漸近龍吟録

反便利、反インターネット的

オリンピック延期に伴って生じるオリンピアード問題

f:id:rjutaip:20200325175801j:plain

 
 昨日、日本の首相が「オリンピックを一年程度延期したい」と述べたのに対して、IOCの会長が「100%同意」した、という報道があった。
 
 このニュースを聞いて私が真っ先に思ったのは、「オリンピアードはどうするのか」ということだった。
 
 オリンピアードというのは、4年で1単位になっているオリンピックの暦である。その起源は古代ギリシア古代オリンピックにある。近代オリンピックでは1896年の第1回アテネオリンピックから始まる、4年ごとの暦になる。
 
 1896年から1899年までの4年間が「第1回」。そこから数えて今は2020年から2023年までが第32回オリンピアードとなる。
 
 で、延期になると何が問題かというと、オリンピック憲章では「競技大会はオリンピアードの最初の1年目に開催する」と決められているからである。
 
オリンピック憲章32-1
オリンピアード競技大会オリンピアードの最初の年に開催され、 オリンピック冬季競技大会 はその 3 年目に開催される。
 
 今で言えば、2020年の1月1日から12月31日までに開催しなければいけないことになる。
 
 過去には戦争などの理由で中止になったオリンピックもある。例えば、1940年の幻の東京オリンピックなんかがそうだ。だが、この時もオリンピアードという暦は継続しているので、開かれなかった1940年オリンピックにも「第12回」という「回」は振られている。つまり、中止になったからといって、回数は飛ばされない。
 
 オリンピック憲章のルールに従うなら、第32回東京オリンピックは必ず2020年末までに行わなければならない。
 
 「冬季オリンピックは簡単に開催年が変わったじゃないか」と思う人もいるだろう。今の若い人たちは知らないかもしれないが、昔は夏季オリンピック冬季オリンピックは同じ年に開催されていた。それが、1994年のリレハンメルオリンピックから夏季オリンピックの中間年に開催されるようになった。
 
1992年冬:アルベールビルオリンピック
 
 
 
 
 冬季オリンピックの開催パターンをずらしたのはおそらく盛り上がる年を分散させたい、というような理由からだと思うが、ともかくこんなに“あっさり”伝統を変えることができるのなら、夏季オリンピックだって変えられるだろう、と思うかもしれない。
 
 だが、冬季オリンピック夏季オリンピックは同じオリンピックでも違うのである。英語では夏季オリンピックは「オリンピアード」だが、冬季オリンピックは「オリンピック」である。オリンピアードの概念は夏季オリンピックに適用され、冬季オリンピックには適用されない。冬季は「オリンピック」だから開催年をずらすのは比較的簡単なのである。夏季オリンピック古代オリンピックの伝統を引いているのである。
 
 ちなみに、古代オリンピックオリンピアードの周期と近代オリンピックのオリンピアードの周期は異なる。古代のオリンピアードの4年間は、今のオリンピアードの4年間より、1年後ろにずれている。もう少し細かく言うと、古代オリンピアードは1月1日から12月31日までという数え方ではなく、夏から夏までという数え方だったので、今のオリンピアードとは1年と半年ずれている。
 
 したがって、これをもって、すなわち「古代のオリンピアード(4年単位)の復活」を名目にすれば、東京オリンピックは新しいオリンピアードの単位の元に開催することも可能であるように思われる。古代オリンピアードが現代まで続いているとすると、今は2017年の夏から2021年の夏までの「第699オリンピアード」の中にある。簡単に図にしてみた。
 

f:id:rjutaip:20200325175842p:plain  

 そして、2021年の夏からは「第700オリンピアード」というとてもキリのいい回数のオリンピアードが始まる。つまり、延期した場合、2021年の春ではなくて、2021年の夏か秋あたりに開催すれば、「(古代の)第700オリンピアード」の最初の年、に開催できることになる。しかし、上述のオリンピック憲章による「オリンピアードの最初の年に競技大会を開催する」のオリンピアードとは、1896年の1月1日から数える「近代のオリンピアード」なので、今のままではやはり憲章に抵触してしまうことになる。一番悪いのは2021年の前半、すなわち春頃に開催する場合で、この場合は近代オリンピアードの最初の年でもないし、古代オリンピアードの最初の年にもならない。
 
 では、この問題をどう解決するかというと、東京オリンピックの延期を年内にする、すなわち、2020年の11月〜12月頃に開催するか、そうでなければ、IOCの委員たちがオリンピック憲章そのものを改定して、「今回だけは例外とする」のような決まりを設けるか、若しくは今度の東京大会から古代オリンピアードの法則に従う、と憲章を変えるか、しかないだろう。
 
 ただし近代オリンピックでもオリンピックイヤーすなわち4で割り切れない年に大会が開かれた例は過去に一度だけある。1904年セントルイス大会と1908年ロンドン大会の間に行われた1906年アテネ大会である。この大会は今では特別な非公式大会という扱いになっている。
 
 なので、2021年に東京オリンピックを開催する場合、近代オリンピアードの法則は変えずに、非公式の特別大会という扱いにする方法もある。
 
【関連記事】

オリンピック延期と簡単に言うけれど

f:id:rjutaip:20200322212710p:plain

 
 オリンピック延期と簡単に言うけれど。
 
 スポーツ選手にはピークの時期というものがある。
 
 国によって、また種目によって、代表選考が終わっているものと未だのものとがある。
 
 日本では、2020年3月下旬現在、陸上の短、中距離、競泳(飛込やシンクロを除く)、自転車、フェンシング等は大部分が代表は未定である。(競泳の瀬戸選手など一部決まっている選手もいる。)一方で、柔道、空手、卓球、セーリングなどは、ほとんど代表選手が決まっている。あとは陸上の長距離もほぼ決まっている。
 
 各国とも参加するからにはメダルをたくさん取りたい。そしてメダルをたくさん取るためには、“旬”を少し過ぎてしまった選手よりも“今が旬”、“今まさに絶好調”の選手を使いたい。国や種目によっては半年も経てば「大型新人」が登場する。そんな新人の存在を知ってしまった以上、せっかくの逸材は使いたいという気持ちが国民の中にも起こってくるだろう。「あの期待の新人を出場させればメダル間違いなしなのに、なんであの選手を出さないんですか?」「二年前の代表選考の結果にこだわる必要があるんですか?!」そういうことを言い出す人がたくさん出てくるだろう。中でも柔道のように、日本の国技でありメダルがたくさん期待される種目では、なおさらそういう声がたくさん上がるだろう。
 
 私たち大人にとっては一年や二年はあっという間だが、若者にとっての一年、二年は長い。もし延期したら、二年後に素知らぬ顔の新人が「大迫選手の分まで頑張りたい(例)」などと言っているだろう。
 
 一度決まったのに、代表内定を取り消されてしまう選手はあまりにかわいそうだ。嘘の合格証書をもらったようなものだ。
 
 そういうかわいそうな選手を生まない方法を考えたい。
 

【2020年】気象会社6社による桜の開花予想レース結果発表

f:id:rjutaip:20200315150708p:plain

 
 今年も民間の気象会社6社による桜の開花予想レースを勝手に開催しました。3月14日に全国のトップを切って東京・靖国神社で桜の開花が気象庁から発表されましたので、答え合わせをしていきたいと思います。
 
 今年は2019-2020の冬が記録的な暖冬で充分な休眠打破が得られず、桜の開花もその分遅れるのではないかと見られていましたが、その後の2月、3月の気温が高かったため、全国的に桜の開花は早まると予想していた会社がほとんどでした。結果的に東京では3月14日という史上最も早い桜の開花となりました。
 
 この、例年より大幅に早かった桜の開花を見事に当てた会社はあったのでしょうか。
 
 参加社は一昨年、昨年と同様、次の6社です。
 
ウェザーマップ(東京)
・日本気象(大阪)
日本気象協会(東京)
・ライフビジネスウェザー(東京)
・島津ビジネスシステムズ(京都)
 
 今年は、予想の締切日を2月15日時点、2月29日時点、3月8日時点の3つとしました。例年は3月15日時点を最終予想日にしているのですが、今年は桜の開花予想日が3月15日頃と予想している会社が多かったため、その一週間前の3月8日を最終予想締切日としました。
 
 部門は全国で一番最初に桜が咲くのはどの都市かを当てる【全国部門】と、東京の桜の開花日はいつかを当てる【東京部門】の2部門です。
 優勝候補は一昨年に好成績を収めた日本気象、毎年好成績を残しているウェザーニューズやライフビジネスウェザーあたりでしょうか。それでは見ていきましょう。
 

全国部門

 まずは全国部門から。
 全国(沖縄・奄美を除く)で最も早く桜が開花する都市はどこかを当てます。下図に各社が予想した都市名が書かれています。括弧内の日付は開花予想日です。正解は東京(3/14)です。
 

f:id:rjutaip:20200315141331p:plain

 例年、開花一番乗りを果たすことの多い福岡、高知、東京あたりの無難な予想から始まりました。今年は各社とも九州南部は休眠打破の遅れを取り戻せないと予想していたところが多く、結果としてその予想は当たっていたのですが、問題は四国や九州北部でした。3月に入る頃から四国や九州北部も当初予想より少し遅れるのではないかと見る会社も出てきて、段々と東京一本に絞っていく過程が見られます。ライフビジネスウェザーは最終的に東京一本に絞りましたが、ウェザーニューズは最後まで福岡を捨てきれませんでした。島津ビジネスシステムズは東京を当てていましたが開花日が違いすぎました。日本気象協会は3月に入ってから東京だと気づきましたが、名古屋・岐阜と余計なものを加えてしまったのが惜しかった。ウェザーマップが東京ではなくその隣の横浜にずっと拘っていたのは謎です。そんな中、2月15日時点という早い段階からずっと東京と予想していた会社が!日本気象です。ずっと東京一本で、他の都市に浮気もしていません。東京の平年の桜の開花日は3/26頃なので、2月半ばの時点で3/16という大きく乖離した予想を出すのはかなり勇気がいることなのですが、結果的にはこの開花日もほぼ当たりました。というわけで、全国部門の優勝は日本気象です。
 

東京部門

 つづいて東京部門。東京の桜の開花日はいつかを当てます。ですが今年は東京が全国トップでしたので、実質的には全国部門とほとんど同じです。
 下図の日付がそれぞれの会社の開花予想日、括弧内の数字は実際の開花日である3/14との日数差です。正解とのずれが少なかったところを赤字にしました。

 

f:id:rjutaip:20200315143619p:plain

 実際に気象庁から発表された東京の桜の開花日は3/14でした。ウェザーマップがピタリ賞を出していますね。2月半ば時点で一番近い予想を出していたのは日本気象です。他の各社も最終的にはだいたい誤差2日以内に収めてきています。島津ビジネスシステムズは大きく外してしまっていますが、ここは人間ではなくAIが予想しているらしいので来年以降どう精度を上げていくのか注目です。
 東京部門の優勝はウェザーマップです。
 

総評

 今年は、東京で史上最も早く桜が開花し、各社とも当てるのが難しかったのではないかと思います。記録的暖冬で休眠打破が遅れた影響を重く見るか、それとも2月・3月の気温の高さの影響を重く見るか、が各社の頭の悩ませどころだったと思います。結果としてはやはり2月・3月の気温の高さの影響が大きく、東京では史上最速の桜の開花となりました。
 
 強いて総合優勝を上げるとすれば、2月半ばの時点で、都市と日付をほぼ正確に当てていた日本気象でしょう。
 
 
↓昨年、一昨年の様子はこちら。
【関連記事】

マイナンバーカード改名提案

f:id:rjutaip:20200309213805p:plain

 
 マイナンバーカードが普及しない。
 
 せっかく国が作ったマイナンバーカードが全然普及していない。
 
 このカード、一つは名前が悪いのではないだろうか。
 
 国民の中で一番多い誤解は、マイナンバーとマイナンバーカードの混同である。大手新聞社でも「○○図書館、マイナンバーで本が借りられるように」などという記事を書いているところをよく見かける。
 

 

 もちろんこれは誤りで、全国どこの図書館でもマイナンバーで本は借りられない。マイナンバーカードで本を借りられるのである。本を借りる時にマイナンバーは使わないし、図書館職員に対して呈示もしない。
 
「大手新聞社はさすがにそこら辺のことは解っていて、単にマイナンバーカードのことを略してマイナンバーって言ってるだけなんじゃないですか?」
 
 だとしたら、私はそのような略し方には反対である。マイナンバーとマイナンバーカードは大きく意味が違うからである。マイナンバーで本を借りることができたら大問題である。
 
 「ウィキペディアをウィキって略すな!」はそこそこ広まったが、私は「マイナンバーカードをマイナンバーって略すな」を広めたい。
 
 そして、マイナンバーカードの性格から考えても、これは「マイナンバーのカード」ではない。たしかにカードの裏面にはマイナンバーが書かれているし、ICチップの中にもマイナンバーが書かれているが、それはこのカードの主たる利用目的ではない。
 
 マイナンバーカードの主たる利用目的はICチップの中の電子証明書を使った個人認証。この電子証明書を知らない国民も多い。
 
 「マイナンバー制度」と一口に言うが、主に「マイナンバー部分」と「マイキー部分」から成り立っている。そのことを示すためにちゃんとキャラクターも二頭に分かれている。
f:id:rjutaip:20200309213623p:plain
f:id:rjutaip:20200309213644j:plain
 マイナンバー担当のマイナちゃんとマイキー担当のマイキーくん。
 
 「マイナンバー」という言葉はほとんどの国民が説明はできないまでも「聞いたことはある」と言うだろう。だが、「マイキー」という言葉は、ほとんどの国民が説明できないだけではなく聞いたことすらないと言うだろう。兎の知名度の高さに比べると犬のほうはほとんど知られていないと言っていい。
 
 マイナンバーカードの用途は、マイナンバーを使うこともあるが、大半はマイキー部分による公的個人認証である。だとすれば、「個人認証カード」、あるいは「電子証明カード」という名前にするのがよいのではないか。
 
 漢字では堅すぎる、せっかくだからもっと親しみやすい名前にしたい、というのであれば「マイキーカード」という名前ではどうか。
 
 このようにすれば、今は誰もわかっていない電子証明書やJPKIに注目が行くようになり、まだほとんどの国民が意識していないマイキーIDにも意識が行くようになるだろう。自分の好きなIDを設定する人も増えるかもしれない。
 
 そして、副次的効果として、マイナンバー(番号)とマイナンバーカード(プラスチック製の札)を混同する人も減ってくるだろう。
 
【関連記事】

“盥回し”と心理的距離感

f:id:rjutaip:20200226222428j:plain

 
 人間とはつくづく勝手なものだと思った。
 
 数年前、救急車の「盥回し」が大きな社会的話題になったことがあった。救急搬送された病人がいくつもの病院で受け入れを断られて死亡するケースなどがメディアで報じられた。
 
 私はそのとき新聞に同調して「盥回し」を批判したが、世間の大多数の声は「そんな批判をしてはいけない」というものだった。
 
「あんまり批判したらお医者様が萎縮する」
「現場のお医者様、病院側だって一生懸命がんばってくださってるんだから」
 
 そういう声の大合唱だった。
 
 だが。今回のCOVID-19コロナウイルスの時は、そうした声をまったく聞かない。COVID-19の時も病院に行ったら検査を断られ、保健所に相談するように勧められ、保健所に相談したら病院に相談するよう勧められ、延々と盥回しにされたという話がある。
 
 だが今回は皆、盥回し批判に同調している。誰も「そんなに責めたら病院がかわいそう」「保健所の方たちも一生懸命やってるのに」とは言わない。
 
 なぜか。
 
 なぜこんなにも、救急車盥回しの時と今回のCOVID-19とで世間の反応は違うのか。
 
 それは、人々が両件から受け取る心理的な距離感の違いから来ているのだと思う。
 
 救急車の盥回しの時は、その救急車に乗っていた患者の病気が何であるにせよ、その患者個人のことである。処置が遅れたとしても、その患者個人が亡くなるだけである。それより「盥回しだ!」と言って病院や医者を責めすぎることで医者が腹を立てて「じゃあ、もう診てやんない」と言われることの方が、よっぽど困る。なぜなら自分は将来、救急車のお世話になるかもしれないのである。
 
 一方、COVID-19は違う。皆、自分が感染させられるかもしれないという不安と恐怖を肌身に感じている。感染しているかもしれない可能性のある人を検査せずに野放しにしておくのは、我が身にリスクが降りかかってくる。感染しているかもしれない人は病院でちゃんと引き取って検査してくれなきゃ困るのである。そして自分がお世話になるかもしれないのは将来ではなくて流行中の「今」なのである。だから「今」、対応してくれなきゃ困るのである。
 
 要は、自分がどちらに近いところにいるか、ということである。
 
 この「近さ」という距離は物理的な距離ではなく心理的な距離感である。
 
 我が身に身近に感じられた時には、途端に「お医者様が萎縮する」の大合唱は鳴りを潜める。
 
 数年前の救急車盥回し問題の時、「盥回しではありません。受入困難、受入不能なのです」と言っている人が随分たくさんいた。
 
 なぜ、今回はそれを言わないのだろう。
 
「そんなに批判したら厚労省の職員の皆様が萎縮する!」
「現場の厚労省の皆様だって一生懸命がんばってるんです!」
 
 そういう声はまったく聞かない。
 
 自分の身が助かるほうを擁護する。他人の身より自分の身。不安や恐怖が、我が身に切実に、リアルに、切迫して感じられる時は批判もする。
 
 自分との心理的距離感、の問題。
 
 人間とはなんと勝手なものなんだろう。
 
 
【関連記事】

問われないゴーン出国見逃しの責任

 
 不思議な光景だった。
 
 昨年2019年末にゴーンが出国してレバノンにいることが明らかになった時、弁護団法務省も外務省も政府も、関係者は一様に「寝耳に水」「まったく知らなかった」と言った。
 
 責任者なのに「知らなかった」と言うことをまったく恥ずかしいとも思っていない。
 
 弁護士仲間たちは、「ゴーンが100%悪いと言いたい。でも、そうとも言い切れない気持ちもある」と言った。「そうとも言い切れない」の部分は、「日本の司法制度や検察の在り方にも問題がある」ということだ。
 
 弁護士仲間たちの言い分は、「ゴーンが100%悪い派」か「ゴーンが97%悪いが3%ぐらいは日本の司法制度も悪い派」か、あなたはどちらですか?という二択を迫るものだ。驚くべきことにこの二択の中には、ゴーンをちゃんと見てることを条件に保釈させたのにミスミス見逃した弁護団の責任が1%も入っていない。
 
 ところで、法務省の「入国管理局」というものはない。昨年2019年の途中まではあった。今は「出入国在留管理庁」と名前が変わっている。名前の中に「出国」が加わった。今まで67年間も「入国」という名前だったのに「出入国」と名前を変えた途端にゴーンの出国を許した。
 
 出入国在留管理庁は法務省の外局で、そのトップの森法相がゴーンの記者会見に対して「到底看過できない」と言った。関西国際空港からの飛び立ちは堂々と「看過」したのに。
 
 忘れている人も多いだろうが、難民申請などをして日本にやって来た人たちの着替えやトイレまで監視していることが問題になったのはつい最近のことだ。
 
 弱い者に対しては着替えまで覗き、強い者(VIP)に対しては「どうぞお通りください」。この露骨な態度の違い。そして、この出入国管理局の“醜さ”を誰も批判しない。
 
 弁護士たちはゴーンに同情するばかりで、出国を許した責任を問わない。政府はもとよりだんまり。国民の中にも「我が国は三権分立なのだから政府がこの件に口を出すべきではない」というおかしなコメントをしている人がいる。政府に司法判断に口を出せと言っているのではない。「管理庁」がきちんと「管理」をできていなかったのだから、その責任は問われなければいけない、と言っている。
 
 出入国在留管理庁ばかりではない。税関も同じである。NHKの報道によれば、税関が「中身は音響機器」という説明を信じ中身を調べるのを怠ったという。
 税関は財務省の管轄である。その財務省のトップは誰であったか。なぜ財務大臣は黙っているのか。
 
 ではここで、今回のゴーン出国見逃し事件を起こした出入国在留管理庁(前・入国管理局)と大阪税関が過去にやってきたことを見てみよう。(いずれもWikipediaより) 
2014年11月に東京入国管理局(現 :東京出入国在留管理局の収容施設で死亡したスリランカ人男性は、胸の痛みを訴え治療を求めたが病院には搬送されず数時間後に急性心筋梗塞により死亡。
2017年3月に東日本入国管理センターで死亡したベトナム人男性は収容当初から体の痛みの訴え3月17日には口から泡と血を吐き失神する症状が出るも病院で治療を受けられず
2011年5月に同税関関西空港税関支所が、覚醒剤約1.2kgを密輸入したとされたウガンダ国籍の男性2人から覚醒剤を押収したが、この際に職員らが、エックス線検査への同意書への署名を求めるに当たり、「早く書け、おら」などと、厳しい口調で執拗に署名を迫った
2017年1月17日21時頃に、関西国際空港第2ターミナルで2、同空港発香港行ピーチ・アビエーション機の最終便の離陸直前に、搭乗した家族の女性が、乗客に書類を渡すよう、同税関関空税関支所の職員に依頼。その際、職員は保安検査を受けさせることなく、女性を出国審査場まで通過させていた
 
 「小物」に対しては「おら!」などと強い態度で臨むが「大物」に対しては手を擦り合わせながら「どうぞお通りください」という態度。
 
 この醜さを誰も糾弾しない。
 
 この「ゴーン出国見逃し」を誰も追及しない。本来追及しなければいけないはずの野党も。野党や野党支持者層は「むしろゴーンに同情する。中世のような酷い日本の司法制度から逃げることができてよかったね」と思っている。
 
 一方、与党およびその支持者層はもとより追及しない。出入国在留管理庁は法務省の所管でありそのトップである法務大臣の責任が問われるからだ。税関は財務省だから財務大臣にも、そして外務大臣、それらの大臣の任命責任がある総理大臣の責任にも話は及んでくる。
 
 マスコミが法相の責任を問うていた時に、国民が「だって正月休みだったんだから仕方ない」と言っている呆れたコメントもたくさん見た。まさにその年末年始の警備の薄さを突かれて出国されたのではないのか。
 
 沈黙している与党政治家たちの無責任、関係省庁の無責任、弁護団の無責任、「日本の司法制度にも問題がある」と別の問題を持ってきて見逃しを問わない野党と支持者たちの無責任、「正月休みだったから仕方ない」などと呑気なことを言って問題を問わない国民の無責任。
 
 ゴーンはこの無責任大国の間隙を突いて、と言うよりは大きな穴から堂々と出て行ったのだ。
 
 すべての関係者が(知らなかったなんて恥ずかしくて言えない)という気持ちは微塵も持たず、「私は逃亡計画なんて知りませんでした。逃亡計画に加担していません。なので全然無関係です」と真っ先に自己保身の表明を口にする日本人。
 
 「巻き込まれなくてよかった~」と内心ホッとしているのだ。
 
 ヘタに捕まえに行こうとすると、捕まえられず取り逃してしまった時に国民から責任を追及されるから、相手がこういう大物の時は、最初から「それは自分の担当の仕事ではありません」という顔をしておいた方がいいのだ。
 
 皆そう思っている。
 
 ゴーン出国見逃しの責任は問われることがない。
 
【関連記事】

高校ラグビー改善案

f:id:rjutaip:20200108082219j:plain

 
 昨年2019年は、日本はラグビーワールドカップが開かれ大いに盛り上がった。ワールドカップ開幕前日まで、ラグビーのことなどほとんど話題になっていなかったので、開幕後の盛り上がりには驚いた。
 
 私は昔からラグビー、特に高校ラグビーが好き、だった。だが近年の高校ラグビーの在り方には思うところがある。高校ラグビーの「関西偏重」についてである。
 
 例えば、2019年度の全国高校ラグビー大会は、ベスト8の内、5校が関西の学校だった。また、全国大会ではほとんどの県は代表が1校だが、大阪府だけは3校も出る。(東京都と北海道は2校。)
 
 東京都は学校の数が多いから、北海道は広すぎるから、という理由であることは解る。大阪府は何故3校も出場枠があるのか。それは大阪はラグビーのレベルが高く、強い学校が多いからである。毎年、第1代表、第2代表、第3代表の3校が全国大会のいいところまで行く。(2019年度は3校ともベスト8以上に行った。)
 
 大阪だけでなく、京都や奈良も強く、ここ20年くらい関西勢が成績上位を占めている。
 
 高校ラグビー界はなぜこんなに関西に偏っているのか。
 
 その理由の一つとして考えられるのは、会場が大阪の花園ラグビー場であることだろう。やはり地元は強い。ホームであれば気合いも入る。
 
 だが、東京や埼玉が会場になっている高校サッカーは関東偏重にはなっていないし、甲子園(高校野球)もそれほど関西偏重ではない。
 
 昔は、秋田工や大分舞鶴など、地方に強い学校がたくさんあった。ここで言う地方とは関西から見た地方、即ち関東、東北、九州などである。しかしそれら地方の学校は年々勝てなくなり、いつしか全国大会の上位は関西の学校が占めるようになった。
 
 その原因の一つはTV放送にあるのではないかと私は考えている。
 
 TV放送は大阪のMBS毎日放送)で、東京では系列のTBSが放送している。だが、そのTVでの取り上げられ方は、過去どんどん減少してきた。
 
 私の住んでる東京では、昔は準々決勝以上の試合を見ることができていた。それが準決勝以上、決勝のみという風に縮小されていった。また、放送時間は昼間だったのが深夜0時から1時頃という誰も見ない時間帯に移動し、フルで見ることのできていた試合もハイライトシーンのみになっていった。
 
 メインのTV局が大阪のTV局なので、関西ではもう少し見ることができているらしい。
 
 つまり、毎冬地元で開催され、TVでも他の地域よりは試合を見ることができる関西では高校ラグビーは盛り上がり、それを見て育った子どもがラグビーに憧れてラグビーを始め、競技人口が増えれば強い子が現れ、関西の学校はますます強くなる。快進撃を見せる地元の高校に関西の人たちは熱狂して、ラグビーを始める子が増える。という好循環になっている。
 
 そしてその関西圏内の強いサイクルのせいで、地方との実力差はどんどん開いていく。
 
 2019年は、ラグビーワールドカップにおける日本代表チームの大活躍で急にラグビーファンになった人が増えたが、今後も日本のラグビーが強くなっていくためには、高校ラグビーの裾野を広げねばならず、そのためには全国的な活性化が欠かせない。
 
 現在の「関西の関西による関西のための高校ラグビー」から、全国の高校が活躍する高校ラグビーに変えていかなくてはならない。
 
 そこで改善案を五つほど。
 
一、TBSが全国の系列局を使って全国の大体の県で試合を見られるようにする。
二、少なくとも準々決勝以上は生放送する。(サッカーは1回戦や2回戦あたりでも好カードの試合は放送している。)
三、1回戦や2回戦をダイジェストで放送するにしても、深夜ではなくもっと早い時間にする。
 
四、MBS、TBSがこれをできないのだったら、放映権をNHKに渡してNHKで放送する。
 
五、これでもまだ期待した効果が見られなかったら、メイン会場を花園から東京の秩父宮ラグビー場に移す。
 
 四つ目は劇薬、五つ目は奥の手である。
 
 だが、これぐらいのことをしないと、もう20年近く続いている「関西偏重」は変わらないのではないかと思う。
 
 日本のラグビーが今後も世界で活躍していくためには全体的な底上げが必要で、そのためには「関西の大会」化している現在の全国高校ラグビー大会を「全国の大会」にしていかなくてはいけない。
 
【関連記事】