漸近龍吟録

反便利、反インターネット的

オリンピックはバーチャルで

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 オリンピックの話題は開催強行派と反対派の意見ばかり目にする。 

 賛成派の人たちはやはり盛り上がりたいのだろう。反対派の人たちは、強行開催してこれ以上パンデミックが広がったらどうするんだ、ということを心配している。もっともな心配だ。 

 しかし開催か中止かの二択ではない。私はオリンピックはバーチャル(インターネット上)でやればいいと思う。バーチャルなら実際に各国の選手団や関係者が日本に移動するわけではないから、パンデミックの心配は要らない。

 なぜ「バーチャルでやろう」という声が上がらないのか。バーチャルオリンピックは決して夢のような話でも未来のSFの話でもない。今でも実現できるものである。 

 いま世界ではVR(仮想現実)の技術はとても進歩している。実際、昨年2020年に、世界最高峰の自転車レース大会であるツール・ド・フランスパンデミックという非常事態を受けて「バーチャル・ツール・ド・フランス」を開催した。これはZwiftというテクノロジー企業の協力で実現している。 

 どのような仕組みかと言うと、世界各国の選手たちはそれぞれの部屋でエアロバイクのようなマシンを漕ぐ。その車輪の回転はバーチャル上のアバターに投影され、速く漕げばそれだけ自分のアバターも速く進む。バーチャル上のコースは逆に部屋の中にあるマシンに投影され、上り坂の所ではマシンにも傾斜がつきペダルは重くなる。選手は目の前に映し出されたコースの映像を見ながらハンドルを右へ左へと動かす。 

 マラソンもランニングマシンを使ってほぼ同じようにできるだろう。VR企業とStravaあたりが手を組めばバーチャルで実現できるだろう。テニスだったらPlaysight、観戦のプラットフォームならFancredとか。他にも射撃やアーチェリーなど、バーチャルでできる競技種目はたくさんありそうだ。 

 こうしたテクノロジーは今とても進歩している。四、五十年後の未来の話ではなく、今すぐにでも開催できそうな競技がいっぱいある。世界中のVR企業、ゲーム企業、IT企業にとっては自社のテクノロジーを宣伝するチャンスでもあるので、積極的に協力してくれるだろう。

 

「バーチャルで優勝した人に金メダルを与えたり、記録を正式な記録として認めてよいのか」 

 私はバーチャル大会における結果は、リアル競技の結果と同じ扱いにはできないと思っている。だから金メダルは仮のものであり、記録も参考記録扱いにするのがいい。そしてすべての記録と結果が「仮」扱いになるならば、大会そのものを非公式扱いにするのがいい。(参照:東京オリンピックはインターカレート大会としてオンラインで - 漸近龍吟録

 

「バーチャル大会に参加するためのPCやブロードバンド環境が調っていない国はどうすればいいのか」 

 非公式大会なので、すべての国が無理に参加しなくてもいい。

 

「COVID19パンデミックでオリンピックどころじゃない国もある」 

 非公式大会なので、今たいへんな国は無理に参加しなくてもいい。

 

「スポーツというものは、バーチャルよりもやはりリアルの方が、迫力もあって価値も高いと思うが…」 

 私はリアルはもう古いからバーチャルに移行すべきだ、と言っているのではない。中止するぐらいだったらバーチャルでやればいい、と言っているのだ。COVID19が終息したらまたリアルでやればいい。

 

 これはオリンピックが元々「祭典」であったことを思い出させるものである。祭典はおまつり、遊びの要素がある。脚自慢の者たちが駆けくらべをしている。「なんだなんだ、なんか面白そうなことやってるな」、そう言って人々が自然と集まってくる。これが原点である。現代人はネット上で集まることに慣れている。ネット上で今面白そうなイベントがあっていると聞けばすぐに駆けつける。そして「イベントは終了しました」という知らせを見て「ああ一足遅かったか」という経験をしたことのある人もたくさんいるだろう。 

 私は、バーチャル大会は世界中の一体感を出すためにストリーミングライブ、つまりリアルタイムでやるのがよいと思っている。そうなると国によっては真夜中にランニングマシンで走らなければいけない国も出てくるわけだが、遊びなのだからそれもいいだろう。 

 「お、東京オリンピックは何か面白そうなことやってますね」。「リアルの方は中止になったって聞いてましたけど、ネット上でこんな面白いことやってたんですね」。世界中の人にそう言ってもらいたい。そして世界中の人々が集まって、リアルタイムで自国の選手へ応援コメントなどをして盛り上がったら、どんなにか楽しいだろう。

 

「みんな、今すぐ"Tokyo Virtual Olympic Games"で検索してみて!めっちゃ楽しいことやってるから」

「本当だった…」

東京オリンピック中止になったと思っていたのに、密かにこんな面白そうなことやっていたとは…」

世界中の人たちにSNSでそう呟いてもらいたい。

 

 私は東京人として日本人として、世界の人々が「その発想はなかった」、「COVID19を逆手にとってオリンピックをバーチャルでやっちゃおうなんて、日本人の発想はクレイジーだな」と良い意味で言われたい。

 また、このような大会を開くことは、日本がテクノロジーの先進国であるというプラスのイメージを諸外国に対して与えることにもなる。(実際の技術の部分は外国企業に頼っていたとしても。) 

 「いつもの」オリンピックではない。見たことない、なんだか楽しそう、どうやって走るの?、どうやって順位を決めてるの?、どうやって観戦するの?、初めてのワクワクがいっぱいのオリンピック。すっかり巨大な商業五輪になってしまったオリンピックから、「なんだなんだ、なんか面白そうなことやってるな」と言って人々が集まってきた、あのオリンピックの原点を取り戻すことができる絶好の機会なのだ。

 

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dragoncry.hatenablog.jp

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日本の暗号通貨税制は世界最悪

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 暗号通貨の世界は、世界的には魅力的だが、日本では魅力的ではない。日本における暗号通貨は“死んでいる”。
 
 日本の暗号通貨に対する税制は世界最悪に近い。よく「日本は暗号通貨に寛容な国」みたいな言葉も聞くがそんなことはない。日本における暗号通貨に対する税は世界一厳しい。
 
 特に酷いのは暗号通貨で買い物をする時に所得税がかかるところである。円に交換した時に所得税をかけるのはまだしも、暗号通貨でそのまま買い物をした時にまで税がかかる。これでは誰が暗号通貨で買い物をしようと思うだろう。BTCで買うより円で買う方が明らかに得なのだから誰だって円でしか買わないだろう。
 
1. 世界に類を見ない高税率
 世界の多くの国では20%以下。日本は最大で55%という世界に類を見ない高税率。
 
2. 短期長期の区別がない
 アメリカ、ドイツでは短期と長期の区別がある。区別の境目は1年。1年以上の長期保有の場合は税率が低くなるか無くなる。日本にはこの区別がない。
 
3. 低い基準額
 納税義務が発生する基準額は、アメリカは80,000ドル/年。日本は200,000円/年。1ドル110円で計算すると、アメリカと日本は約44倍もの開きがある。
 
 上記三つの内、1ばかりが注目されがちだが2と3も重要である。日本の税制はおかしいから変えましょう、という意見はネット上でも偶に目にする。だがそのほとんどは所得区分を「雑所得」から「譲渡所得」に変えましょうという話だ。所得区分を変えることで税率を20%に抑えることができる。
 
 だが抑々、暗号通貨という新しいものを既存の枠組みのどこに当て嵌めるか、と考える考え方がおかしい。暗号通貨用の新しい税の枠組みを考えるべきではないか。元々、暗号通貨に税をかけたり監視・規制を強めるのはマネーロンダリングや金融犯罪に備えるためである。そのため他国では短期長期で区別する。短期での売買は不正目的もあり得やすいため長期にくらべて税率を高くしている。だがすべてを厳しくしすぎてしまうと“常用”までができなくなってしまう。そのため所有し始めてから1年以上経っている暗号通貨に関しては税を緩くしている。日本はすべてを厳しくしすぎて“常用”までできなくなってしまっている国だ。
 
 アメリカでは長期保有していれば、且つよほどの大きな額の買い物でなければ、暗号通貨での買い物に税はかからない。ドイツもイギリスもオーストラリアも暗号通貨に対する税は日本よりずっと緩い。長期か短期かで分けるのは、短期だと不正・不当に稼ごうとする輩が出てくるからだろう。日本でもそういう短期の取引による儲け目的のようなものはきちんと規制すればよい。そういう規制は十分に厳しくした上で、そういう儲け目的ではない通常のユースケースについては税は外すべきだ。
 
 東京の一人暮らしの人が一か月にかかる支出は約20万円だという。一年で約240万円だとすると、アメリカの基準80,000ドル/年なら、十分に暗号通貨だけで生活していくことができる。日本の基準200,000円/年ではとても暗号通貨で生活していけない。
 
 暗号通貨は使えてこそ。日本では、法定通貨への交換、他の暗号通貨への交換、買い物、のすべてに税がかかる。これは「暗号通貨を使うな」と言ってるに等しい。「暗号通貨には本質的に“価値の貯蔵”という価値がある」と、海外で言われている言葉を受け売りで言っている日本人をたまに見かける。だが、それは「使おうと思えば使える」という前提があるからこそ言える言葉なのだ。日本のように“使えない”環境では成り立たない。
 
 暗号通貨にかかる税のことを調べていると「保有している分には税はかかりません」という言葉によく出会す。ずっと一生保有していてそれが何になるのか。使えないものをどんなにたくさん保有していてもそのことに一体何の意味があるのか、私には分からない。
 
 日本の現在の税制では、暗号通貨を円に戻しても暗号通貨で直接買い物をしても他の暗号通貨と換えても、どの方法をとっても、とても高い税がかかる。
 
 日本人は貯蓄好きで使わないのが問題だ、と長らく言われてきた。使わないから経済が回らず不景気になるのだ、と。だが、暗号通貨にかかる税制はこの傾向を後押ししている。株や不動産に比べても、あるいは海外と比べてもかなり高い税が、日本の人々に暗号通貨の利用を躊躇わせている。
 
 私が調べたかぎりでは、中国のような特殊な国を除いて、日本の暗号通貨税制は世界最悪である。世界の多くの国では、暗号通貨にかかる税制はまだ決まっていない。シンガポール、マレーシア、ポルトガルのように、暗号通貨の個人使用に税がかからない国もある。アメリカ、ドイツ、オーストラリアも暗号通貨の使いやすい国だ。それに比べて日本は、突出した高税率、短期長期の区別なし、低い基準額という点で世界最悪の税制になっている。
 
 ボリビアエクアドルでは暗号通貨は全面的に禁止されているという。その方がまだマシだと思える。「ボリビア政府は暗号通貨が嫌い、だから一切禁止します」。その方が筋が通っている。日本は「暗号通貨は購入も所有も自由ですよ。その代わり使う時はいかなる形であっても世界一高い税を取りますけどね」。
 
 日本政府は暗号通貨への規制を強める時によく「利用者保護のため」と言う。たしかに近年は暗号通貨界隈では詐欺か詐欺紛いの話が横行し被害に遭っている人も増えていると聞く。だがこれではまるで政府が巨大な詐欺集団だ。騙し、囮捜査、低俗なTV番組やYouTubeチャンネルで見るドッキリを行っているようなものだ。実際にはほぼ“使えない”通貨を購入も所有も自由ですよと言っているのだから。悪い人たちによる“不当な”金儲けの手段になることを心配しているのなら、他の暗号通貨や金(ゴールド)や宝石など換金性の高い物だけに税をかけて、食料品、湿布、糊、電球などのような日用品については非課税とすべきだ。一方では「NISAは非課税」などと言って投資を勧める政策をとりながら、一方では貯蓄を勧めている。
 
 「だからBTCではなくJPYがオススメなんですよ」と言いたいのかもしれないが、今、たくさんの日本人が円を暗号通貨に換えてホ一ルドしている。これは円の死蔵である。昨年から今年にかけて、日本の主要な暗号通貨取引所の新規アカウント開設数が急増しているというニュースも見た。どのぐらいの割合の日本人が暗号通貨を使い始めているのか具体的な数字は判らないが相当数の日本人が暗号通貨を購入し所有している。そして価格の高騰を受けて円に戻したり他の暗号通貨に換えてみたりした人たちもたくさんいるだろう。近い将来、確定申告の時期に悲鳴を上げる人がたくさん現れるだろう。会社員の人たちは確定申告はやったこともないだろうし、特に一つの暗号通貨で別の暗号通貨を購入した場合、それを複数回繰り返していた場合などは計算がとても難しくなる。
 
 日本は世界でもいち早く暗号通貨に関する税のルールを整え、暗号通貨フレンドリーな国と見られている。しかしそれは表の顔で、入口では両手を広げているが、出口では首を絞め上げている。今はまだ気付いている人も少ないが、これから徐々に日本人も「日本では暗号通貨は使えない」ということに気付き始めるだろう。
 
 悪用は厳しく取り締まるべきだが、常用、日常の用まで奪うべきではない。こんなことでは日本は暗号通貨の世界で一人だけ遅れて取り残されていくだろう。
 
 
※一般には「仮想通貨」と呼ばれ、政府は「暗号資産」という言葉を使っているが、私は暗号通貨に初めて出会った時から通貨として使えることが大事だと考えているので、この記事では「暗号通貨」という言葉を使っている。
※調べて書いたが、私は税や法律にはあまり詳しくないのと情報が旧くなっている可能性もあるので、日本および世界の税制について正しい情報を知りたい方は他のサイトを当たってほしい。
 
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マイナンバーとマイナンバーカードの違い早見表

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 マイナンバーとマイナンバーカードがごちゃごちゃになってしまっている人は非常に多い。この二つは名前が似ていることに加えてマイナンバーカードにマイナンバーが搭載されているので、政府が何か計画を発表するたびにこの二つを取り違えた的外れな批判が起きる。
 
 例としては、「マイナンバーカードで成績を管理する」という計画が発表された時に「マイナンバーで成績が管理されるなんて恐ろしい」という批判が出た。あるいは、「ワクチン接種をマイナンバーで管理する」という計画が発表された時に「マイナンバーカードを持ってない人はワクチン打てないんですか」という批判が出た。
 
 こういう的外れな批判の数々は、多くの人々がマイナンバーとマイナンバーカードの違いをきちんと理解していないことから起こる。
 
 私は政府の政策に批判的な立場だが、国民がもっと“正しく批判する”ためにこのブログでもマイナンバー制度に関する記事をたくさん書いてきた。まるで政府の手先のようになって。
 
 今回はマイナンバーとマイナンバーカードの違いの早見表を書いてみた。

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1. 何
マイナンバー:12桁の数字列(番号)
マイナンバーカード:プラスチック製の札(ふだ)
 
2. 誰が使う
マイナンバー:国、行政機関、公的機関
マイナンバーカード:国民
 
3. どこで使われる
マイナンバー:バックオフィス
マイナンバーカード:フロントオフィス
 
4. どのような目的
マイナンバー:情報連携
マイナンバーカード:本人確認(身分証明)
 
5. 用途制限
マイナンバー:あり
マイナンバーカード:なし
 

1.何

 マイナンバーとは12桁の個人番号のこと。マイナンバーカードはプラスチック製の札。ただし電子証明書に関してはスマートフォンに格納する計画がある。

2. 誰が

 マイナンバーとマイナンバーカードの違いで重要でありつつ見落とされている部分。使う主体。マイナンバーは行政機関、公的機関が使うもの。マイナンバーカードは国民が使うもの。マイナンバーで管理する主体は国であり、マイナンバーカードで管理する主体は国民である。なので例えば「マイナンバーカードで成績を管理する」と言ったら、それは国が管理するのではなく国民自身が管理する。使う主体は誰なのか、ということが分かっているだけで勘違いも少なくなると思う。

3. どこ

 マイナンバーカードはフロントオフィス、マイナンバーはバックオフィスである。オフィスに例えるなら、マイナンバーカードは店舗で、マイナンバーは本社ビルで使われる。店舗に例えるなら、マイナンバーカードは窓口で、マイナンバーは裏の従業員専用部屋で使われる。使われる場所の違いもマイナンバーとマイナンバーカードを見分ける要素になる。

4. 目的

 両者はその目的も違う。マイナンバーの目的は情報連携。マイナンバーカードの主たる目的は本人確認。ただし、このブログでも再三言っているように、マイナンバーカードの身分証明証としての使い方はオフライン(対面)ではなく主にオンライン。身分証明証というとほとんどの人は役所や店舗の窓口で「今日は何か本人確認できるものはお持ちですか?」と聞かれて、「はい、持ってきましたよ、マイナンバーカード」と言って財布の中からマイナンバーカードを取り出すようなシーンを思い描いているだろう。たしかにマイナンバーカードはそういう使い方もできるが主にはオンラインで使うことが想定されている。これからの時代は「役所を訪れる」というのは実際に役所まで足を運ぶことではなくて、役所のホームページを開くことを意味する。同様に「携帯ショップを訪れる」も、リアル店舗に足を運ぶわけではなくて自宅にいながら携帯電話会社のサイトまたはアプリを開くことを意味する。その時になりすましを防ぐために本人であることを証明する必要が出てくる。そこで使われるのがマイナンバーカードである。(マイナンバーではない。)マイナンバーカードをカードリーダーに翳して「本人ですよ」ということを証明する。

5.  用途制限

マイナンバーって限られた用途にしか使っちゃいけないんじゃなかったの?なんで保険証や運転免許証と紐付けられようとしてるの?」。これもよく聞く誤解。マイナンバーは用途が制限されているが、マイナンバーカードの用途に制限はない。
 
 以上のことが分かっていれば、ある場面においてマイナンバーが使われているのか、それともマイナンバーカードが使われているのか、判別がつきやすい。
 
練習問題:コンビニで住民票の写しを取得する時に使われるのはマイナンバーかマイナンバーカードか。
 
答え:マイナンバーカード
 
誰が使う→国民(である私)が使う。
どこ→フロントオフィス(目に見える場所)で使われる。複合機から紙が出てくるのが目で見える。
目的→本人確認。他人の住民票を勝手に取得できてはまずいので、複合機が「本当にご本人ですか?」をチェックしている。
 
 以上の点からコンビニで住民票の写しを取得する時に使われるのはマイナンバーではなくマイナンバーカードであることが判る。
 
 特に大事なのは「誰が」という点で、ここがわかっていれば政府が「ワクチン接種においてマイナンバーを使う」と言った時に「マイナンバーカードを持ってない人はどうするんですか?!」といったような恥ずかしい間違いを言わなくて済む。マイナンバーを使うのは国民ではなく国であるということがわかっていれば。
 
 最後に少しややこしい話を付け加えると、マイナンバーカードの中にはマイナンバーが入っている。ここが人々がマイナンバーとマイナンバーカードを混乱する原因の一つだと思う。
 
 以前、とある弁護士が「マイナンバーカードのICチップの中にはマイナンバーは入っていません」と書いている記事を見かけたことがある。それは間違いで、マイナンバーカードの中にはデジタルの形でマイナンバーが入っている。電子証明書の中にはマイナンバーは入っていないがマイナンバーカードのICチップの中にはマイナンバーが入っている。つまりマイナンバーはICチップの中だけど電子証明書の外、という場所に入っている。弁護士が間違っているぐらいなのだから人々が理解していないのも無理はない。
 
 で、マイナンバーカードの主な利用目的は上にも書いたように本人確認である。この時は電子証明書を使う。なのでマイナンバーは“蚊帳の外”なのである。ではなぜマイナンバーカードの中にマイナンバーが入っているのか?それは国が「あなたのマイナンバーは?」と聞くことがあるからである。その時いちいち役所まで足を運んで職員にプラスチックカードを提示したり、家でマイナンバーカードをスキャンしてPDF画像にしてメールに添付して送信して、などとやっていたのでは情けない。
 
 あと、マイナンバーカードのことを略して「マイナンバー」と言ってはいけない。混乱の元。
 
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東京オリンピックはインターカレート大会としてオンラインで

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 東京オリンピックは開催か中止か、という二択の話になってきている。
 
 私は日本人として、東京人として、オリンピックは招致段階から反対している。
 
 ただ一旦決まってしまっていると、それを中止した場合にはアスリートたちが気の毒だ。四年に一度の機会に照準を合わせて練習を積み重ねてきていたのに、その発表の場が突然奪われるのはかわいそうだ。かと言って、Covid19の問題を無視するわけにもいかない。
 
 そこで私が提案したいのは、東京オリンピックをインターカレート大会、つまり非公式大会としてオンラインで行う、というものだ。
 
 東京オリンピックは2020年に開かれなかったという時点でオリンピック憲章に反する可能性が高い。このことは以前書いた記事を参照してほしい。一方、Covid19で問題になるのは、リアルにたくさんの人が集まり、またそのための移動があるということだ。
 
 であれば、リアルに人が集まらない大会にすればいい。ヴァーチャル、すなわちオンラインで大会を行うのだ。
 
 例えば陸上100m走だったら、選手たちは各国各地域で走る。その映像を繋ぎ合わせて並んで走っているように見せる。当然、気象条件や風速などのコンディションが大きく異なっているので、タイムは参考記録、順位も参考順位である。そしてこの参考順位に従って、金メダル(仮)、銀メダル(仮)、銅メダル(仮)を授与する。映像を流すプラットフォームは限定する。このことによってスポンサー企業の広告収入を確保できる。
 
 このオンラインによる方法では、すべてが参考記録、(仮)(かっこかり)になるので、大会をまるごと非公式大会と位置づけることに違和感がない。
 
 但し、すべての競技種目でこのオンラインによる実施が可能かと言うとそうではない。オンラインで実施できそうな競技とできなさそうな競技にざっと分けてみた。
 
<オンラインで実施できそうな競技>
アーチェリー、アーティスティックスイミング、ウエイトリフティングスケートボード、スポーツクライミングトライアスロン、トランポリン、マラソンスイミング、飛込、近代五種、競泳、陸上、馬術、射撃、体操
 
<オンラインで実施できなさそうな競技>
バスケットボール、ゴルフ、サッカー、カヌー、セーリング、サーフィン、テコンドー、テニス、バドミントン、バレーボール、ハンドボール、フェンシング、ボクシング、ボート、ホッケー、ラグビーレスリング、空手、柔道、水球、野球・ソフトボール、卓球、自転車
 
 柔道、レスリング、バドミントン等、「相手と組む」必要がある競技種目はオンラインではできそうにない。もっともこれは私の頭が固いだけかもしれないので、「こうすればオンラインでも柔道が可能!」というアイデアがあれば、ぜひコメント欄で教えてほしい。
 
 アスリートたちには活躍の場が必要だ。「活躍」というのは単に記録が出る、という意味ではない。誰も見ていないところで記録を出すのではなく、皆が見ているところで勝つ、のが活躍である。だからオンラインで開催し、活躍するところを世界中の人に見てもらう。
 
 今から115年前の1906年アテネ大会もインターカレート大会だった。この大会は非常に盛り上がったと聞くが、IOCが定めるオリンピックの歴史には載っていない。西暦が4で割り切れない年に開催されているからだ。
 
 東京も同じようにインターカレート大会にすればいい。あるいは、以前の記事にも書いたように第700古代オリンピアードとして実施してもいい。何れの名目でも近代オリンピックとしては非公式の扱いであることは同じだ。それに記録や順位が参考記録でしかない以上、公式大会と位置付けるのも難しい。
 
 この方法で、すべてではないが、いくつかの競技種目を実施することができる。実施できる競技だけでもオンラインで実施してはどうか。公式大会ではないのだからすべての競技を必ず実施する必要はない。
 
 「そういう風に各地で走ったり泳いだりすることすらできない、参加選手を集めることもままならない状況の国はどうしたらいいのか」と言う人がいるかもしれないが、そういう国は無理に参加しなくていい。非公式大会なのだから参加できる余裕のある国だけが参加すればいい。
 
 ただ、オンラインで実施できる競技とオンラインでは実施できない競技の間の競技格差がある。陸上、競泳、体操、等は「タイム」や「得点」があるから、「好タイム」や「高得点」を叩き出すことである程度「活躍」できるのだ。柔道やレスリングのような競技ではタイムや得点が無いので、「相手に勝つ」ということでしか凄さを表現できない。そういう、凄さを表現できにくい競技ほどオンラインでは実施しにくい、というのは何とも皮肉な話ではある。
 
 東京オリンピックはリアル開催か中止か、という二択以外に、「オンライン開催」という選択肢を考えてもいいのではないか。パラリンピックもオリンピックに準じる形で開催したい。
 
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「東京」オリンピックとは何か 〜東京オリンピックはどこで開催されるオリンピックか〜

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 「東京」オリンピックとは何か。
 
 東京オリンピックとはどこで開催されるオリンピックなのか。言い方を換えれば、東京オリンピックの「東京」とはどこなのか。
 
 ずっと疑問だった。長年、疑問だったが、ネットで検索してもどこにも答えらしきものは見つからず、それどころか、そういう疑問を発している人もいなかった。
 
 日本で前回、開かれたオリンピックは1998年冬季長野オリンピックである。また、実現はしなかったが2008年のオリンピックを大阪で、2016年のオリンピックを福岡で誘致していたこともあった。もし誘致が実現していれば「大阪オリンピック」「福岡オリンピック」があった。
 
東京オリンピックは東京都が、
長野オリンピックは長野県が、
大阪オリンピックは大阪府が、
福岡オリンピックは福岡県が、
 
それぞれ開催するオリンピックで何も疑問は無いじゃないか、と思うかもしれない。
 
 しかし、長野オリンピックの一つ前に日本で開かれたオリンピックは1972年の冬季札幌オリンピックここまでずっと都道府県が並んできたのに、なぜいきなり「札幌」という「市」がオリンピック名になっているのか。「北海道オリンピック」ではないのか?「北海道はさすがに大きすぎるから札幌市という市が立候補したのでは?」と思う人もいるかもしれないが、そうではない。
 
 実は、長野オリンピックは「長野県」ではなく「長野市」が開催したオリンピックだった。そして、大阪オリンピックは「大阪府」ではなく「大阪市」が、福岡オリンピックは「福岡県」ではなく「福岡市」が誘致していたオリンピックだった。長野や大阪や福岡は、たまたま府県名と府県庁所在地の市名が同じだから、県が開催しているのか市が開催しているのかが分かりにくいのだ。
 
 1988年の夏季オリンピックには「名古屋オリンピック」誘致活動があった。ここまで来ればはっきり分かる。札幌も名古屋も長野も大阪も福岡も、すべて「市」が開催(を目指)した大会だったのだ。
 
 「東京」だけが異質なのだと気付く。札幌、名古屋、長野、大阪、福岡はすべて「市区町村」単位の誘致・開催なのに、東京だけが「都道府県」単位である。単位が異なっているのである。東京オリンピック2020」は、誘致を言い始めたのは石原都知事IOC総会で「TOKYO」が選ばれて万歳していたのは猪瀬都知事、今は小池都知事が、前面に出てきてオリンピックに関する活動をしている。オリンピックが開催されれば都知事は開会式や閉会式にも出てくることだろう。
 
 札幌オリンピック長野オリンピックでは、式典に出てくるのは札幌市長、長野市長であって、北海道知事、長野県知事ではない。なぜ、東京オリンピックだけが都知事が出てくるのか。東京オリンピックは「東京都オリンピック」なのか?
 
 過去に開催された、あるいは誘致計画があった、他のすべてのオリンピックが「市」単位のオリンピックなのに、東京オリンピックだけが「都道府県」単位のオリンピックなのはなぜなのか?都道府県単位にならうなら、札幌オリンピックは「北海道オリンピック」、名古屋オリンピックは「愛知オリンピック」でなければおかしい。逆に市単位にならうなら、東京都の場合だったら、三鷹市が開催する「三鷹オリンピック」とか、八王子市が開催する「八王子オリンピック」のようでなければおかしい。
 
 本当に「東京」オリンピックではなく、「東京都」オリンピックなのか?開催都市契約では、”THE CITY OF TOKYO”、直訳すると「東京という都市」となっている。しかし和訳版では「東京都」となっている。そしてそれを「開催都市」と呼んでいる。
 
 「東京都」ではなく単に「東京」と言った場合には東京23区のことを指す場合がある。東京の区は特別区と言って23区を一つの「市」のようなものとして見做すことがある。例えば次のようなランキングを見たことがあるだろう。
 
1位. 東京 約951万人
2位. 横浜 約373万人
3位. 大阪 約272万人
4位. 名古屋 約231万人
5位. 札幌 約195万人
6位. 福岡 約157万人
 
 これは全国の市の人口ランキングである。2位以下が「市」の人口なのに1位だけ「都」のわけがない。ここで言う「東京」とは23区の人口を表している。
 
 つまり、東京オリンピック2020は「東京23区オリンピック」であると考えることもできる。23区の「市長」に当たる存在がいないから、代わりに東京都知事が「東京市長」として東京23区にオリンピックを誘致した、と。「東京オリンピック」とは「東京市」で開催される「東京市オリンピック」である、と。
 
 現在は「東京市」という市は無い。戦前は「東京市」という市があった。それは15区から始まった。今の千代田区中央区、港区、新宿区、文京区、台東区江東区あたりである。そこから段々地域が拡大して行き最終的に23区になって「東京市」は無くなった。だが今でも23区は嘗ての東京市の名残りであり最終型である。
 
 東京オリンピック2020の会場は分散している。
 
 大抵の競技は国立競技場周辺か東京湾岸周辺で行われる。だが、テコンドーやレスリングは千葉市で、バスケットボールや射撃、ゴルフは埼玉県で、自転車は静岡県で、野球・ソフトボール横浜市福島市で行われる予定になっている。
 
 オリンピック憲章では「すべての競技の試合および開会式と閉会式は、原則としてオリンピック競技大会の開催都市で実施されるものとする」と決まっている。ただし例外が認められる、と書いてある。東京大会は随分と例外の多い大会である。そして最も遠いものは、サッカー、マラソン競歩が札幌市で行われる。しかし、「東京市オリンピック」ならば、こうした他道県の会場だけではなく、東京都調布市が会場になっているサッカーやバドミントンだって「東京(市)」以外の地域で行われる競技ということになる。
 
 だが仮に、この「東京市オリンピック」という考え方にしたとしても、開催する主体は「東京都」である。
 
 東京は一つ一つの区、市単位でも人口規模や財政規模が大きいが、「東京都」となるとずっと大きい。東京都と言うときは西の奥多摩の山々や太平洋上の遠い島嶼部まで含み、その地域は広大で人口も財政規模も巨大になる。
 
 東京オリンピックは元々2016年の夏季オリンピックに立候補しており、その際、国内の候補地を一本化するときに福岡と争った。この時の闘いは、
 
東京都 vs. 福岡市
 
だったということだ。
 
 東京「都」 vs. 福岡「県」ですら東京都の方があらゆる面で規模が上なのに、東京「都」と福岡「市」の争いだったら、これは大人と子どもの闘いのようなものだ。この時、「福岡市の財政は大丈夫なのか」と福岡市の財政状況を心配する声が出た。「市」と「都」の財政規模は当然大きく違う。国内誘致合戦の段階で「市」と「都」が争うという不公平について議論がなければおかしいではないか。
 
 私は「東京都オリンピック」であることが不服なわけではない。そうではなくて、「市」と「都」と単位が違うこと、「札幌オリンピック」と「東京オリンピック」の単位が異っていることに、どうして誰も疑問の声を上げないのか。それが信じられないのだ。
 
 以上、パラリンピックも基本的には同様である。*1「オリンピック・パラリンピック」と書くと長くなるので「オリンピック」と表記した。
 
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*1:但し、「札幌パラリンピック」は存在しない。

DXとは何か 〜日本のDXに缺けているもの〜

 

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「デジタルがやって来る」と「デジタルを持って来る」の違い

 一昔前に「イノベーション」という言葉が流行ったように、今は「DX(デジタルトランスフォーメーション)」という言葉が流行っている。だが誰も「DXとは何か」ということが解っていないように見える。
 
 DXとは、「あるべき姿」としてデジタルが使われている社会を想定し、そこに向かって変革していくことである。これがDXの思想である。「あるべき」とは、例えばそれが「普通」「当然」だと思っていることである。
 
 東京から九州にいる人に伝えたいことがある。今ならメールを送ればいい。メールがなかった時代にはハガキか便箋を送った。メールが登場し始めた初期の頃はどうか。
 
「メールで送る?ああ、最近の電子メールっていうやつね。身近にパソコンに詳しい人がいるならそれで送ってもいいと思うけど、あなたパソコン詳しくないでしょ?わざわざ電子メールなんか使わないで普通にハガキで送れば?」
 
 当時の人はそう言っただろう。ハガキが「普通」でメールは「わざわざ」なのだ。だが今の時代の人の感覚は逆で、メールが「普通」でハガキは「わざわざ」である。この、何を「普通」と思うか、という感覚が「あるべき」ということである。
 
 「普通」は「普く通っている」なので、すでに普及している状態である。メールが普及しきった時代には、「メールが普通」と考えられるだろう。メールがまだ普及していない、出始めの頃に、それが「自然」、「当然」という感覚を持てるか。
 
 「当然」とは「まさにしかあるべし」ということである。東京から九州にメッセージを伝えるのに、メールを使わずにハガキや手紙を使うのは「不自然」に感じる。「わざわざハガキを使うのは何か理由があるんですか?」と聞きたくなる。この感覚を、まだメールがさほど一般的になっていない時点で持てるかどうか。
 
 持てる場合は、「メールが当然」即ち「まさにしかあるべし」という理想像を持てているのだ。
 
 持てない場合は、メールが普及して「メールの時代」になるのを待たなければならない。そして自分たちの作為とは関係なくメールが向こうからやって来るので、それに“対応”しなければならない。メールの時代がやって来てしまったので、メールアドレスを作ったり、メールソフトの使い方を覚えたりしなければならない。
 
 前者は「メールを持って来る」のだが、後者は「メールがやって来る」という違いがある。
 
 欧米におけるDXとは、やりたいこと、実現したい社会の形があって、そのためにデジタルを持って来てトランスフォームする。
 

日本のDXは“対応”

 日本における場合は、やりたいことや実現したい社会の形というものはなくて、デジタルが向こうからやって来たのでそれに対応するために自分たちの行動の変化(トランスフォーム)を迫られている。この変化のことをDXと呼んでいる。
 
 欧米が「DX」と呼んでいるものと日本が「DX」と呼んでいるものにはこのように根本的な違いがある。
 
 それを特徴的に示しているのが、経産省の言う「DX」である。日本の「DX」の定義を知るには、国が定めた定義を見るのが一番早い。経済産業省が2018年に「DX推進ガイドライン」というものを発表していて、その中にDXの定義が次のように書かれている。
 
企業がビジネス環境の激しい変化に対応し、データとデジタル技術を活用して、顧客や社会のニーズを基に、製品やサービス、ビジネスモデルを変革するとともに、業務そのものや、組織、プロセス、企業文化・風土を変革し、競争上の優位性を確立すること。
 
 また、同じ2018年に発表された『DXレポート~ITシステム「2025年の崖」の克服とDXの本格的な展開~(サマリー)』には次のように書かれている。
 
既存システムのブラックボックス状態を解消しつつ、データ活用ができない場合、1)データを活用しきれず、DXを実現できないため、市場の変化に対応して、ビジネス・モデルを柔軟・迅速に変更することができず→デジタル競争の敗者に
 
 「ビジネス環境の激しい変化に対応し」、「市場の変化に対応して」。どちらにもはっきりと「対応」と書かれている。ここに日本が「DX」というものをどのように捉えているかの本質が如実に表れている。日本のDXは、環境の変化に対する「対応」なのだ。
 
 また、経産省のDXの捉え方には、もう一つ問題がある。それは、『ガイドライン』では「競争上の優位性を確立すること」、『レポート』では「デジタル競争の敗者に」と書かれているところである。このレポートが企業の経営者層向けに書かれていることを考慮しても、勝ち負けを基準にして考えているのはひどい。
 
 勝ち負けを基準にして考えるのも「やりたいこと」がないからである。国が「DX」を謳うのは、「このままでは日本は諸外国に遅れを取ってしまう」「海外の国に敗けたくない」という焦りの表れであり、それはつまり、DXという世界の流れに「対応」しましょう、そして何とかがんばって世界の流れに付いて行きましょう、ということしか言っていない。
 

日本のITは“対応”から始まっている

 さらには、そもそも日本のITに対する考え方の根幹とも言える2000年に制定されたIT基本法高度情報通信ネットワーク社会形成基本法)の第一条は次のような言葉で始まっている。
 
(目的)第一条 この法律は、情報通信技術の活用により世界的規模で生じている急激かつ大幅な社会経済構造の変化に適確に対応することの緊要性にかんがみ、
 
 全部で三十六条からなるこの法律も「対応」という言葉で始まる。2000年。日本がこれからIT国家として歩んでいきましょう、というその年に謳われた精神は「対応」だった。日本のITは「対応」から始まっている。
 

日本のDXに缺けているのは「こう変わりたい」という理想像

 DXの思想とは、単なる「デジタル化」ではない。今まで紙で処理していたものをデジタルに置き換えることではない。デジタルに「変わる」ことでもない。日本ではデジタルに変わることが目標のようになってしまっているから「変わらなければ!」となる。
 
 そうではない。DXの思想とは、変わりたい理想像があって、そこへ向かう道の過程でデジタルを持って来ることである。「変わらなければ!」と「変わりたい!」の違いとも言える。
 
 そしてこの「変わりたい」は単なる「デジタルに変わりたい」ではない。どう変わりたいのか、その姿を思い浮かべることができていなければ、ただデジタルに変えればよいのだと思っている大勢の人がてんでバラバラの迷走デジタル社会を作り上げてしまうだろう。
 
 「やりたい」の闕如は、DXに限らず万事における日本の特徴である。
 
 例えば、近年話題のCBDCなんかもそうだ。世界各国の中央銀行がCBDCの研究、検討に入り始めている。中国はもうすでに出来上がっているという話もある。日本銀行もこれに遅れじとCBDCの研究を進めている。
 
 だがここにも世界と日本の「差」がある。それはCurrencyの出来栄えの差でもないし、進捗度の差でもない。「やりたい」の差である。中国などは、やりたいことはもうはっきりしている。中国がCBDCを作る理由、それは中国共産党政府が国民を監視、管理したい、ということだ。極めて明快な理由だ。日本は、やりたいことがはっきりしていない状態でCBDCに取り掛かっている。そして国民に「CBDCはどういうことに使ったらよいでしょうか」と訊いている。
 
 誤解なきように言っておくが、私は監視管理なんてまっぴらだし、そんな社会は嫌である。良い目的か悪い目的かは置いておいて、中国はやりたいことははっきりしている。
 
 やりたいこともないのに、「みんなが始めているみたいだから私たちも始めたほうがいいのかなぁ」で始めるのは滑稽である。
 
 「これが当然であるべき」という感覚、「こうありたい」という理想像がない状態でのDXとは何なのか。日本で今盛んに言われている「DX」には、この感覚が大きく闕如している。
 
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年末年始休という謎の休み

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 昔からずっと不思議である。
 
 年末年始はなぜ休みなのか。
 
 年末年始が休みであることに何の疑問も持ってない人は、カレンダーを見てみてほしい。1月1日は赤字で書かれている。だがそれ以外の12月31日や1月2日は黒字で書かれている。(たまたま土曜日だったら青字で書かれていることもある。)
 
 カレンダー通りに過ごすなら、12月31日までは仕事で、1月1日は休み、1月2日からはまた仕事である。なぜなら12月31日や1月2日は平日だからである。1月1日だけは元日(がんじつ。元旦《がんたん》ではない)という祝日なので休み。
 
 年末年始は企業も官公庁も当たり前のように休んでいるが、いったい何の根據があって休んでいるのか。
 
 公務員の場合は、「一般職の職員の勤務時間、休暇に関する法律」という法律があって、その14条で12月29日から1月3日までは休日と定められている。この法律を元に休んでいるわけだ。しかし、この法律は公務員や行政機関にのみ適用される。その他の民間企業、店、病院等は特に決まった法律があるわけではない。そしてこの法律の起源は明治6年に定められた官規である。
 
 ゴールデンウィーク、盆休み、年末年始。大体の日本人にとってまとまった休みは、一年でこの三回だけである。そしてたったのこの三回に皆で一斉に休みを取る。なぜ「いっせーのせ」なのか。
 
 毎年、12月29、30日頃には帰省ラッシュのニュース、1月3日、4日頃にはUターンラッシュのニュース。東京駅で新幹線から降りてきたお父さんがぐったり疲れきった様子で「明日からまた仕事です」とTV局のインタビューに答えている。これで「休んだ」ことになるのか?日本人は渋滞や長蛇の列に並ぶのが趣味なのか?全国で同時期に一斉に休むからこういうことになる。
 
 「実家に帰って正月を迎える準備をしなければ」と言う人もいるかもしれない。私の祖母は伝統的なしきたりや慣習をとても重んじる人で、11月頃から何週間もかけて正月をきちんと迎える準備をしていた。たったの一日や二日で何が準備できると言うのか。
 
 「せめて三が日ぐらいまでは正月気分でいたい」と言う人がいるかもしれない。だが、それもおかしいのである。今のお年寄りたちに話を聞くと、昔は1月20日くらいまでは正月気分で、会社に行っても働いているような働いていないような、という雰囲気で、20日を過ぎた頃くらいから徐々に元通り真面目に働き出す、という会社が多かったらしい。それは会社だけではなく店も同じで半分休業半分営業という雰囲気が世の中全体にあったと言う。つまり、昔はもっと「正月」というものは長かったのに、段々と短くなっていって、今では1月2日にはもうすでに正月気分はない。
 
 「正月」は昭和の頃に比べてどんどん短くなり、ほんの数日にぎゅっと圧縮され、その僅かな間に慌てて帰省し慌てて戻る。休み中は子ども相手と渋滞ラッシュでくたびれ果て、次の日からすぐ仕事。
 
 こんな「苦行年中行事」は改めるべきだ。
 
 「盆と正月」とよく言うが、「盆休み」の方はとっくに無くなっている。まず「盆休み」という言葉がない。大抵の企業では「夏期休暇」と言っている。そしてその夏期休暇も一昔前は8月13日〜15日頃に固定している企業が多かったが、今は好きな時に取得するよう設定している企業が多い。秋や年が開けてから「夏休み」を取る人も珍しくない。
 
 盆休みもなくなったのに、なぜ年末年始休だけが“当然のように”残っているのか。
 
 年末に関しては、「年の変わり目でいろいろと改める時期だから」と言う人もいるだろう。もっと昔は年末は「大祓(おおはらえ)」と言った。いろいろなものをはらって改めるのである。この大祓には6月末の「夏越し(なごし)の祓」と12月末の「年越しの祓」があった。
 
 実際、明治時代には6月末の数日間と12月末の数日間を連休にしましょう、という案が出された。6月末連休法案は結局申請されなかったが、こういう案が提出されるということ自体、当時の人が「6月末が連休でもおかしくない」という感覚を持っていたことが分かる。しかし、もし現代において「6月末を連休にしましょう」と言ったら皆「なんで?」と思うだろう。だが年末年始の方には「なんで?」とは言わない。人間は愚かなもので、自分が生まれた時から、あるいは生まれる前からあるものについては、それを「普通」だと思って疑うことができない。
 
 時代に合っていない旧い法律を改めて公務員は年末年始も働くようにした方がいい。もともと法律に縛られていない民間企業は率先して年末年始も働こう。
 
 あと、「年末年始まで働けと言うのか!鬼!」と言う人は、年末年始に電車に乗って初詣に行くべきではない。鉄道会社の人がかわいそうだろう。あなたみたいな人のせいで鉄道会社の人は年末年始まで出勤させられているのだ。年末年始にインターネットも使うべきではない。インターネットプロバイダー会社の人がかわいそうだろう。
 
 昭和の頃に年末年始が休みだったのは、その後1月20日過ぎまでなんとなくダラダラ休める、ということがセットとしてあった。だが今はもうとっくにそんな雰囲気は無い。それなのに年末年始休という旧習だけが残っているのは徒に日本国民を苦しめているだけだ。
 
 繰り返しになるが、私は「休むな」と言っているのではない。もっと国民全員が銘々に好きな時に休むべきなのだ。 
 
 普段、「伝統なんて要らない。時代とともに新しく変えていくべき」と言う人たちも、なぜか年末年始休に関しては明治6年の法律に何も言わず則っている。明治初期の常識で決めたことを150年近くも信奉して変えずにいるのは信じられないことだ。
 
 公務員の法律を改めよう。年末年始は休みではないようにしよう。そして、「なんとなく習慣だから」で年末年始を休みにしている会社や店も、在り方を見直すべきである。