書店より)
 
歌集 滑走路

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