あらためて世界史を学ぶ
山﨑圭一著『一度読んだら絶対に忘れない世界史の教科書』という本を読んだ。
普段、こういうあんちょこ的な本はあまり読まないのだが、自分が世界史の大まかなあらすじが頭に入っていないことが気になっていたので読んだ。
他の人のレビューにもたくさん書かれているが、この本は年号(何年に起こった出来事か)と細かい出来事を大胆に省いて、大雑把なストーリーとして記述しているので、流れが頭に入ってきやすい。
内容は政治史が中心で、ということはひたすら戦争の話ばかりで、これは著者が悪いわけではないのだが、読み終わったときは些か暗澹たる気持ちになった。ドイツやイタリアは敗けることが多い。フランスは勝ったり敗けたり。イギリス・アメリカは歴史上、ほぼ勝ち続けている。そんな印象を持った。
高校時代は日本史を選択した。なぜ日本史を選択したかと言うと、一つは世界のことより日本のことを先に学ぶべきだと思ったから。もう一つは、「世界史」と言いつつ教科書はヨーロッパ中心の歴史であることに不満があったから。私は大人になってから、自分がフィリピンやベトナム、カンボジア、タイ、ラオス、ミャンマー、マレーシア、インドネシアなど東南アジアの国々の歴史をほとんど知らないことにショックを受けて自分で学んでみたことがあった。『一度読んだら〜』もヨーロッパ、中東、中国の歴史が中心で、アフリカ史や東南アジア史については触れられていないことが事前に断られている。
そして、そもそも歴史とは何か、ということについて考えさせられる。今上天皇の御専門は交通史らしいが、このような◯◯史はたくさんある。文学史、美術史、音楽史、経済史、スポーツ史、建築史、服飾史、料理史、鉄道史、等々、この世界に存在するテーマの数の歴史が無数にある。教科書に書かれているのは、そのたくさんの◯◯史の中の一つの「政治史」だ。
私が前から不思議に思っていることがある。史学科卒の人たちだ。史学科の人は歴史が好きだから史学科に進んだのだろうが、しかしあらゆる歴史を網羅的に勉強しているという人はいないだろう。史学科の人に会うと、大抵、「私は中世のドイツ史が専攻で」とか「古代の中国史が」とか「近代のアメリカ史」とか、あるいはそれ以上に細かく専攻が分かれている。そうすると国の数✕時代の数だけ専攻が存在する。国だけで何百もあり、時代も数多くあるわけだから、掛け合わせると膨大な組み合わせが存在する。その膨大な組み合わせの中からどうしてその国のその時代のことを専攻しようと思ったのか。史学科の人に一人ひとり聞いてまわりたいと思うことがある。
『一度読んだら〜』は教科書と違って細かい話をいろいろと端折ってあり、またテーマも政治に絞ってあるので、世界史の大まかな流れを理解するのに役立った。と同時に、高校の世界史の教科書がいかに(ある程度)網羅的に書いているか、ということも感じた。この本で大まかな流れを理解したら、もう一度あらためて高校の教科書が読みたくなった。