漸近龍吟録

反便利、反インターネット的

「非モテ」とは何か

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非モテ」とはモテないことに苦しんでいる人

 「非モテ」とは「モテない人のこと」。
 
 辞書的にはそういう意味だ。
 
 だが、「非モテ」が問題として語られる時、それは単に「モテない人」という意味の言葉ではなくなる。
 
 NHKにこんな記事があった。
 日本では古くから語られている「非モテ」の問題が欧米社会でも問題になっている、と。だが、この記事を読んで、「ああ、『非モテ』を全然解っていないな」と感じた。
 
 「モテなくてもいい」のだったら、それは何の問題もない。時々、「私は別にモテなくてもいいです」と言う人がいる。それだったら、モテなくても何ら問題はない。
 
「30歳。非モテです。今まで女性と付き合ったことがありません。今まで本気で女性を好きになったことがありません。」
 
 こういう独白をたまに見かけるが、女性を好きになったことがないのなら、女性と付き合ったことがないことは何の問題もないし、それは「非モテ」とは言わない。「非モテ」とは、「モテたい」と思いつつも、それが叶わないでモテずに苦しんでいる人のことを言うのだ。
 
 女性を本気で好きになり、その人と両想いの関係になりたい、恋人同士の関係になりたい、と強く願いつつも、その願いが叶わずひどく苦しんでいる状態にある人のことを「非モテ」と言うのである。
 
 ところが、現代、かなり多くの人が、「非モテ」というのは「世間体」の問題だと思っている。つまり、「この歳で彼女がいたことがない、とか恥ずかしいですよね?」という問題だと。
 
 世間体の問題は問題として別に存在するかもしれないが、それは非モテの問題の本質からは外れる。非モテとは「モテないことの苦しみ」が根底にあらねばならない。「別にモテなくてもいいんだけど、世間体的に彼女とかいたほうがいいですよね」と言うのは、この「苦しみ」が無い時点で非モテではないのだ。
 

「結婚できない」人の問題

 これと同じ構図が「結婚できない問題」にもある。結婚できない問題とは、基本的に「結婚“したいのに”できない」人がたくさんいる、という問題である。ところが、この問題を話し合っている時に、必ずと言っていいほど「一人のほうが気楽でいい」と言う人が口を挟んでくる。
 
「結婚って自由を束縛されるじゃないですか」
「独身でいることのメリットもあると思うんです」
「大人になったら皆結婚しなくちゃいけない、みたいな風潮が良くないんじゃないですかね。」
「いい歳して一人でいるのは恥ずかしい、みたいな世間の風潮がよくない」
「今の時代、一人で生きるっていう生き方もあっていいと思うんです」
「他人に気を遣いながら生活するっていうのが嫌なんですよね」
 
 そう言う人たちは、どうぞ心ゆくまで一人でいてください。私は別に「大人になったら結婚すべき」とか「日本は少子化なんだから結婚すべき」とか、そんなことは言わない。結婚したくないなら結婚しなければいい。話はそれで終わりだ。
 
 「でも結婚しなければいけないみたいな風潮がある」? 私はそうは思わない。私はそんな圧力は感じない。
 
 「あんまり結婚したくないんだよね」、「一人のほうが気楽でいい」。そう言う人たちは、お願いだから「結婚(したいのに)できない問題」を議論している場に口を挟んでこないでくれ。議論の道筋がずれていってしまうから。
 
 

意味がずれていった「ニート

 これと似たような構図が「ニート」という言葉にもある。「ニート」とは「働いていない若者」という意味だ。辞書的にはそうだ。だが、この言葉が日本で普及した背景には、そもそも就職氷河期で、大量に「(就職したいのに)就職できない若者」が生まれたことがある。つまり、「ニート」は「働きたいのに働けない若者」だった。ところが一部の若者が、
「働くことがすべてなんですかね?」
「そういう考え方って古いんじゃないですか?」
「ブログ書いてアフィリエイトで食べていくっていう生き方があってもいいと思うんです」
などと言った。
 
 それに対して老人たちが「何をー!」「昔から“働かざる者食うべからず”と言ってだなー!」と怒った。
 
 一部の“若者”の声が、議論の方向を捻じ曲げ、「就職したいのに就職できない」という問題の問題点がぼやけていった。
 
 

「童貞」の問題

 「童貞」という言葉にも同じ問題を見る。
 
 女性がよく「童貞は別に恥ずかしいことではありません」と書いているのを見かける。上記のNHKの記事で社会学者が「あなたの価値は性交渉できるか否かとは関係ない」と言ってるのも同じである。
 
 たしかに一部の男性は童貞の問題を世間体の問題として語っている。「この歳で童貞でいるのって恥ずかしいですかね」ということである。
 
 でも、そうではない。問題として語られる時の「童貞」というのは、性欲があり、「女性と交わりたい」と強く願いつつも、それが叶えられないでひどく苦しい状態にある人のことである。
 
 単に性的経験がない人も広義の童貞ではあるが、本人が「性欲がない」「別に女性と交わりたいと思わない」と言うのであれば、それは童貞でも何ら問題はない。
 
 

強く望みながら望みが叶えられず苦しんでいることが問題の前提

 以上見てきたように、「非モテ」にしろ「独身」にしろ「ニート」にしろ「童貞」にしろ、そこには共通して「強く望んでいるのに、その望みが叶えられないでひどく苦しく辛い状態にある」ということがある。
  
 この前提が忘れ去られると、問題の核心はどんどんぶれていく。私は過去、そういうぶれまくった議論を幾つも見てきた。
 
 議論がぶれてしまう理由の一つとして、「世間体を気にする派」の人たちが、この種の議論に口を挟んで来ることが上げられる。そして今の時代はこの「世間体を気にする(気になる)派」の人が意外と多い。
 
 現代日本には結婚(したいのに)できない人がたくさんいる、という問題を話し合っている時に、
「『一人でいるのはよくない』みたいな風潮が問題なんじゃないですかね」
「『結婚がすべて』という旧来の考え方を見直す時代に来てるんじゃないしょうか」
と言って来る人をたくさん見てきた。
 
 そういう社会の風潮や同調圧力といった問題はたしかにあるかもしれないが、それは「結婚できない問題」や「非モテの問題」とはまた別の問題である。
 
 「彼女がほしいと思わない」、「一人のほうが気楽でいい」という人は、どうかこの種の問題に口を挟んでこないでほしい。
 
 非モテの問題には、仏教で言うところの求不得苦(求めても得られない苦しみ)が根底にある。
 
 「求めてもいない、苦しんでもいない、ただ一人でいると周りがうるさいから困っているだけで…」という人たちは、そういう人たちで集まって別のところで話し合ってほしい。
 
 いまさらこんな「非モテ」の定義から話し始めなければならないことに私は軽い眩暈をおぼえる。