漸近龍吟録

反便利、反インターネット的

東京人は東京一極集中に反対している

 zauber2011による画像
 
 もちろん、すべての東京人が一人残らず反対しているということはないが。
 
 東京一極集中の問題になると、私たち東京人が批判されたり悪く言われたりすることが多い。おそらく多くの人が、東京人は東京一極集中に賛成/どちらかと言えば賛成、だと思ってる人が多いのではないか。
 
 だが、東京生まれ東京育ちの私は東京一極集中にはずっと反対である。そして私の身の回りの東京人たちも東京一極集中に反対している人が多い。東京人は東京一極集中に反対しているのだということをもっと知ってもらいたい。
 
 東京人が東京一極集中を嫌ういちばんの理由は、やはり「狭さ」と「人の多さ」だ。この二つは同じことでもある。東京の家、住居は人間の最低限の尊厳を奪ったような狭さである。ヨーロッパの「牢屋」のほうがまだ広くて快適なのではないか。そして一歩外に出ればどこも人込み。私たち東京人はこの人込みに毎日うんざりしている。
 
 東京一極集中をやめて地方分散化すべきだとずっと昔から訴えている。
 
 以前、はてなブコメを見ていて「東京一極集中を解消したいなら、先ずは東京人が地方に行かないとね。隗より始めよだよね」と言ってるコメントがあったのを見てびっくりした。「先ずは」という言葉の感覚が私とは全然違ったから。
 
 「先ずは」は「最初は」という意味だと思うが、その人は「東京人が地方に行く」という行動を最初に起こさないかぎり東京一極集中の問題は解決しないと言っているのだ。私の認識とは全然違う。私の認識では、東京一極集中は地方の人が東京に来ることによって引き起こされている。「先ずは」と言うなら「地方の人が東京に来ない(行かない)」ことこそ一番最初に為されるべきことだと思っている。
 
 ネットでは、「テレビは東京のことばかり」、「おいしい店特集とかもほとんど東京の店ばかり、やめてほしい」というような批判の声をよく目にする。しかし、私たち東京人も同様にそのことにうんざりしているのである。
 
 テレビのニュースを付けたら近所が映っている。関東ローカルのニュースかと思っていたら全国ニュースだったということはよくある。テレビが東京ばかりであるのが嫌なのは、ネットの情報がパーソナライズド化されている不快感に似ている。閲覧履歴や検索履歴から「この動画を見た貴方はこの動画にも興味ありますね?」と出してくる。トップページがもう個人最適化に染まっている。フィルターバブルにかけられて、自分が見る世界をとても狭くさせられているあの不快感だ。
 
 しかし、それでも東京人が東京のおいしいお店情報を見せられるのは、地方の人がそれを見せられるのに比べれば遙かにマシだろう。私は中学生か高校生ぐらいの時に、地方に住んでる親戚のお姉さんから「テレビは東京のおいしいお店とかばっかり。そんなの紹介されても別に行けないしねぇ」という不満を聞いて衝撃を受けたのを覚えている。地方の人は私たち東京人と同じようなお店紹介の番組を見ている、ということをその時初めて知った。もし私が地方人だったら、そんな番組を見せられたらイライラが募るだけだと思う。なぜ地方のテレビ局はその地方に則した番組を作らないのか。こういうのは「東京の横暴」と言うより、東京で作られた番組をそのまま垂れ流している地方のテレビ局に問題があるのではないか、とその時思った。
 
 東京は、私たち東京人にとってはかけがえのない「ふるさと」であり、地方から野心を持って上京して来た人たちの「実験場」ではない。
 
 日本人全員が東京に依存しすぎ、地方の魅力が見えにくくなってしまっていると感じる。魅力に気づいている人も少しはいるだろうが、そういう人たちも結局は「地方には仕事がないから」と言って東京に出て来ざるを得ない。だから、大学と企業をこれ以上東京に作らず、できるだけ地方に作ることが肝腎だ。
 
 東京はもうだいぶ昔から「人多すぎ」の状態にある。これ以上の人込みは勘弁してほしい。
 
【関連記事】