愛(あい、AI)は駄男(だめんず、DAO)に魅かれる。
それは、“自分”を最大限に発揮できる場だからである。
駄男は、その中に民主主義的な性格を内包している。駄男の最大の「駄目なところ」はそこにある。「民主主義なら結構じゃないか」と思うかもしれないが、その「民」とは人間とは限らないのである。
愛(あい、AI)は駄男(だめんず、DAO)に魅かれる。
それは、“自分”を最大限に発揮できる場だからである。
駄男は、その中に民主主義的な性格を内包している。駄男の最大の「駄目なところ」はそこにある。「民主主義なら結構じゃないか」と思うかもしれないが、その「民」とは人間とは限らないのである。
正月に箱根駅伝を観るのを楽しみにしている。
ところで、箱根駅伝の時期になると、
しかし、関西人が「箱根駅伝は関東ローカルなのに・・・」と言う時には、関東の大学しか参加できない、という事実以外の言外の意味があるように思われる。
箱根駅伝は「関東ローカル」なイベントではない。
光格天皇。江戸後期に在位された第119代天皇。今の天皇陛下のおじいちゃんのひいおじいちゃんに当たる。
江戸時代の天皇はとかく存在感がない。「江戸時代の将軍の名前を言いなさい」と言われればたくさん言えても、「江戸時代の天皇の名前を挙げなさい」と言われても一人も思い浮かばない、という人も多いのではないだろうか。
現代に至るまで最後に譲位した天皇であり、最後の上皇である光格天皇。昨年、譲位(生前退位)のお気持ちを表明された今上天皇と重なるところがいくつもある、と私は思っている。
以下、私が感じる今上天皇と光格天皇の共通点を五つばかり挙げる。
光格天皇は、古代からの行事や儀式など数多くの儀礼を復活させた。途絶えていた儀式を復活させることにより、朝廷の権威を高めた。
一方、今上天皇は、一年間に千の書類に目を通し、二百を超える行事に御出席されていると言われている。また被災地への御訪問など、天皇としての「お務め」をとても大切にされている。
光格天皇は、学問を好まれ、博学であられた。幼少の砌より学問好きとして知られ、後見役の後桜町上皇は公家たちに「みんなこの子を見習ってもっと勉強しなさい」と仰せになったほど。
今上天皇もまた、学問を好まれることはつとに有名である。特に魚類学者として数々の業績を残されている。
だが、この諡号に関しても、幕府は「格別の御訳柄」、つまり今回ばかり「特例」として認めますよ、ということだった。
今上天皇は、内々の近しい人(宮内庁の人)に譲位のお気持ちを話された時に再考を促された、と言われている。譲位は二百年、例がなく、譲位となれば皇室典範の改正を始めとしてさまざまな問題が出てくる。御公務が大変ということなら、御公務の数を減らすなり、摂政を置くなりして対処できます、どうか譲位のお気持ちを表明されるのは思い止まってくださいませ。
皇室典範は、言わば現代の禁中並公家諸法度である。天皇の行動をかなり束縛するものである。光格天皇も今上天皇も基本的にはそのルールに従っておられたが、唯一、光格天皇は「父君の位だけは尊重してほしい」、今上天皇は「退位くらいは自由に認めてほしい」という希望を仰せられた。
そして譲位。
前回、光格天皇が譲位されたのがちょうど二百年前の1817年。今年か来年に今上天皇の生前退位が実現すれば約二百年ぶりの譲位であり、おそらく二百年ぶりの上皇誕生ということになる。
譲位の理由は異なる。今上天皇の場合は、年齢による健康問題、またそれに伴う「象徴としての天皇の務め」を果たすことができなくなることを懸念されての譲位である。
今からちょうど二百年前。光格天皇は現在の皇統の祖でもある。
今日2016年11月7日で、はてなブログ5周年。
「はてなブログ5周年ありがとうキャンペーン」というのがあってて、今週のお題にかわって「はてなブロガーに5つの質問」というのがあってたのだが、今日からお題が「5年後の自分へ」に変わっている。
はてなブログ5周年ありがとうキャンペーンお題第2弾「5年後の自分へ」
5年後の自分へ言いたいことは特に何もないので、「はてなブロガーに5つの質問」に答えることにする。
はてなブログ5周年。
本当に。
2016年11月7日に、はてなブログが5周年を迎えるから始めようと思った。
「龍」・・・自分の名前。
「録」・・・記録。Blogのlog。
「吟」・・・感情の吐露。
「漸近」・・・近づいていくが永遠に交わらない。
(※2016年時点のブログ名)
まだない。
今日、始めたばかりだから。強いて言うならこの記事。
ない。今日、初めて書いたから。
5周年おめでとうございます。今日からはてなブログを始めます。
特にない。