漸近龍吟録

反便利、反インターネット的

変化に適応するだけの日本人

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つまらない「ダーウィンの言葉」

 
 数日前に「ダーウィンの言葉」として、こんなのが話題になった。
最も強い者が生き残るのではなく、最も賢い者が生き延びるのでもない。唯一生き残ることができるのは、変化できるものである。 
 
 話題になったきっかけは自民党の広報がツイッターに上げたからだが、この言葉自体は「ダーウィンの言葉」として以前から広く知られている。
 
 「本当はダーウィンはこんなことは言ってない」、「これはダーウィンの進化論を誤って解釈したものだ」という意見もある。
 
 この言葉がダーウィンの言葉として正しいのかどうかは今は追究しない。私が気になっているのは、日本人はこういう言葉が好きな人が多いであろう、というところだ。仮にこの言葉が本当にダーウィンの言葉であったとしても、あるいは他の有名人の“名言”であったとしても、私はこの言葉に魅力を感じない。なんともつまらない言葉だと思う。
 

事後適応する日本人

 
 「事後適応」。これが私は日本人の特徴の一つだと思っている。日本人は適応能力が高く、時代の変化に上手に対応していく。パソコンの時代が来れば皆パソコンを習熟し、携帯電話の時代が来れば携帯電話を使いこなすようになり、ガラケーからスマホの時代に変われば、またスマホに対応する。
 
 例えば00年代頃は、「これからはパソコンの時代なんだからパソコンぐらい使えるようになっておかないと」、「もう世の中はパソコンの時代なんだからパソコンを否定していても始まらないでしょう」と言う人が多かった。
 
 日本人は時代の変化、社会の変化を、「雲が湧いてきて雨が降る」といったような「自然の成り行き」として捉えている人が多い。自分の行動とは関係なくパソコンの時代に「なる」のである。パソコンの時代に「する」のだ、と考える人は少ない。
 
 これは、憲法改正の話に限らず、万事に見られる日本人の思考法だと思う。
 
 私はマイナンバー制度に関心を持っていて、このブログでもマイナンバーについてたくさんの記事を書いているが、このマイナンバー制度にしても導入した理由は「他の国もやっているから」。「それが今の世界の潮流だから」。「世界の流れに日本だけ乗り遅れるわけにはいかないから」。
 
 この思考法は必ず「後手」になる。世界の流れを見てから動くわけだから。そしてその「流れ」というものは自分で作り出すものではなく、“勝手に”、“自然と”できあがるものであり、その流れに乗り遅れまいとする。
 
 日本人にとって「パソコン社会」というものは、自分たちで作り出すものではなく、ある日突然、または徐々に、向こうから勝手に成立するものである。自分たちにできることは、その流れにとにかく乗り遅れないように必死でパソコンの習熟に努め、適応を計っていくことである。
 

理念と哲学がない日本人

 
 日本人には理念や哲学といったものがない。これは平たく言えば、「こういう世の中にしたい」が無い、ということだ。理想を描くところから始まらないので、他国の制度を真似してマイナンバー制度を作ってみたはいいものの、それをどうやって使ったらいいのかわからない。日本でマイナンバーとマイナンバーカードが活用されていないのは、よく言われているような「反対する人たちのせい」ではなく、政府も国民も誰もこの番号やカードの使いみちがわからないからだ。「マイナンバーを使ってこういう世の中を作りたい!」が無かったので、他国の制度をパクってきたところまではいいが、その先がない。でも日本人的には、もう外国から「まだ個人番号制度ないの?」と馬鹿にされずに済む、ということこそが大事なのだ。
 
 憲法改正もまったく同じ理由。「軍隊を持ちたい」、「他の国にだって軍隊はあるじゃないですか」、「なんで日本だけが軍隊を持っちゃ駄目なんですか?」、「軍隊がないから他国に舐められる」。
 
 現代は世界の主流は軍隊である。世界の主要国はほとんどが軍隊を持っている。この時代の流れに取り残されているのは恥ずかしい、要は「みんなが持っているから僕も持ちたい」ということである。「軍隊を持ってこういう世界にしたい」という理想像は誰も思い描けていない。そのような世界をリードする先行理念を思い描くのは日本人はまったく苦手で、とにかく世界に他国に追いつきたい、という一心なのである。
 
 それは憲法改正推進派の人たちが言う「私たちは何も戦争をしたいわけじゃないんです」という言葉にもよく表れている。「普通の国になりたい」、「並の国になりたい」、「一般的な国になりたい」。マイナンバー制度と同じで、軍隊も有ったらひと安心。これで他国に引けを取らない。恥ずかしくない、堂々と胸を張れる国になった。
 
 マイナンバーを使ってこういうことがしたい!、軍隊を使ってこういう世の中を実現したい!、は無いのである。
 
 欧米人は、先行理念や哲学がある。「パソコンやインターネットを使ってこういう世の中を作りたい!」がまず先にある。そこに向けてIT社会を構築していく。だが日本にあるのは、IT社会が向こうから勝手に到来して、「私たち日本も、この時代の流れに乗り遅れないようにしましょう」ということが目標になって、例えば小学校におけるパソコン教育などを始める。
 
 すべてが後手の思想である。理念も哲学もない。冒頭のダーウィンの言葉と言われている言葉、に戻ると、日本人は環境を“作らない”。環境を作るという発想がない。自分たちと関係なく“自然と”変化していく環境に「いかに適応するか」だけを考えて生きている。「負けまい」という思想はあるが「勝とう」という思想はなく、「遅れまい」という思想はあるが「先んじよう」という思想はない。
 
 ここ最近話題のトピックスである「アフターコロナ」の話題を見ていてもそう感じる。「アフターコロナには世界はきっと変わる」と言う人は多い。「そんなに変わらないんじゃないか」と言う人もいるが、誰も「変える / 変えない」とは言わない。日本人は、アフターコロナの世界はどう変わっているかを予想し議論し、それにうまく適応することを考える。だが、アフターコロナの世界をどう変えるか、あるいは変えないか、という考え方は誰もしない。
 
 冒頭の自民党の漫画がつまらないのは、変化後の適応の仕方、生き残り方ばかりを考えているところだ。特にこのアカウントは為政者のアカウントでありながら、どのように世の中を変えていくかという考えが微塵もない。 
 
 「変化に適応する / 適応しない」という考え方はつまらない。私は「変化を作る / 作らない」人間でありたい。