漸近龍吟録

反便利、反インターネット的

ある50代男性の人生を通して考える人生の幸福の総量について

congerdesignによる画像

 
 最近、身近で考えさせられることがあった。
 
 職場の男性が急に東京から山形に引っ越した。痴呆症の母親の介護が必要になったためだと言う。山形からリモートで働くのだと言う。
 
 その男性は50代独身。気楽な独身ライフを楽しむというタイプの人ではなくて、ずっと結婚したかったけどできなかったというタイプの人だ。父親はいるのかどうか知らない。母親は80代の高齢者。前から少し呆けている兆候はあったものの、ある日急速に痴呆が進んだらしい。
 
 彼と弟の二人兄弟とのことで、二人の息子はすぐに山形の実家に駆けつけた。そして母親の世話をした。が、弟には家族があった。妻と子どもたちが家で待っているため、いつまでも母親の介護をしているわけにいかず、自分の家族の住む家に帰って行った。残った兄は一人で母親の介護をしながらリモートで仕事をすることになった。介護と仕事の両立は傍目から見ていても大変そうである。
 
 彼は不平不満は一つも言わない。母親が一人で生活できなくなったら助けに行くのは当然。弟は結婚して家族がいるという事情も分かっているので、自分が母親の介護を一手に引き受けるのも仕方のないこと。彼は淡々と黙々と介護と仕事をこなしている。真面目で優しい性格の彼は何も言わない。が、私は考えてしまう。人生の幸福の総量について。
 
 彼の人生には今まで幸福な瞬間はほとんどなかった。幸福の感じ方は人それぞれとは言え、結婚してあたたかい家庭を持つことを誰よりも望んでいた彼にその望みが叶えられた瞬間はなかった。人柄が良く、仕事も優秀、容姿も普通な彼は、ずっと「底辺」と呼ばれる人生を生きてきて、50代になった今も非正規雇用で働いている。東京では築数十年の古びたアパートの一室に住んでいた。
 
 彼の弟のことは知らない。どんな仕事をしている人なのか、どんな社会階層の人なのか、どれほど幸せな暮らしを送っているのか、それは知らない。しかし少なくとも結婚できて子どももできていることだけは事実だ。仮に弟の方が兄よりも、収入、資産、家族や人間関係などのソーシャルグラフに恵まれているとすると、なぜ恵まれている人の方が親の面倒を見ずに、恵まれていない兄の方が親の面倒を見なければならないのか。
 
 「人生は順繰り、おたがい様だよ」と言う人がいる。
 
 彼の母親も若い頃は自分や夫の年老いた両親の面倒を見てきたわけだ。そして自分自身が歳を取ったら今度は子どもに面倒を見てもらう。「世代はそうやって順繰りになってるんじゃないですか」と人は言う。
 
 だが、彼には子どもはいないのだ。痴呆症は病気ではあるが体の病気ではないし女性は長生きでもあるので、母親はこの先長く生きるかもしれない。彼はこれからの10年、いや、ひょっとしたら20年くらいをずっと親の介護に費やす。その頃には彼も前期高齢者だ。体も頭も衰えが始まり、いろいろな病気も出てくるだろう。その時になって彼のことを介護してくれる子どもはいない。まったく順繰りではないし、おたがい様でもない。
 
 こんなひどい話があるだろうか。弟は子どもがいるのだから自分が老人になった時には子どもに介護してもらえる可能性がある。「人生は順繰り」は弟になら当てはまる言葉だろう。必ずしも介護してもらえるかどうか将来のことは分からないが、少なくとも子どもがいる弟の方が母親の介護をすべきなのではないか。
 
 「それなら母親の面倒は見ないで、自分の人生を好きに生きたら?」と言う人がいるかもしれない。
 
 はたしてそれができるか。痴呆で自分で身の回りのことをできなくなってしまった母親を見捨てて東京に帰る。そんな残酷なことができるだろうか。できる人もいるのかもしれないが、ほとんどの人はそんなことはできないだろう。ヘルパーさんなど社会福祉に頼るとしても、さまざまな契約や手続きが必要でそれは誰かがやってやらなければならない。
 
 人生の幸福の総量の不平等について思わずにはいられない。仮に「幸福かどうかは量よりも質だ」と言うとしても、彼が幸せの質の高い生活を送ってるようには見えない。家族も恋人も友達もいない彼は、仕事では毎日「申し訳ございません」と言い続け、それ以外の時間は只管、話の通じなくなった老母の世話をしているだけだ。
 
 しかし彼のような事例は、非婚者が多い日本では今後頻出すると思う。好きで独身でいた人はともかく、「結婚したかったのにできなかった」という人にとっては理不尽な思いが残る。老人の数が多く非婚化が進んでいる現代の日本ではこの先大量の地獄が待っている。
 
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Walled Gardenから引っ張り出す

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「普通にマイナンバーカード持てばいいのに」

 こう言う人を最近ネットで見かける機会が増えてきた。恐れていた事態がやって来た。「普通にテレカ持てばいいのに」、「Suica持てばいいのに」の再来だ。

 最近のトレンドワードの一つである「Web3」は、GAFAMのような巨大企業から個人の手ヘウェブを取り戻そうという動きだ。GAFAMに代表される巨大企業に対する視線はヨーロッパを中心にどんどん厳しくなって行っている。

 Web3は、巨大VCによって作り出されているトレンドであり一部の巨大VCだけが利益を得て多くの個人は恩恵を受けない、と主張するジャック・ドーシーのような人もいる。私はここでその正非は論じない。Web3が誰のためのものなのか、というのは人それぞれの考え方があるだろうが、少なくとも建前上は「巨大企業から個人へ」という理念で語られてきた。

 ヨーロッパの人々は(それが正しいか間違っているかは別として)そういう理念を持って動いているように見える。(強力なGDPRを世界中に強制してきたのも強い理念があればこその行動だ。)だが日本ではそうした「理念を持った動き」というのは見られない。

 日本人は骨の髄まで奴隷根性が染みついている。有名なもの、大きなものに包まれていると安心だと言う。

「普通にSuica持てばいいのに」

「素直にGoogleアカウント作ればいいのに」

日本人が多用する言葉、「普通に」「素直に」。

 百歩譲ってNTTやJRのような大企業が囲い込みを行うのはまったく分からないではない。NTTもJRも「営利企業」だからだ。だが政府が「囲い込み」をやってはいけない。マイナンバーカードは、日本がこれからデジタル社会になって行くための基本的で重要なインフラである。インフラで囲い込みを行ってはいけない。最近の人は「国益」と言って、国までが営利企業のような論理で動くべきであるかのように言う。しかし国がその国民から利益を搾り取ってどうするのだ。それでは国は衰退していくだけだ。

 確かにWalled Gardenは、その中に入ってしまえば心地いい。テレホンカードであれ、Suicaであれ、Amazonであれ、Facebookであれ、その中はとても心地いい。私はその便利さや心地よさは否定しない。だが本当にそれでいいのか。ブームが去ってしまったからFacebookを使うのをやめたいのにそこでしか繋がってない人がいるためにFacebookアカウントを消せない、そういうことで悩むことになるのではないか。

 囲い込みは新たなステージへ行く時の障碍となる。

 マイナンバーもマイナンバーカードも、それ自体はとても高いポテンシャルを持っている。だが囲い込み運用をしてしまうなら終わりだ。日本は再びか三たびか四たびか知らないがまた“見事な”ガラパゴスを作り上げ、そして何十年後かに世界を見渡して「しまった、こっちじゃなかった!」と言って今まで積み重ねて来たガラパゴスを抛り捨てて世界の最後尾に付くのだろう。

 ガラパゴスが好きなら世界のことなど気にせず、どこまでもいつまでも我が道を突き進むべきだし、世界のことが気になるならWalled Gardenを作るべきではない。

 

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国会図書館のデジタル化作業の虚しさ

 

 こんな記事を見た。
 国会図書館の月報で、国会図書館内にある書籍のデジタル化の取り組みが紹介されていた。これを見た人たちの反応は概ね、「神様!」「ありがとう!」というものだ。私はとてもそうは思えなかった。なぜなら、これは「しなくていい苦労」だからだ。
 
 本を1ページ、1ページ、手作業でスキャンしてデジタル画像データにする。それを更にOCRを使ってデジタルテキストデータにする。特にページを開いてスキャンしてデジタル画像にする作業はとても大変で、ほんの少しでもぶれると文字を読み取れなくなる。かと言って叮嚀にやっているといつまで経っても終わらない。スピードと叮嚀さを両立した熟練の技が必要になると言う。
 
 だが。あなた方が目指しているゴールはスタート地点だ。
 
 先日、知人が本を出版した。日本で出版した本なので国会図書館に収められるわけだが、その工程を以下に書く。括弧内は、その時点で文章がデジタルだったか紙だったかの状態を表している。
 
彼はPCで執筆(デジタル)
 ↓
書き上がった原稿をメールに添付して出版社に送る(デジタル)
 ↓
出版社の方で編輯・校正を行う(デジタル)
 ↓
出版社から印刷業者に送り、印刷業者が紙に印刷(紙)
 ↓
印刷業者から製本業者に送り、製本業者が紙の本を完成させる(紙)
 ↓
出版社が出来上がった本を国会図書館に納本する(紙)
 ↓
国会図書館が紙の本をスキャンしてデジタル画像データにする(デジタル)
 ↓
国会図書館がデジタル画像データをデジタルテキストデータにする(デジタル)
 
 これが一連の流れだ。デジタル画像データにしただけでは検索ができないので、国会図書館の最終的な目標はデジタルテキストデータにすることだ。だが、デジタルテキストデータとはどういう状態かと言うと、著者がいちばん最初にこの世に文章を生み出した瞬間がデジタルテキストデータだ。その最初の瞬間に戻しましょうと言っているのだ。この無駄な大回り、虚しくならないのだろうか。
 
 地雷の除去作業をしている人が、いかに地雷の除去が大変なことかを語っている。しかし私は地雷の除去作業よりも、その隣でせっせと地雷を埋めている人の方が気になる。彼らのことを見て見ぬふりをして、地雷除去作業に携わろうという気には私はならない。
 
 国会図書館職員は、本のデジタル化がいかに大変なことか、いかに大きな苦労が伴うかを語る。私も月報を読んだが確かに大変な作業、大変な苦労だと思う。それは分かる。だがあなた方が大変な苦労をしてデジタル化作業に取り組んでいるこの瞬間にも次々と紙の本が生まれている。あなた方の仕事は永遠に終わらない。
 
 「わざわざデジタル化するのは大変」と言う人がいるが、「わざわざ」の感覚が逆なのだ。現代の「著者」たちの大半はPCやスマホで執筆していると推察される。生まれた瞬間にはデジタルだったものを「わざわざ」紙に印刷して紙でしか読めないようにしておきながら、それを大変な苦労をしてデジタルに戻している。
 
 電子書籍も納本の対象にする計画は昔からずっと検討段階にあったが、2023年1月から遅まきながら漸く始まるかもしれない。
 
 過去の本はともかく、現代の本に関しては、特別な事情がないかぎりは出版社に対してデジタルで出版することを義務付け、デジタルで国会図書館に納本するよう決まりを作るべきだ。そうすれば何十年も前から国会図書館の悩みの種となっている収蔵スペース不足問題の解消にも繋がるだろう。
 
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あるウクライナ人数学者の生

 先月、ある一人のウクライナ人数学者が亡くなった。

 

 この動画の8秒目あたりに一瞬映っている赤い巻き毛の女性。先々月まで生きていたが、2022年3月3日〜8日頃、侵攻してきたロシア軍のミサイルを受けてウクライナの都市ハルキウで亡くなった。弱冠21歳の若さだった。

 彼女の名はユリヤ・ズダノフスカ。ウクライナ生まれウクライナ育ちの数学者。数学大会の世界チャンピオン。幼い頃から類稀な数学の才能を発揮し、10代の頃は国際的な数学大会のウクライナ代表に、大学はキーウ大学でコンピューター科学を学んだ。数学の天才で、いつも被っていた黄色い帽子の下にはすべての数式を持っていたと言われた。

 指導教官をはじめ周囲の人は皆、彼女がアメリカの大学から声が掛かってそこで高いポストに就くだろうと思っていた。だがユリヤが択んだ道はボランティアだった。ドニプロペトロフスク州の田舎の村で子どもたちに情報学と数学を教えた。

 

 ユリヤはお父さんから数学の才能を、お母さんからボランティアの精神を受け継いでいた。

 ユリヤのお母さんは、おそらくウクライナで最初のNGO「ステーション・ハルキウ(Station Kharkiv)」を立ち上げた人だ。ステーション・ハルキウは2014年のロシアによるドネツク侵攻をきっかけに立ち上げられた。このNGO組織は2014年以来、人種・国籍・性別等の差別なく、困難な状況に置かれた避難民をずっと助けてきた。

 

 ユリヤはハルキウが危険な状態にあることを知らなかったわけではなかった。逃げ遅れたのではなく、困難な状況にある人々を助けるために敢えてハルキウに留まったのだ。2022年2月の終わり、ロシアがウクライナへの軍事侵攻を始めた直後、ユリヤはすぐに行動に出た。彼女は志願兵だった。兵と言っても武器を持って戦っていたわけではなく、避難民に食料や医薬品を届けるボランティアをしていたのだ。砲弾飛び交う危険なハルキウで、彼女をそのような行動に駆り立てたのはお母さんの影響だったかもしれない。そして何よりハルキウは彼女が生まれ育った街、ハルキウを見捨てて離れるわけにはいかなかった。

 

 彼女の死が特別なのではない。ロシア軍の侵攻以来、無惨に失われてきた数多くの命の中の一つだ。ただユリヤ・ズダノフスカの精神と行動は、私には心に感じるものがあった。彼女は私の中の英雄だ。

 

電子証明書のスマホへの格納はマイナンバーカードがなくてもできるように

 最近、こういうニュースがあった。

スマホにマイナンバーカード搭載、22年度中にもAndroidで実現へ - ケータイ Watch

 マイナンバーカードをスマホに入れる、という話自体はもう何年も昔からあったが一向に進んでいなかった。それが漸く2022年度中には実現するのか、という期待を抱かせるニュースである。「マイナンバーカード機能を入れる」となっているが、実際にはマイナンバー部分をスマホに搭載するのはまだ先の話で、今年度中に入れようとしているのは電子証明書だろう。

 一方で、このニュースの中で気になることがある。それはマイナンバーカードをスマホの中に入れるに当たってプラスチックマイナンバーカードが必要になる、ということである。これはかなり由由しき問題だ。

 

 数か月後、「マイナカード(電子証明書)がスマホに入れられるようになりました」というニュースを聞いた人。

「あら、これは便利ね。ぜひ使ってみたい」

役所に問い合わせる。

スマホ電子証明書を入れたいんですけど」

役所の人「マイナンバーカードはすでにお持ちですか?」

「いいえ、持ってません」

「では、先ずマイナンバーカードをお作りください」

「どうすればいいですか?」

「厳格な本人確認が必要なので役所までお越しください」

役所まで足を運ぶ。

「来ました」

「では、先ずあなたのマイナンバーカードをお作りします。少々お待ちください。・・・できました。そのカードをスマホに当ててください。そうです。これであなたのスマホの中に電子証明書が入りました」

「ありがとうございます。スマホの中に電子証明書が入っていれば充分なので、このプラスチックマイナカードは要らないんですけど」

「では捨ててください」

今作ってもらったばかりのプラスチックマイナカードをゴミ箱へぽいっ。

 

 これはあきらかに無駄なプラスチックごみを増やしている。しかしこういう人が現れるであろうことは今の時点からでも十分想像できる。なぜ「プラスチックマイナカードが前提として必要」などというおかしな仕様にしてしまっているのか。

 もちろんオンラインで申請するときに厳格な本人確認が必要だから、という理由はわかる。だが、市役所の隣に住んでる人が窓口に赴いたときはどうなのだ。本人がパスポートやら免許証やらわんさか証明書類を持って窓口に来ているのだから、これ以上の厳格な本人確認はない。で、本人が「スマホ版がほしい。プラスチックカード版は要らない」と言っているにもかかわらず、一旦プラスチックカードを発行しなければならないというのは、なんとも阿呆らしい仕様だ。本人が望むなら、プラスチックカードは発行せずに電子証明書を直接スマホの中に入れてやれるようにすべきだ。

 

 何の話かピンとこない人はみんな、モバイルSuicaを思い出してほしい。Suicaにはプラスチックカード版のSuicaと、スマホ版のSuicaモバイルSuica)がある。二つ持っている人もいるかもしれないが、スマホの中にSuicaが入っていればそれで充分で、プラスチックのSuicaは要らないと思う人も多いだろう。で、JRにモバイルSuicaの発行を申し込んで、「まずは一旦、プラスチックのSuicaを発行してください」と言われたらどう思うか。「次にそのプラスチックSuicaからスマホにデータを移行します。これでスマホの中にSuicaが入りました。」「プラスチックカードのSuicaは要らない?ではどうぞお客様自身で捨ててください」。

 

 これはなんとも馬鹿らしい話だ。今ならまだやり直せる。総務省、デジタル庁の関係者の人、もしこれを読んでいたらどうか考え直してください。

 

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現代日本の「本」をめぐる危機的状況

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 本が減っている。本にアクセスできなくなっている。
 
 ウェブ上で文章がたくさん読めるようになった現代でも、本は知にアクセスするための重要なツールだ。
 
 だが現代の日本で、私たちは急激に本を読むことができなくなっている。読みたい本がどうやっても読めないという状況が立ち現れている。
 
 「あの本、捨てなきゃよかった」と言っている人がたくさんいる。これからはデジタル化の時代だから本なんか思い切って断捨離してしまっても後で電子化されたものを買い直せばいつでもまた読める、と思っていたのだ。だが電子化はされなかった。あの時捨ててしまった本はもう二度と読めないのだ。
 
 先日、母校の大学図書館に行った。学術書などは大学図書館レベルの図書館に行かなければなかなか置いてない。が、Covid19対策で卒業生の入館はお断り、とのことだった。なるほどもっともなことだ。在校生でさえ入館にあたって距離を取るように言われているのに卒業生など受け入れる余裕はないだろう。だが大学図書館の「利用資格」の中には卒業生が含まれている。私は利用資格がある人なのに図書館を利用できないのだ。図書館の中にある本が電子化されていたなら、私は建物の中に「入館」することなく自宅に居ながら本を借りることができていただろう。
 
 2010年頃だったか、「電子書籍元年」と言われた年があった。さまざまな電子書店や電書リーダーが登場し電子書籍ブームが起こった。だが私はそのとき電子書籍に手を付けなかった。ラインナップがあまりにも貧弱すぎたからだ。
 
 私はその後もずっと「紙の本派」だった。紙の本のほうが好きというわけではなく、紙でしか読めない本が圧倒的だったからだ。それから11年が経ち、私はそろそろ電子書籍の状況はどうなっているだろうかと思い、日本の代表的な電子書籍屋であるAmazon、Kinoppy、hontoを覗いてみた。11年ぶりに覗いてみた電子書籍屋には相変わらず私の読みたい本はまったく売っていなかった。
 
 日本の代表的な新書11社について、新書の最新刊4冊が紙版だけでなく電子版も用意されているかどうか調べてみた。
 
PHP新書 4/4
NHK出版新書 4/4
集英社新書 4/4(やや遅れて)   
文春新書 4/4
 
 上記11社中8社は紙版に併せて電子版も売っていた。筑摩書房も4冊中3冊は電子版が作られていた。だが新書の世界でもっとも古い歴史を持つ岩波書店は0冊、中央公論新社は1冊という有り様だった。
 
 本屋にも売ってない、図書館でも読めない、いったい現代の私たちはどこで本が読めるのだろう。なぜ、出版社、本屋、図書館は、本の電子化に取り組まないのだろう。
 
 関係者が電子化に取り組まない言い訳を並べ立てているのを見たことがある。曰く、
「取次が」
「慣習が」
「コストが」
著作権が」。
 
 今までの慣習がどうとかコストがどうとか言うのは、極めて小さな了見に囚われているとしか思えない。当然にやるべきことをやらないで「本が売れなくなった」と言って嘆くのは滑稽なことだ。
 
 昨年10月からAmazonがODPのサービスを日本で始めた。今までも電子書籍は自己出版できる仕組みがあったが、紙の本も出版できるようになった。日本の出版社が「コストが、コストが」と言っている内に、世の「著者」たちはこうした仕組みを使って自己出版をするようになるだろう。電子で出版するという最低限やるべきことをやらないのなら出版社を通じて本を出版する意味がない。
 
 また、「著作権が」という言い訳もおかしい。過去の作品ならいざ知らず、現代の、今活動中の著者の作品については単に著者に対して電子でも出版するということに同意してもらうだけだ。過去の作品に関しては、著作権法の縛りがあるならもっと業界全体で積極的に法律の改正を訴えていくべきだ。「あの先生は紙での出版には同意していたが電子での出版には同意していなかったから」というのは何とも奇妙な話に聞こえる。私は江戸時代の本をよく読むが、「江戸時代の作家先生は和紙での出版には同意していたけれど洋紙での出版には同意していなかったから」という理由で洋紙の本で出版できない、などという話があるだろうか。
 
 「わざわざ電子化するのは大変なんですよ」と言う人もいるが、私はそうは思わない。あなたが「個人出版社」だとして、著者から受け取った原稿データをブログのような定型の「型」に流し込むのと、プリンターで紙に印刷してその紙を製本するのと、どっちが「わざわざ」と感じるか。
 
 日本は米、欧、中、韓に比べても圧倒的に書籍の電子化率が低い。ちなみにここで言う書籍とは文字の本のことだ。日本は漫画の電子化率は高いのでそれが全体の電子化率を少し押し上げている。
 
 昭和時代ぐらいまでは、地方の人は大型書店や大きな図書館がないから、本を読みたくても本にアクセスできない、という問題があった。そして今、デジタルの時代になってからもう何十年も経つが、今は都会の人であれ田舎の人であれ本にアクセスできない時代になっている。街の書店はどんどん潰れ、その代わりとなるべき電子書店、電子図書館はまったく育っていない。
 
 これは音楽やテレビ番組でも同じことが言える。なぜ過去の音楽やテレビ番組は自由に聞いたり見たりすることができないのだろう。所謂“版権”を持っているはずのレコード会社は過去の楽曲を販売しない。テレビ局も過去のテレビ番組を販売しない。「著作権」や「肖像権」あるいは「忘れられる権利」を主張する人がいるかもしれないが、忘れられる権利に対しては個別に対応すべきで、基本的には一旦世に出た作品は自由に視聴できるべきである。
 
 テレビはYouTubeに人気を奪われていると言う。当然だと思う。YouTubeは過去作品も削除されず全て自由に視聴できる。Google社が何ペタバイトなのか何エクサバイトなのか知らないが、厖大な容量の保管庫を持ち、過去映像を全部保存して閲覧できるようにしている。なぜTV局は同じようにやらないのだろう。もちろん無料でとは言わない。過去のすべてのTV番組をオンデマンドで有料で、人々の好きな時に視聴できるようにすべきだ。
 
 「売れないものを販売するのはコストが・・・」と言うのかもしれない。しかしコストがかかるか?単にデジタルデータを保持しておくだけの話だ。そしてそれを見たいと言う人がいたら有料で販売すればいい。過去の全作品にアクセスできるとなったら、音楽の世界やTVの世界は人気を盛り返すだろう。「デジタルデータを保管しておくのもタダじゃないんですよ。物理的なハードディスクとかが必要になってくるんですよ」と言う人がいるかもしれない。しかしGoogle社が保管している何億ものデータは動画データだ。それにくらべたら出版社が保有するのは主にテキストデータなのだから動画にくらべたら全然容量を喰わないはずだ。
 
 電子で出版するというのは出版社が果たすべき当然の使命だ。出版社、本屋、図書館等、本に関わる関係者は本の電子化についてもっと真剣に取り組まなければならない。
 
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大学入学共通テスト最低平均点問題から見る日本の世代間格差に対する鈍感さ

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 令和4年度の大学入学共通テストの数学1Aの平均点が史上最低になったとの報道があった。前身のセンター試験時代を含めて最低とのこと。

共通テ、7科目で平均が過去最低 最終集計を発表、数1・Aなど:東京新聞 TOKYO Web

 

 私はこの問題はもう大分昔から指摘している。

 が、それからちっとも事態は改善されていない。世間がこれを大きな問題と見做さず放置しているからだ。

 この手の問題に対するよくある声は、「問題が難しかったのは他の受験生も同じ。あなただけじゃない」、「条件はみんな一緒」という暴論である。

 「難しい問題の方が得意」、「易しい問題の方が得意」というタイプの人がいる。どういうことかと言うと、例えばここに30人のクラスがある。難しい英語のテストと易しめの英語のテストを実施する。「私はこのクラスでは英語のテストはいつも15 ~20位くらいでそれより上にも下にも行きません」という「不変」の人もいる。「難しい問題の方が得意」というタイプの人は難しめのテストでは30人中5位になるが、易しめのテストでは22位になる。逆に「易しい問題の方が得意」なタイプの人は難しめのテストでは25位だったのが、易しめのテストでは6位になったりする。同じクラスの同じメンバーで受けたテストである。問題の難易度で大きく順位が変動するタイプの人というのはいる。「テストの難易度は関係ない」だとか、「すべての人に平等に影響する」と言うのであれば、このように大きく順位が変動する人はいないはずである。

 

 これはテストに限らず、もっと多くのことについて言える。例えばマラソン。「このコースは上り坂が多いだって?そんなことに文句を言うな!上り坂がきついのは皆同じ。条件はみんな一緒」。

 そんなことはない。上り坂は確かにきつい。すべての選手が上り坂ではペースダウンする。だがそのペースダウンの幅が違う。上り坂を異常にきつく感じてしまう選手もいれば、上り坂で他の選手がバテることを大チャンスと感じる上り坂が得意な選手もいる。マラソン選手たちは、自分が上り坂が得意なタイプか、それとも平地で力を発揮するタイプかを分かっているので、自分に合ったコースの大会に参加する。「自分は上り坂が苦手だ」という自覚がある選手は、わざわざ上り坂が多いことで有名な大会は選ばない。

 

 高校生は皆、共通テストの難易度を知った上で受験しに来ている。これぐらいの難易度だったら自分に合っていると思ってプランを組んでいるのだ。蓋を開けてみたら難易度が過去のものと大幅に違っているというのは、マラソンコースが当日に大幅変更されるようなものだ。「共通テストがこんなに難しい(易しい)んだったら、私大の方を受けておくんだった」とか、全体の受験計画、進路計画が大きく変わってくる。

 こんな酷いことは許されないことだ。

 だが、この問題は糾弾されなかった。ネット上で少し批判の声も見たが、ほんの少しだけで、大学入試センターに対する大きな糾弾の声にはならなかった。

 なぜか。それは、日本人が世代間格差に対する感覚が鈍感である、ということが上げられると思う。

 日本には、「戦争世代」とか「氷河期世代」のように、特定の「はっきりと不幸な世代」というものが存在する。共通テストでも、同一年度内の格差については是正しようとする。例えば公民で現代社会を選択した人と倫理を選択した人とで大きな不公平が生じないように得点調整を行ったりする。だが違う年度間の不公平についてはほったらかしである。去年は易しく、今年は激ムズ、という不公平を誰も問題として取り上げない。

 こういうところに、私は日本人の、世代間格差に対する恐ろしいまでの鈍感さを見る。この鈍感さこそが戦争世代や氷河期世代といった不幸な世代を生み出し、そしてこれからも生み出し続けていくのだろう。

 

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