漸近龍吟録

反便利、反インターネット的

あるウクライナ人数学者の生

 先月、ある一人のウクライナ人数学者が亡くなった。

 

 この動画の8秒目あたりに一瞬映っている赤い巻き毛の女性。先々月まで生きていたが、2022年3月3日〜8日頃、侵攻してきたロシア軍のミサイルを受けてウクライナの都市ハルキウで亡くなった。弱冠21歳の若さだった。

 彼女の名はユリヤ・ズダノフスカ。ウクライナ生まれウクライナ育ちの数学者。数学大会の世界チャンピオン。幼い頃から類稀な数学の才能を発揮し、10代の頃は国際的な数学大会のウクライナ代表に、大学はキーウ大学でコンピューター科学を学んだ。数学の天才で、いつも被っていた黄色い帽子の下にはすべての数式を持っていたと言われた。

 指導教官をはじめ周囲の人は皆、彼女がアメリカの大学から声が掛かってそこで高いポストに就くだろうと思っていた。だがユリヤが択んだ道はボランティアだった。ドニプロペトロフスク州の田舎の村で子どもたちに情報学と数学を教えた。

 

 ユリヤはお父さんから数学の才能を、お母さんからボランティアの精神を受け継いでいた。

 ユリヤのお母さんは、おそらくウクライナで最初のNGO「ステーション・ハルキウ(Station Kharkiv)」を立ち上げた人だ。ステーション・ハルキウは2014年のロシアによるドネツク侵攻をきっかけに立ち上げられた。このNGO組織は2014年以来、人種・国籍・性別等の差別なく、困難な状況に置かれた避難民をずっと助けてきた。

 

 ユリヤはハルキウが危険な状態にあることを知らなかったわけではなかった。逃げ遅れたのではなく、困難な状況にある人々を助けるために敢えてハルキウに留まったのだ。2022年2月の終わり、ロシアがウクライナへの軍事侵攻を始めた直後、ユリヤはすぐに行動に出た。彼女は志願兵だった。兵と言っても武器を持って戦っていたわけではなく、避難民に食料や医薬品を届けるボランティアをしていたのだ。砲弾飛び交う危険なハルキウで、彼女をそのような行動に駆り立てたのはお母さんの影響だったかもしれない。そして何よりハルキウは彼女が生まれ育った街、ハルキウを見捨てて離れるわけにはいかなかった。

 

 彼女の死が特別なのではない。ロシア軍の侵攻以来、無惨に失われてきた数多くの命の中の一つだ。ただユリヤ・ズダノフスカの精神と行動は、私には心に感じるものがあった。彼女は私の中の英雄だ。