漸近龍吟録

反便利、反インターネット的

「貯蓄から投資へ」ではなく「貯蓄から消費へ」

 
 岸田政権が日本の経済政策として「貯蓄から投資へ」というスローガンを掲げている。
 
 欧米諸国では貯蓄と投資を比較するともっと投資の割合が多い。それにくらべて日本は貯蓄の割合がとても高く、投資の割合が非常に少ない。だから日本では多くの金が銀行口座や箪笥の中に死蔵されて経済が回らない。国民の皆さん、もっと投資をしましょう、と言っている。
 
 この方策は二つの点で誤っている。「貯蓄か、それとも投資か」という二択の問いがすでに誘導的である。お金は貯蓄か投資かの二択ではない。「貯蓄」の反対は必ずしも「投資」ではない。
 
 第一の誤りは投資の先が日本に向かわない、という点である。
 
 国が先導して「国民の皆さん、もっと投資をしましょう」と呼びかける。それを受けた国民はネットで投資について調べてみる。すると「今なら外国株一択でしょう」とどこのサイトにも書いてある。日本国民が挙って外国株を買う。外国企業はおかげで儲かって成長して、一方で相対的に日本の企業は凋落するだろう。国はいったい何がやりたいのか。日本政府が率先して外国を富ましたいのか?日本政府が率先して日本を貧しくしてどうするのか。「投資は投資でも日本国内株限定」などと条件を付けて奨励するならまだ分からないでもない。しかし今単に投資を奨励したら国民はみんな外国株を買うだけだ。
 
 第二の誤りは、投資というのは基本的に格差を拡大させるもの、という点だ。元手となる資金がない人は抑々投資はできない。投資は元となる資金が多い人ほど有利な仕組みである、というのは誰もが理解しているだろう。
 
 以上の二つの理由から「貯蓄から投資へ」は悪策である。
 
 では投資せずに貯蓄しておけばいいのか。それも違う。貯蓄していたのでは経済は回らず不況に落ち込むばかりである。
 
 日本人と「投資」は相性が悪い。なぜならば日本人のほとんどは投資というものを「いかに儲けるか」という視点でしか見ていないから。
 
 日本語で「投資_悪」で検索してみると、ギャンブル性が高く危険である、といったような話ばかりが出てくる。日本人が「得か損か」という視点でのみ見ていることの象徴だと思う。英語で同じように検索した場合は、投資先の企業が悪である(例えばSDGsを無視して環境に悪いことをしているとか)といった話が出てくる。
 
 西洋の「投資」には、古くはジョン・ウェスリー(John Wesley)に示されるような、悪いことのためにお金を使ってはならない、社会の善きことのために、という考え方や寄附の伝統がある。この考え方の伝統と基盤はSRI(Socially Responsible Investment)や現代のESG(Environment Social Government)といった思想にも繋がっている。
 
 日本にはこのような考え方の基盤がなく、日本人にとって「投資」とは、単に“自分が”得をするか損をするか、という話である。「責任(responsibility)」の話ですら“自分の”話として語られる(「自己責任」というよく聞く言葉のことだ)。
 
 そうした深い基盤があって初めて「投資」は意味を持つ。日本は基盤・土壌のないところに上っ面だけ真似した「投資」を持ってこようとしている。これは最初からぐらついている「投資」だ。
 
 今の日本が目指すべきは「貯蓄から投資へ」ではなく「貯蓄から消費へ」である。金を貯蓄から消費へ回すことで経済は循環する。景気もよくなるだろう。貯蓄から消費へ誘導するための政策は消費税率の低減だ。そして最終的には消費税を撤廃することだ。
 
 「貯蓄かそれとも投資か」と考えているかぎりずっと見誤る。