漸近龍吟録

反便利、反インターネット的

ビットコイン批判 〜ビットコイン生誕9周年〜

 

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 9年前の今日、この世に誕生した。
 
 昨年2017年は、「ビットコイン元年」あるいは「仮想通貨元年」と言ってもいいぐらい、ビットコイン知名度が爆発的に上がった一年だった。そして、ビットコインの“よくない”面がたくさん見えた一年でもあった。
 
 今、ビットコインのいったい何が問題なのか。
 
 そこには、二つの大きな問題がある。
 
 「中国の問題」と「日韓の問題」である。
 

中国の問題=マイナーの問題

 ここで「中国の問題」と呼ぶのは、いわゆる「マイナー(採掘者)の問題」である。マイナーは中国にだけいるわけではないが、中国が主流を占めている。2015年、2016年頃は中国の年であった。取引量の上でも、採掘量の上でも、中国がビットコインの主たる場であった。この二年間で明らかになったことは、巨大なハッシュパワーを持つマイナーが強大な権力を持つようになる、ということだった。
 
 採掘のスピードはビットコインの価値に影響するが、そのスピードを速めるも遅めるもマイナー次第。そして、今まさに問題になっているビットコインネットワークの混雑、送金処理の遅延も、マイナーの匙加減一つ。さらにもっと大きな問題は、マイナーがビットコインの仕組み、すなわち「政治」の問題にまで口出しできるようになってきたことだった。ハードフォークとか文字通りビットコインの根幹に関わるようなことに対して日に日に大きな意見を持つようになっていった。
 
 そしてついに、2017年8月、マイナー主導のハードフォークが決行された。
 
 これは、ハードフォークの是非以前に、一握りの声の大きな人間によって決行されたことが問題である。
 

日韓の問題=大量の投資家の問題

 2016年までとは変わって、2017年にビットコイン取引量が最大になったのは日本と韓国だった。
 
 日本と韓国でビットコインを「始める」人が爆発的に増えた。そして、ビットコインの価値(時価総額)は、2017年の一年間で爆発的に高騰した。高騰した理由は、大量の日本人と韓国人がビットコインを買ったこと。それも投資的な目的で買う人が多かったことが主な原因だ。いわゆる「ミセス・ワタナベ効果」である。
 
 それではなぜ、2017年に突如、大量の日本人がビットコインを知る(買い始める)ことになったのだろうか。
 
 私は、それは一部のブロガーの存在が大きいと思っている。ある有名ブロガーが2017年の初頭にビットコインを「始めた」。そして「儲かる」「儲かる」とブログに書き綴った。これを見て煽られた人たちがビットコインに興味を持ち始めた。
 
 もちろん、一人のブロガーのせいとは言わないが、何人かの影響力の大きいブロガーが「ビットコインで儲かった」みたいなことを書けば、その影響は一気に日本中に拡がる。
 
 日本はビットコインの取引所なども充実しており、ビットコインを買いやすい環境が調っている。人口も多いし、こんなにたくさんの人が買えば(ほぼ「売り」ではない「買い」の一辺倒)、高騰するのは当たり前である。
 
 世界のビットコイナーたちは、何故この一年間でこんなに高騰したのか、その理由を、技術的な革新、前進があったからだとか、法的な整備がととのったからだとか、いろいろ考えているけれども、私は案外、日本の一部のブロガーが書き立てたことに起因しているのではないか、という気がしている。
 
 今や世界屈指のビットコイン取引所である、日本の渋谷にある「Coincheck」は、他の取引所と比べても、元々、ビットコインを「投機、投資的な物」としてではなく「通貨」として流行らせよう、という志向を強く持っていた。それが今では、投資的な目的の人たちが世界一集まる場所、になってしまっているのはなんとも皮肉なことである。
 

一握りの人に左右されるビットコイン

 この「中国の問題」と「日韓の問題」は似ている。それは、ごく一握りの人が大きな影響力を持っている、という点である。すなわち、有名マイナーと有名ブロガーである。
 
 この二つの悪影響がはっきり表れたのが2017年という年だった。
 
 マイナー主導のハードフォークによって価値そのものが毀損されても、ブロガーの煽りによってボラティリティが大きくなりすぎても、どちらもビットコインにとっては良くないことである。
 

「クジラ」の問題

  さらに言えば、いわゆる「クジラ」の問題もある。供給されているビットコインの約4割ほどを、たった1000人くらいの人たちが所有しているかもしれないといわれる問題だ。この1000人はかなり初期からビットコインコミュニティにいる人たちだと思われ、お互いに顔見知りである可能性が高い。つまり、この「クジラ」たちが結託すれば、ある程度思い通りにビットコインを操作できてしまう。
 

ナカモトサトシの問題

 さらに言えば、「ナカモトサトシ」の問題もある。
 
 9年前の今日、ビットコインブロックチェーンの最初のブロックがこの世に誕生した。この“0番目”のブロックのことを「創世塊」と言う。
 
 ビットコインブロックチェーンのブロックは、すべて一つ前のブロックによって正しさが証明されている。だから信用できる。10000番目のブロックは9999番目のブロックによって、9999番目のブロックは9998番目のブロックによって正しさが証明されている。しかしこれを辿って行くと、「じゃあ、一番最初のブロックは何によって正しさが証明されているの?」という問題に突き当たる。
 
 キリスト教の世界観では、神がこの世界を造りました、と説明する。すると子供は「じゃあ、神は誰が造ったの?」と訊く。
 
 ビッグバン宇宙論でも「ビッグバンによってこの宇宙は始まりました」と先生が説明すると「じゃあ、ビッグバンは何によって起こったの?ビッグバンの前には何があったの?」と訊かれる。そしてその問いに先生は答えられない。
 
 最初のブロックだけに関してはナカモトサトシを信じるしかない。それはキリスト教徒が神を信じるしかないのと似ている。
 
 もしナカモトサトシが生きていたら、そして一人の人物であったなら、大量のビットコイン保有していると考えられる。ナカモトサトシは悪用しようと思えば、ビットコインを崩壊、終焉に追い込むことができるかもしれない。
 

 今日を生きるためのビットコイン

 しかし私はナカモトサトシについてはそれほど心配していない。
 
 それよりも、ビットコインの中核から遠いところにいるマイナーや、もっとはるか遠いところにいる一部のブロガーなどが、ビットコインに大きな影響力を行使できてしまう事態の方がずっと問題であると考えている。
 
 ベネズエラジンバブエなど、自国政府の通貨がまともに使えなくなってしまっている国々では、人々は代替通貨としての機能をビットコインに切実に求めている。
 
 それなのに、日本の一部の富裕ブロガーなどが「儲かった儲かった」と煽り立てることで、ボラティリティが増大し、ビットコインが通貨として使いづらくなり、そうした貧しい地域の人々を苦しめていることになっているかと思うと、腹が立って仕方がない。
 

ビットコインのこれから 

 2018年以降、この先、ビットコインがどうなっていくのかは分からない。
 
 今あるネットワークの混雑のような問題は、Lightning NetworkやDrivechain、あるいは他の技術が登場して解決するかもしれない。
 
 しかし「一部の影響力の大きすぎる人たちに振り回される問題」はずっと深刻である。これは2017年だけの問題ではない。この問題を解決しない限り、ハードフォークの問題やボラティリティの問題はこれからもずっと続く。
 
 ビットコインにとって2017年という一年は、中国の大手マイナーや日本の有名ブロガーなど、新しもの好きの強欲マンたちによって振り回された一年だった。
 
 こうした一部の人の影響力が大きすぎる状態は、“Decentralized”という理念にも反する。
 
 ビットコインに携わる人たち、特に中核に近いところにいる人たちは、こうした問題の解決を考える必要がある。新しもの好きの強欲マンたちの手から“ビットコイン”を取り戻さなければならない。
 
 ビットコイン、9歳の誕生日、おめでとう。
 
 
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ブロックチェーン批判 〜PoS批判を中心に〜

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 ここでは主要なブロックチェーンで使われているアルゴリズムの一つであるPoS(Proof of Stake)を中心にしてブロックチェーンを批判する。
 
 日本のマイナンバー制度の情報連携システムにおいて、ブロックチェーンを活用する試みが検討されている。もしうまくいけば、エストニアなどの小国を除いて、大規模なシステムにおけるブロックチェーン活用の世界でも先進的な成功事例になる。
 
 ブロックチェーンは確かに、記録の改竄不可能性や取引記録の追跡可能性など、「社会」に応用するのに適した性質を持っている。そうした「利点」は、今までもブロックチェーンについて語られる時に常に言われてきたことだ。
 
 一方で、私には懸念点もある。それはブロックチェーンの「PoS」の原理である。
 
 
PoSの原理と資本主義
 
 社会のさまざまな場面においてブロックチェーンを活用するのは私は「あり」だと思っている。そのように社会に適用していくのはニック・ザボーの「スマートコントラクト」の考え方にも適う。
 
 一方でブロックチェーンを活用することには懸念点もある。
 
 それは有名どころの多くのブロックチェーンが採用しているアルゴリズムの「PoS(Proof of Stake)」の原理が社会にも蔓延するのではないかという懸念である。
 
 PoSの原理は基本的に資本主義(的)である。PoSには、ステークホルダーつまり持てる者はますますモテ、持たざる者はますますモテない、という問題があると思っている。
 
 PoSはもともとPoW(Proof of Work)に対する批判として生まれた。PoWは、その採掘作業のために大量の電力を消費するのでエコではない、といったような批判だ。
 
 ビットコインはPoSではなくPoWだが、それでも似たような問題が起きている。少数のマイナー(採掘者)の発言力が大きくなり、ルールそのものを変えようとする力を持ってきている。強力なハッシュパワーを持つ者がますます富む、と考えれば、これもPoSと同様の問題だと言える。
 
 
公開型か許可型か
 
 社会に適用していく時に、公開型と許可型のどちらのブロックチェーンが使われていくようになるかはまだ判らない。
 パーミッションド・ブロックチェーンを使っていく場合は、かなりコントロールが可能なので、私が指摘しているような懸案事項は「心配するに及びません」ということかもしれない。
 許可型のブロックチェーンを使う場合は、誰が「許可者」になるか、という問題が起きる。「トラストレス」を謳ったビットコインとは違って、「許可者を信用しなければいけない問題」というのが出てくる。
 
 
イーサリアムの注意点
 
 イーサリアム上のアプリケーションを使う場合は、イーサリアムの仕様の変更に左右されることを頭に入れておかなければならない。イーサリアムは現在はPoWだが、PoSに移行する計画がずっと前からある。
 
 
PoSの派生、DPoSと民主主義
 
 有名なオルトコインであるNEM(New Economy Movement)はPoSではなくPoI(Proof of Importance)を謳っている。私にはPoSとPoIがどれほど違うのか分からない。私はPoIも広い意味でのPoSだと理解している。
 
 また、別のオルトコインのBitSharesやLiskはDPoS(Delegated Proof of Stake) を採用していると言われている。これは委任投票の仕組みが入ったPoSだ。悪意のあるハードフォークなどを防げるとしている。
 
 これは現実の政治の仕組みととてもよく似ている。実際に国政を行うのは国民ではなく、国民から選挙によって選ばれた政治家である。国民からの一定の支持数(投票数)が必要なので政治家は悪いことはできない、あるいは悪い人は選ばれない、と言えるだろうか。カリスマ的人気のある“悪い”人が国民の熱狂によって選ばれてしまう、ということは歴史上何度もあったことだ。DPoSは「民主主義だから安全安心」と言ってるように聞こえるが、果たして本当にそう言えるだろうか。
 
 民主主義あるいはその表現方法の一つである多数決の弊害である「少数者の意見が搔き消されてしまう問題」や、資本主義の弊害である「モテる者はますますモテ、モタざる者はますますモテない問題」をPoSは全然解決できない。解決できないどころか、それらの問題を従順に継承してしまっているように見える。
 
 
ブロックチェーンはもっと美しく
 
 ブロックチェーンにかぎらず、新しい技術は、弱く貧しく苦しんでる人を助けるために使われなければならない。現状、特に日本では、ブロックチェーン技術は「フィン系」と「テック系」の観点からばかり語られている。「フィン系」とは即ち儲かるか儲からないかという話であり、「テック系」とは技術的にできるかどうかという話である。ブロックチェーンを応用して、社会をどう良くしていくか、という話が少ない。
 
 私はブロックチェーンに期待しすぎているかもしれない。
 
 20世紀には資本主義の、21世紀に入ってからは民主主義の弊害がたくさん見えてきた。今、世界で一番民主主義的な国家である米国で、民主主義的手続きによって選ばれた大統領は、世界で最も独裁的な人である。
 
 インターネットに次ぐ大発明と言われるブロックチェーンによって、資本主義の弊害や民主主義の弊害が是正されることを期待している。なぜなら、最も有名なブロックチェーンであるビットコインブロックチェーンは、貨幣だから金融・資本とは関聯が深いし、アルゴリズムは複数のノード間の合意の問題を扱っているから民主主義とも関係が深いからだ。
 
 私はブロックチェーンには将来的な可能性を感じ期待しているからこそ、それは“美しく”あらねばならないと思っている。「持てる人がますますモテて、持たざる人はますますモテなく」なるような原理を社会に持ち込むべきではない。インターネットやウェブが少し強めた市場原理をさらに強めるだけならブロックチェーンは要らない。
 
 
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【将棋】羽生「永世七冠」の歴史的偉業を汚した「叡王」

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 2017年12月5日、将棋の羽生善治がついに「永世七冠」を成し遂げた。

 

 その歴史的偉業を讃えるNHKのニュースに私は次のようなコメントを書いた。

 

将棋 羽生棋聖が前人未到の永世七冠 | NHKニュース

叡王戦のせいで「永世七冠」もしょぼく感じる。去年までだったら「全て制覇した」感、グランドスラム感があった。今となっては「8分の7」感しかない。

2017/12/05 18:19

 

 この私のコメントに対してid:Josui_Do氏から以下のような指摘をいただいた。

  

将棋 羽生棋聖が前人未到の「永世七冠」達成 | NHKニュース

おめでとうございます!/対局相手の渡辺明棋王永世竜王永世棋王と羽生世代以降の現役棋士で初の複数永世称号保持者。強い人です id:rjutaip 叡王戦永世称号の規定が未定なので8分の7ではなく7分の7です

2017/12/05 18:35

 

 この指摘はその通りで、叡王戦には永世称号の規定はないので、確かに現時点では永世称号の全冠制覇である。

 だが、叡王戦には永世称号が無い、とかそんなことは私たち将棋ファンしか知らないことであって、世間一般の人は分からない。実際、その夜、この快挙を伝えるNHKのニュースでは、「七つのタイトルがあって、その七つの永世の称号をすべて取ったということです」と苦しい説明をしていた。

 タイトルは八つである。だから正しくは「八つのタイトルがあってその内の七つの永世称号を獲得した」と言わなければならない。しかしそう言ってしまうと視聴者は「全部制覇したわけじゃないのか」と思ってしまう。そう誤解されないためには「この内、叡王戦には永世称号の規定が無く…」などという回りくどい説明をしなければならない。これは美しくない。

 

 私は「7」という数字はずっと美しい数字だと思っていた。三冠、五冠、七冠、奇数の方が美しい。ドラゴンボールではないが、七つ集めたらコンプリートというのは分かりやすいし綺麗だと思っていた。

 

 叡王戦には永世称号が「無い」とも言えるし、「未定」とも言える。「未定」と言った場合は、「将来的にはできるかもしれません」ということだ。

 これは、誰かが一旦ゴールテープを切った後に、「実は本当のゴールはもうちょっと先なんです」と言うようなものだ。やり口が汚い。

 

 「永世七冠という、おめでたいニュースなのに何故そんな水を差すようなことを言うんですか?」と思う人もいるかもしれない。だが、私たち将棋ファンはこのビッグニュースを長年待ち望んでいたからこそ、ゴール直前に急にタイトル戦が一つ増やされたことが残念でならないのだ。

 他の人のコメントでこんなのもあった。

 

将棋 羽生棋聖が前人未到の「永世七冠」達成 | NHKニュース

将棋ファンは9年待った。47歳で竜王復位、というところが今回の最も凄い点。

2017/12/05 16:39

 

 そう、将棋ファンはずっとこの日を待っていたのだ。それなのに、ゴール直前で「もしかしたらゴール地点はもうちょっと先になるかも」と言われた気分。

 

 他のスポーツ界でも、過去の記録をすべて無かったことに、参考記録扱いにしよう、としている世界もある。暴挙というべきである。 

 箱根駅伝もあんなに歴史と伝統のある大会なのに、度重なる区間変更(しかもその理由は大抵くだらない理由)によって、過去の偉大な選手の偉大な記録が次々と参考記録になっていってしまっている。

 

 今、竜王は名人よりも格上である。これは将棋ファンなら皆知っていることだが、世間一般の人は知らない人が多いだろう。「えっ、名人が一番偉いんじゃないの?」と思う人が多いだろう。

 竜王が一番格上なのは、竜王戦が最も賞金額が高い棋戦だからである。その賞金を出しているのは読売新聞社である。連盟は大スポンサーである読売新聞社に配慮して竜王を最高位に位置づけている。

 連盟の財政事情は知らないが、叡王戦をタイトル戦にしたのも、ドワンゴ連盟にとって大きなスポンサーだからだろう。

 連盟に言わせれば、「きれいごとじゃないんです。活動のためにはお金も必要なんです」と言うことだろう。それはわかる。でも、もうちょっと伝統の美しさについても考えてほしい。

 

 「前人未到の大記録」というのは、前人たちとある程度条件が同じであって初めて言えるのである。木村十四世、升田幸三、大山十五世(全盛期)からしたら「『前人未到の七冠制覇』って、俺らの頃には七冠無かったからなぁ。前人未到なのは当たり前だろ」と文句も言いたくなるだろう。

 

 羽生善治は過去に七つのタイトルすべてを制覇している。これは過去に二人しかいない偉業である。(谷川、羽生。竜王→十段なら中原も。)

 さらに七つのタイトルを同時に保持する、という、これはもう未来永劫誰も為し得ないのではないかというような大記録も達成している。

 

 だが、これらの偉大な記録も「当時としては全冠」「当時としてはすべてのタイトル」などと、いちいち「当時としては」という前置きを付けなくてはならなくなる。まったく美しくない。

 

 せっかくの「永世七冠」のパーフェクト感、それを達成した棋士の偉大さ、この歴史的大偉業、そうしたものを連盟が毀損していくべきではない。

 

「フィンテック」批判

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 ここ一年ほど、急速に「フィンテック」という言葉を聞くようになってきた。

 数年前からブロックチェーンビットコインに関心を持っていて、ずっとそれらに関聯する記事や文章を読んできた。このブロックチェーンという新しい技術がどのように世の中の役に立つか、ということに興味がある。

 ところが現状、ネット上で見かけるブロックチェーンビットコイン関聯の話は、ほとんどが「フィンテック」の文脈で語られている。「フィンテック」とは、「financial(金融)」と「technology(技術)」を合わせた新しい造語である。

 フィンテックについて語っている人はほとんど、「フィン系」か「テック系」の人たちである。

 数年前、ビットコインが登場してまだ数年しか経っていなかった頃は、ビットコインについて話していたのはほとんどがテック系の人たちだった。専ら技術的な視点のみから語られていた。それが段々、普及していくにつれて「これは法的な扱いはどうなるのか」「法的な位置付けを明確にしておかないとまずいんじゃないか」ということになり弁護士ら「ロー(law)系」の人たちが加わった。そしてその後さらに金融・経済系の人たちが集まってきた。

 ビットコインは今では10%ほどの人が技術的観点から語り、5%ほどの人が法律的な観点から語り、残りの85%くらいの人はみな「フィン」の観点から語っている印象だ。しかもそのほとんどは「儲かるか儲からないか」という話である。ビットコインに関しての何らかの記事を書いている人はほとんど、プロフィール欄に「トレーダー」「株やってます」「FX歴何年」「投資のセミナーやってます」などと書かれている。

 ビットコインという大発明、そしてそれを支える技術であるブロックチェーンが、こうして単なる「儲かるか儲からないか」という話になってしまっていってるのが残念で仕方がない。

 こうした新しい技術は、「どのように世の中の役に立つか」という観点から語られなければならない。ところが現状はフィン系の人たちは「儲かるか儲からないか」という話ばかりをし、テック系の人たちは「(技術的に)できるかできないか」という話ばかりをしている。新しい技術をどのように世の中に役立てるか、という話が聞こえてこない。

 新しい技術が登場した時はいつもそうだ。コンピューターの登場、インターネットの登場、ブログという新しいツールが登場した時も、先ずはテック系の人たちがインターネットとは何か、ブログの仕組みや、どのようなことができるかを説明し、そこに金のにおいを嗅ぎつけたフィン系の人たちがやって来て「アフィリエイトで月収何万生活!」などと始める。

 数年前、ビットコインブロックチェーンに出会った時はワクワク感があった。この新しいテクノロジーが世界を”decentralized”に変えて行くだろうという期待感に満ちていた。だがビットコイン知名度が上がってきた最近は、特に日本ではビットコインと言えば儲かるか儲からないかという話ばかり目にするようになってきた。

 日本はICOに関しては他国にくらべて計画倒れのものが少なく、プロダクトが先行している印象がある。それは良いところだと思う。だが一般大衆の間で話題になっているのは、ビットコインは儲かるか、どのICOが儲かるかとか、そういう話ばかり。うんざりだ。この新しい技術を社会にどう役立てるか、という話をするべきだ。

 私は、エストニアのe-Residencyのような取り組みに注目している。更には国自体をICOの対象にするとかしないとかいう話も先日、聞いた。エストニアの国家を挙げた「実験」とでもいうべき試みが上手くいくかどうかは分からないが、先進事例として興味深い。

 また、イーサリアムで寄付ができるGivethのような取り組みなど、ブロックチェーンを使った海外発の魅力的なプロジェクトがいっぱいある。

 日本の場合はブロックチェーンマイナンバー制度と融合させることで新たな道が拓けて来ると思っている。実際、総務省でそのような研究が進んでいる。必ずしもブロックチェーンに拘らず、それに似た分散技術を柔軟に使っていく考えのようだ。こういう方面の検討はどんどん進めてほしい。そして「知らないうちに国が勝手にやってた」とならないよう、国民ももっとフィンテックの活用について議論をするべきだと思う。

 だからこの記事はフィンテックに対する批判ではない。「フィンテック」という言葉に象徴的に表されている「仮想通貨で儲ける方法」みたいな話題ばかりが氾濫している現状の日本人の仮想通貨に対する姿勢への苦言である。

 いつまで「仮想通貨は儲かるか」などという段階の話をしているのか。

 

四月一日改元批判 〜踰年改元の復活を考える〜

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 朝日新聞が報じるところによれば2019(平成31)年の4月1日から新しい元号に変わる、と。

天皇陛下退位19年3月末 即位・新元号4月1日で調整:朝日新聞デジタル(2017/10/20朝日新聞)

 

 それを否定する報道もあるが。

【天皇陛下譲位】菅義偉官房長官、朝日新聞の「平成31年3月末譲位」報道を否定 - 産経ニュース(2017/10/20産経新聞)

 

 4月1日って何だ。ひどすぎる。

 明治5年の太陽暦改暦の愚行を思い出す。太陰太陽暦太陽暦かは国民生活に重大な影響を及ぼすことなのに、当時の「官吏の給料」という、後世の人間からしたらどうでもいい理由で改暦が敢行されたのだった。改暦によって季節が分からなくなった。例えば、「十五夜の月」とか「新春」という言葉がなぜそう言うのかが分かりにくくなった。季節は季節であって、国の財政が失敗したから今年の秋は無くなりました、とか、そんなふうにしてはならない。

 

 会社の年度から学校の年度まで、揃いも揃って国の会計年度に合わせているのは先進国では日本くらいのものではないか。

 新しい元号は、そんな古い悪習からは独立していてほしい。ネット上では「効率が」とか「システムが」どうのこうのと言う意見が多い。そんな効率主義からも独立していてほしい。将来の人々が「今の元号はなんで4月1日から始まってるの?」と聞いたとき、「それは当時のシステム屋が年末年始ぐらいは休みたいという理由で…」などと聞いたらがっかりするだろう。そもそも現代のシステムは西暦で動いているのであって元号は関係ないはずだ。「役所が元号を使ってるのです」と言うのかもしれないが、だからこそ4月1日改元は止める必要がある。

 これではまるで、役所の役所による役所のための元号。新しい元号が古いシステムの象徴のように始まるのは、考えただけでも気が滅入る。

 

 元々、1月1日案と4月1日案の二つがあって、この内、1月1日案は、年末年始に宮中の行事が立て込んで忙しい時期なので避けたいという宮内庁の意嚮があるそうな。

 それで思ったのだが、譲位(退位)の時期と改元の時期をずらすのでは駄目なのか?あまりにも離れていては不自然だろうが、例えば、2018年の10月頃に譲位、践祚をして、2019年1月1日に改元すればよいのでは?忙しくなるのは「譲位即改元」ということにしているからでしょう?譲位という時点で明治以来の一世一元の制は崩れている。少し譲位の時期を早めて踰年改元ということにすれば、年末年始が忙しくなることは無いのでは?

 特例法でも元号法でも譲位の時期と改元の時期が離れていてはいけない、とは決められていない。即位の礼は2019年の11月頃に行われるだろう。これはほぼ間違いない。とすると、践祚即位の礼が丸一年以上離れるのを嫌っているのか。では、2018年11月頃でどうか。宮中の詳しい行事予定は知らないが、この度は諒闇による践祚ではないのだから明治以前にはあった「踰年改元」の復活を考えてもよいのではないか。

 

 宮中祭祀の関係でどうしても1月1日は無理というのならしかたない。でも4月1日はない。4月1日にするくらいなら、2月23日のほうがよい。そのほうがずっと「人間的」だ。

 

 関係者の皆様には御一考願いたいことである。

 

Jコインの行く末を想う

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 みずほ銀行、ゆうちょ銀行、地方銀行が協力して「Jコイン(仮称)」という仮想通貨を作るというニュースがあった。

 Jコインを作る理由は何だろう。

 日経によれば、ApplePay、PayPal、支付宝(Alipay)のような外国勢に決済データを握られないようにするため、というのが理由らしい。 三菱東京UFJ銀行を巻き込もうという動きもあるのだと言う。これに三井住友銀行も加わったら、ほぼオールジャパン体制になる。

 このニュースを見た時はあまり魅力を感じなかった。「こんなの作って何の意味があるの?」という批判もたくさん見たが、そこまで悪い試みだとも思わないが。

 ここまで大きな銀行が結束して作ろうというからには、決済データを把握するという理由のみならず、何か大きな思惑があるのだろう。それは私のような一般人には分からない。

 カジノ構想との関聯で作ろうとしているのなら反対。カジノ構想そのものに反対だから。

 管見では、小さな思惑としては、マイナンバー制度との繋がりがあるのではないか、と思った。総務省マイナンバー制度におけるブロックチェーンの活用を検討している。マイナンバー制度とブロックチェーンは相性がいい。もしマイナンバー制度でブロックチェーンが使われるようになれば、それに“合う”通貨があった方がいい。所謂、「法定デジタル通貨」に近いものを目指しているのか?

 しかし、それは他国なら中央銀行がやっていることだ。日本では日本銀行よりも民間銀行の動きの方が早いのかもしれない。銀行以外でもBCCC(ブロックチェーン推進協会)の「Zen」など似たようなプロジェクトはある。その中から国が優秀なものを採用してマイナンバー制度と結びつける。そうすれば納税などもそのコインで行われ、国は金の流れをかなり完全に把握できるようになる。国に金の流れを完全に“管理”されることになるので、国民にとっては嫌なことかもしれない。

 Jコインは普及すれば、それなりに便利に使えるコインにはなるだろう。日本銀行は最近、欧州中央銀行との共同実験の結果、今すぐブロックチェーン技術を使うこと、CBCC(中央銀行暗号通貨)を作ることにはやや否定的な考えを示しているように見える。

 しかし民間先行はガラパゴス化を生みやすい。個人的にはガラパゴス化は好まないので、私はもしマイナンバー制度と結びつけるような通貨を作るのであれば、やはり日本銀行が責任とイニシアチブを持って作るべきだと思う。

 

マイナンバーカードと自治体の「ニーズ」の見誤り

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 先日、区役所に必要な書類を取りに行ったら延々45分も待たされた。藁半紙の紙切れ一枚を貰うのに45分。番号が私より遅い人が先に呼ばれ、私は延々待たされた。やっと呼ばれた時に窓口の女性職員は「お待たせして大変申し訳ございませんでした」と深々と頭を下げた。私が「コンビニ対応はしてないんですか」と聞いたら「してません」と。してないことは知ってたから窓口に来たので、続いて「コンビニ(マイナンバーカード)対応しない理由は何かあるんですか?」と聞いたところ、「区のシステムがそもそもマイナンバーカードに対応していない。対応するためにはシステムを改修しなければならない。改修には大きなコストがかかるので区民のニーズとのバランスを見ながら判断している」とのことだった。

 以前、現役公務員の人のブログで似たような指摘を読んだことがあった。 

 私は国がマイナンバー制度を推進すれば、もういちいち区役所に足を運ばなくていい世の中が直ぐに到来すると思っていた。だがどんなにマイナンバー制度が優れていたとしても役所がシステムを改修して対応しなければ、マイナンバーカードは全然使い物にならない。そして、そのシステムの改修には大きなコストがかかるということも解った。

 だが、「区民のニーズ」については見誤っている。「今のところ区民のニーズがないから対応しない」のではなく、「対応したらニーズが高まる」のである。マイナンバーカードはそういうものである。「今、誰がカード持ってるんですか?そんなに使う人いないでしょう」と言いたいのかもしれないが、今、多くの国民がカードを持っていない、使っていないのは、使い途がない、若しくは分からないからであって、「こんなことに使えるのか!」と使い途が分かってくれば、持つ人も増えてくるし、使うようにもなる。

 例えば、国や役所は「マイナンバーカードで住民票の写しが取得できます!」と言っているが、住民票記載事項証明書の取得に対応していない自治体は多い。こんな中途半端なことでは誰もマイナンバーカードを持とうとは思わないだろう。住民票の写しを必要とする場面は日常でそんなに多くない。今の時代は、個人情報の取り扱いに敏感になっている時代なので、会社でも余計な情報がたくさん載っている住民票よりも、住民票記載事項証明書の提出を求めるところは増えている。「住民票記載事項証明書はニーズが少ないから対応しません」というのはニーズの見誤りである。それに、どんなにニーズが少なくても対応しなければいけない。マイナンバーカードにはそういうインフラ的性格が求められているからである。ロングテールにも対応していかなければならない。

 国民の大半はまだ、マイナンバーカードでどんな便利なことができるか知らないのである。「こんなことまでマイナンバーカードでできるんだ!」という感動体験がカード利用者を増やす。カード一枚でスマートに手続きが済む社会、がマイナンバーカードが目指すものであったはずだ。それを、これには対応しているけどこれには対応していませんなどという市松模様を作ってしまったのでは、却って「カードがある前のほうが分かりやすかったね」ということになりかねない。

 「需要がないから」、「ニーズがないから」ということを理由にすべきではない。区民は「マイナンバーカードでどんなことができるか知らない」「マイナンバーカードを持つメリットがない」と言い、区役所は「区民からの要望がない」と言っていたのでは、永遠に前に進まない。

 マイナンバーカードは、それ一枚あれば基本的なことは何でもできる、ということを根本にすべきであって、「持っていれば便利なこともある」という性格のものにすべきではない。この「オールインワン」という性格がなかったら、マイナンバーカードである必要はない。ただ、「国民にとって行政手続きにも使える便利なカード」ということなら、マイナンバーカードではなく、電子証明書を内蔵したカードで十分である。

 自治体はもっと本腰を入れてマイナンバーカード対応に当たってほしい。そうすれば、私もあんなに延々と待たされずに済むのだし、職員だって窓口対応に大わらわになったり、私に深々と頭を下げたりしなくて済むようになるのだから。