漸近龍吟録

反便利、反インターネット的

ストレスに強いとは何か

 

 知人に「何をモチベーションに仕事をしていますか」と尋ねられた。私がモチベーションは何もないと答えると「 モチベーションがなくても仕事できるなんてすごいですね」と言われた。
 
 こういう風に言われることがよくある。過去に複数の人から言われたことがある。
 
 「どうやってストレスを発散していますか?」と聞かれ、私がストレスは発散したことも解消したこともない、と答えると、「すごい!強いんですね」と言われる。強くなんかない。私はストレスには弱い。日々、ストレスによって大きなダメージを喰らっているのに「強いですね」と言われる。
 
 私が人生の大半の時間を一人暮らしで過ごしている、と言うと、「わかります」と言われる。「わかります、結婚すると家庭に縛られて自分の好きなことをする時間がなくなってしまいますよね。一人のほうが気楽でいいですよね」と言われる。私は一人のほうが気楽でいい、なんて思ったことはない。私は一人暮らしは嫌なのである。
 
 なぜ人は、誰もが望んだ通りに生きていると思うのだろう。
 
 確かに私はストレスは発散したり解消したりせずに、ひたすら溜めていく一方の人間だが、それを「ストレスに強いんですね!私だったらそんなストレスに耐えられません」と言うのは違う。それは重病に罹っている人間に、まだ心臓が動いているという一点のみを取り上げて、「こんな重い病気に罹っても生きているなんて強いですね!」と言っているようなものだ。強いのではない。強かったら病気には罹っていない。弱いから病気になっているのである。
 
 あるいはホームレスの人に向かって「家がなくても生きていけるなんて強いですね!私だったら屋根がある所じゃないととても眠れません」と言うのと似ている。強いんじゃない。弱いからホームレスになっているのである。生きていく力がもっと強かったならばホームレスになんかなっていない。
 
 私が、仕事するのにモチベーションなんかなくていい、モチベーションがなくても全然平気、と言ったのなら、「すごい」「強いですね」という言葉は当てはまる。だが、私はモチベーションが何もない状態で働くのはつらいのである。
 
 褒めてくれているつもりなのだろうが、ストレスという名の重りを引きずって歩いている人に向かって「すごい」とか「強い」とか言ってはいけない
 
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