漸近龍吟録

反便利、反インターネット的

大学入学共通テスト最低平均点問題から見る日本の世代間格差に対する鈍感さ

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 令和4年度の大学入学共通テストの数学1Aの平均点が史上最低になったとの報道があった。前身のセンター試験時代を含めて最低とのこと。

共通テ、7科目で平均が過去最低 最終集計を発表、数1・Aなど:東京新聞 TOKYO Web

 

 私はこの問題はもう大分昔から指摘している。

 が、それからちっとも事態は改善されていない。世間がこれを大きな問題と見做さず放置しているからだ。

 この手の問題に対するよくある声は、「問題が難しかったのは他の受験生も同じ。あなただけじゃない」、「条件はみんな一緒」という暴論である。

 「難しい問題の方が得意」、「易しい問題の方が得意」というタイプの人がいる。どういうことかと言うと、例えばここに30人のクラスがある。難しい英語のテストと易しめの英語のテストを実施する。「私はこのクラスでは英語のテストはいつも15 ~20位くらいでそれより上にも下にも行きません」という「不変」の人もいる。「難しい問題の方が得意」というタイプの人は難しめのテストでは30人中5位になるが、易しめのテストでは22位になる。逆に「易しい問題の方が得意」なタイプの人は難しめのテストでは25位だったのが、易しめのテストでは6位になったりする。同じクラスの同じメンバーで受けたテストである。問題の難易度で大きく順位が変動するタイプの人というのはいる。「テストの難易度は関係ない」だとか、「すべての人に平等に影響する」と言うのであれば、このように大きく順位が変動する人はいないはずである。

 

 これはテストに限らず、もっと多くのことについて言える。例えばマラソン。「このコースは上り坂が多いだって?そんなことに文句を言うな!上り坂がきついのは皆同じ。条件はみんな一緒」。

 そんなことはない。上り坂は確かにきつい。すべての選手が上り坂ではペースダウンする。だがそのペースダウンの幅が違う。上り坂を異常にきつく感じてしまう選手もいれば、上り坂で他の選手がバテることを大チャンスと感じる上り坂が得意な選手もいる。マラソン選手たちは、自分が上り坂が得意なタイプか、それとも平地で力を発揮するタイプかを分かっているので、自分に合ったコースの大会に参加する。「自分は上り坂が苦手だ」という自覚がある選手は、わざわざ上り坂が多いことで有名な大会は選ばない。

 

 高校生は皆、共通テストの難易度を知った上で受験しに来ている。これぐらいの難易度だったら自分に合っていると思ってプランを組んでいるのだ。蓋を開けてみたら難易度が過去のものと大幅に違っているというのは、マラソンコースが当日に大幅変更されるようなものだ。「共通テストがこんなに難しい(易しい)んだったら、私大の方を受けておくんだった」とか、全体の受験計画、進路計画が大きく変わってくる。

 こんな酷いことは許されないことだ。

 だが、この問題は糾弾されなかった。ネット上で少し批判の声も見たが、ほんの少しだけで、大学入試センターに対する大きな糾弾の声にはならなかった。

 なぜか。それは、日本人が世代間格差に対する感覚が鈍感である、ということが上げられると思う。

 日本には、「戦争世代」とか「氷河期世代」のように、特定の「はっきりと不幸な世代」というものが存在する。共通テストでも、同一年度内の格差については是正しようとする。例えば公民で現代社会を選択した人と倫理を選択した人とで大きな不公平が生じないように得点調整を行ったりする。だが違う年度間の不公平についてはほったらかしである。去年は易しく、今年は激ムズ、という不公平を誰も問題として取り上げない。

 こういうところに、私は日本人の、世代間格差に対する恐ろしいまでの鈍感さを見る。この鈍感さこそが戦争世代や氷河期世代といった不幸な世代を生み出し、そしてこれからも生み出し続けていくのだろう。

 

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