漸近龍吟録

反便利、反インターネット的

日本人のデジタル音痴

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Sara Tordaの画像
 
 「デジタル音痴」と言うと一般的には、パソコンやスマホを使いこなせない人、という意味になる。「いますよね、今どきパソコンを使えなかったりスマホを触ったこともない人」。
 
 だが、ここで私が言う「デジタル音痴」とはそういう意味ではない。「デジタル」に対するセンス(感覚)の無さ、である。
 
 例えば、もう10年以上前から時々話題になる「デジタル教科書」。なぜデジタル教科書を導入するか、と問うと、「デジタル教科書にすると、今まで紙の写真では分からなかった動物の動きなどがよりリアルにより鮮やかに感じ取れるようになるんです」と言う。
 
 これが日本人の「デジタル」に対する考え方である。
 
 だから日本企業はテレビを「より高画質に」することに何十年も力を注いできた。「動植物の動きがより鮮やかにリアルに感じられる」、その程度の理由ならデジタル化することに大したメリットはない。紙の教科書にはそれを上回るメリットがたくさんある。そうではなくて、デジタル化の本質は「情報化」にある。たとえば教科書がインターネットに繋がってそこからたくさんの情報にアクセスできるようになることがデジタル化の意義である。
 
 これは、デジタル黒板、電子お薬手帳でも同じことである。それがネットに繋がっておらず、単に紙を電子に置き換えただけのものなら、それにどれだけのメリットがあるだろう。セキュリティ上敢えてそうしている場合を除いて、インターネットに繋がっていないパソコンやスマホに何の意義があるだろう。        
 
 で、その最たるものはマイナンバーカードに対する国民の認識である。マイナンバーカードは批判が多くほとんど好かれていないが、たまにマイナンバーカードを褒める声を見る。
 
「コンビニで住民票を取得できるのが便利だ」
 
というような声である。紙の住民票を、わざわざ役所まで取りに行かないでコンビニで取れることを喜んでいる。この声には日本人のデジタル音痴っぷりが見事に象徴されているように思う。コンビニまで歩いて行って、コンビニのコピー機で紙の住民票を手にして、それを便利だ!と言っているのである。
 
 マイナンバーカードというのは、あらゆる手続きをオンラインでできるようにするために作られたカードである。コンビニまで行ってそこでカードを使って紙の住民票を取得できるようになることが「デジタル」なのではない。
 
 最近も、全国の小中学生に国が一人一台のパソコンを普及させる、というニュースがあった。どうも日本人は「パソコンこそデジタル」と思ってる節がある。パソコンは単なる手段であって学校内にネット環境を充実させることこそ肝腎である。
 
 繰り返しになるが、私の言う「日本人のデジタル音痴」とは、「パソコンやスマホを使うのが苦手」「使いこなせていない人がいっぱいいる」ということではなく、デジタルに対するセンス(感覚)の問題である。住民票をデジタル化することを考えずに、紙の住民票をカードでコンビニのコピー機で取得できるようになって便利!と言ってしまうようなセンスである。
 
 パソコンやスマホを使いこなせるかこなせないか、などというのは些細な問題である。別にそんなものは使いたくない人は使わなければいい。だが、国としてあらゆる手続きをオンラインでできる環境というのは整えておかなければならない。そしてそういう声を上げる人の少なさに、私はこの国の人々の「デジタル音痴っぷり」を感じるのである。