漸近龍吟録

反便利、反インターネット的

日本には「右翼」や「保守」はいない

 日本には「右翼」や「保守」はほとんどいない。
 
 と言うと、「いやいやネットを見ればたくさんのネトウヨがいるではないか」と思うかもしれない。確かにネット上にもそしてリアルにも「ネトウヨ」っぽい人はたくさんいる。だが彼らの大半は「右翼」でもなければ、ましてや「保守」ではない。
 
 では何なのか。
 
 彼らは「現実主義者」である。日本人の大半は現実主義者である。それは彼らがよく口にする言葉「対話すれば国が守れると思っているなんて、あの人たちは頭がお花畑」という台詞にもよく現れている。彼らの口癖は「もっと現実を見ましょう」、「世の中、そんな綺麗事じゃないんですよ」、「そんなの理想論ですよ」、「現実社会はもっと複雑なんですよ」である。
 
 大きな変化がない「ほどほどの現実」が守られる社会を望んでいる。「ほどほどの現実」とは今まで自分たちが生きてきた時代の「常識」がこれからもゆるく続いていく社会だ。
 
 昭和時代の現実主義者たちは言う。「タバコがなくなったらいいなんてそんなの理想論ですよ」。「タバコが健康に悪いというのはその通りだけど、現実問題として今の世の中からタバコを無くすことができると思いますか?」。「成人男性の9割がタバコ吸ってるんですよ?一つの飲食店が喫煙禁止なんてことしたらその店は商売上がったりですよ」。「タバコ社会に文句を言ってもしょうがないでしょう。そんな自分一人の力でどうしようもないことに文句を言うんじゃなくて、自分にできる工夫から始めてみてはどうですか?」「マスクをかけてできるだけ煙を吸わないようにするとか、換気のいい入口のドアに近い席に座るとか」。「そういう努力もしないであなた方はなんでもそうやってすぐ社会のせいにするんですね」。昭和時代の現実主義者たちは、今のような「タバコがほぼゼロ」という社会を想像できない。昭和時代の人が令和時代にやってきたら「まさかこんなにタバコを見ないなんて!」と驚くのだろう。
 
 コロナ禍でも同じことが起きた。2019年、「朝の通勤満員電車が問題なら通勤をなくせばいい」という私に対して現実主義者たちは「そんなのは理想論。現実的ではない。将来的には自宅で仕事をする時代がやって来るかもしれないけど今はまだ会社員は会社に通勤して仕事するのが当たり前なんだから」と言っていた。で、その僅か一年後の2020年には何と言ったか。「いやあ、まさか自分がこうして毎日会社に行かず家で仕事をしているとはね。一年前の時点では想像すらしなかったよね」と言ったのだ。
 
 彼ら現実主義者は「ハガキで書くべき」とか「メールで書くべき」という哲学を持っていない。ハガキ派でもなくメール派でもなく、ハガキが主流の時代には「ハガキで書くのが常識だ」と言い、メールが主流の時代になったら「メールを使うのが普通だ」と言う。要は時代の主流に合わせる、「みんなと同じ」、「みんなと一緒」が好きなだけなのだ。
 
 だから彼らに自衛隊改憲の是非を問うてもあまり意味が無い。それに対する意見や哲学を持っていないから。もっとも効果があるのは、「アメリカや中国、ヨーロッパをはじめとした世界の主要国が、自国の軍隊(Armed Forces)のことをしれっと”Self Defence Forces”と呼び始めましたよ」と伝えることだ。そうすれば彼らは「『日本軍』の呼称を『自衛隊』に戻すべきだ。これではまるで、世界の中で日本だけが好戦的な国のように思われてしまう!」と言い始めるだろう。
 
 「時代の流れに合わせる」と言えば聞こえはいいが、それはどこまで行っても時代の後追いでしかない。影響力の大きい他人の哲学に振り回される一生を送ることになる。現実主義者の自分には冷静に現実が見えていると思っているが、それは大きな力によって与えられた世界を単に受忍しているだけだ。
 
 「右翼」や「保守」などという哲学を持っていればまだいいほうで、大多数の日本人は「みんなと一緒がいい」と思っているだけ。日本人のこの現実主義者っぷり、「みんなと一緒がいい病」は根が深い。
 

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