漸近龍吟録

反便利、反インターネット的

受け継がれるフローレンス・ナイチンゲールの精神【生誕200年】

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 2月~3月ごろ、COVID-19がパンデミックの猛威を奮い始めたころ、私が想起していたのは今年生誕200年の記念の年になる、フローレンス・ナイチンゲールのことだった。
 
 ナイチンゲールは、看護師、また統計学者のイメージが強いが、社会変革家でもあった。しかし生誕200年ではなかったとしても、今の状況では誰もがナイチンゲールのことを思い起こさずにはいられないだろう。
 
 ウイルス対策という衞生面でも、ナイチンゲールは手洗いと換気の大切さを繰り返し説いている。現代の私たちは「手洗いや換気が大事なんて当たり前じゃないか」と思ってしまうが、今では“常識”となっているこれらのこともナイチンゲールの時代にはまだ常識ではなかった。
 
 そしてまた、今は多くの人が日々、目にする統計に対して疑問を抱いている。
 
「感染者数だけではなく陽性率を調べないと意味がないのではないか」
「この数字に軽症者は含まれているのか」
「回復した人は含まれているのか」
「集計方法に問題があるのではないか」
「そもそも日本は検査数が少なすぎるのではないか」
等々。
 
 もしナイチンゲールが現代に生きていたら、こうした問題に対しても、統計学者としていろいろ言いたいことがあるのではないだろうか。
 
 ナイチンゲールは“社会全体”を捉えていた。看護の専門家だからもちろん看護活動もしたが、病院の環境をよくしたり病院の数を増やしたりするためには、政治にも関わらなければいけないし経済のことも考えなければいけない。医学の知識もある程度必要だし、病人の数を減らしていくためにはどのような施策が効果的かを統計的に調べる必要も出てくる。
 
 現代の私たちは、どの国の対策の仕方がもっとも効果を発揮しているかということを、素人ながらも統計データを見ながら日々いろいろ推測しているが、こうしたスタイルもナイチンゲールに始まっていると言っても過言ではない。
 
 現代のCOVID-19禍では貧しい階層の人々に、より大きなダメージがいくことが指摘されているが、この問題についてもナイチンゲールは語っている。
 
たとえある施設が『〈貧富両者〉に向けた熟練看護婦の提供』をしはじめようとしても、とくにそれで『採算のとれる』ようにしようと思えば、結局は『富める者』のみのための『熟練看護婦の提供』ということになってしまうだろう。つまり、その施設が『採算のとれる』ことをたてまえとしていれば、いいかえれば、看護婦がその施設を『支える』のであれば、『富める者』がまずやってくるにちがいない。そして『富める者』が最初にくれば、かれらが最初から終わりまで占めることになるだろう」(1876年4月『Times』紙に掲載)
 
 だから、ナイチンゲールはあらゆることに首をつっこみ口を出した。多くの政治家と積極的に関わって社会全体を変えていこうとした。
 
 ナイチンゲールは時に怒り、そして闘った。苦しむ患者たちを救うのには献身的な看護活動だけでは限界があり、病院をもっと衞生的で綺麗なものに建て替えたり、抜本的な改善が必要だった。周囲の人から時に異常とも見える使命感で闘った。
 
大事小事を問わず、何かに対して「責任を持っている」ということの意味を理解している人は――つまり責任をどのように遂行するかを知っている人という意味なのであるが――男性でも、女性でさえも、なんと少ないことであろう。上は最大規模の災害から、下はほんの些細な事故に至るまで、その原因をたどってみれば(あるいは、たどるまでもなく)「責任を持つ」誰かが不在であったか、あるいはその人間が「責任」のとり方を知らなかったためであると判明することが多い。(『看護覚え書』)
 
 すべてを背負って立つ、ぐらいの強い責任感をもって臨んだナイチンゲールの言葉である。
 
 今の日本は、「すべての責任は私にある」と言いながら責任の取り方を知らない人の下に、COVID-19禍に飜弄され続けている。中国では国が主導して感染者を収容するための大病院が造られた。日本でもずっと病床数が逼迫していると言われているのだからこれぐらいのことをすべきと思うが、動きは鈍い。
 
 日本でなんとか医療崩壊をギリギリのところで食い止めているのは、国民一人ひとりの自制に頼っているところが大きい。そして医療の現場で命の危険と隣合わせになりながら奮闘しているのはナイチンゲールの「教え子」たちだ。ナイチンゲールの教え子たる看護師たちは日本のみならず世界中で闘っている。日本でも「医療従事者たちに感謝を」という言葉は聞く。しかし、感謝だけでいいのだろうか。ナイチンゲールは「白衣の天使」と呼ばれることを嫌ったと言われている。多くの苦しむ人を救うために、そして現場で疲弊する看護師たちを助けるために、国がやれることはもっとたくさんあるのではないか。そして国に対して私たち国民が求めていくことももっとできるのではないか。
 
 今日2020年5月12日はフローレンス・ナイチンゲールの生誕200年の日にあたる。COVID-19禍で、奇しくもナイチンゲールが甦った形になった。しかし「甦った」のではない。政治を巻き込み社会を良くするために闘ったナイチンゲールの精神はナイチンゲール亡き後100年以上にわたって脈脈と受け継がれてきたのだ。
 
 イギリスでは、感染者数が急増し始めた4月に、できるだけ多くの患者を収容できるようロンドンの東に猛スピードで国内最大級の病院が造られた。その病院は母国の英雄の名を取って「ナイチンゲール病院(Nightingale Hospital)」と名付けられた。