漸近龍吟録

反便利、反インターネット的

ホームレス問題と専門バ家

f:id:rjutaip:20180608100308j:plain

 
 専門のことしか考えられず全体を考えることができない人のことを「専門家」の間に「バ」を入れて「専門バ家」と皮肉を込めて言っている。
 
 昔からホームレスの問題に関心がある。ホームレスの問題は一つ一つの問題を専門的に取り上げても解決しない典型的な問題だと思うから。
 
 ホームレスの人が、お腹が痛いと言う。それに対して、「体調が悪いなら病院に行け」と言うような人を今までたくさん見てきた。
 
 「違うの!別に冷たく突き放してるんじゃないの。ほら、私って身体のことに関しては素人でしょ?お腹痛いっていうのが、これがもし大きな病気とかだったら大変でしょう?だから、ちゃんと専門家に診てもらったほうがいいと思って」
 
 このような言い訳をたくさん聞いてきた。
 
 「ちゃんと専門の人に診てもらったほうがいい」、「あなたのためを思って」、「親切で言ってるの」。
 
ホームレスの人「お金がなくて病院にかかれません」
 
「お金が無いの?じゃあ、働け」
 
ホームレスの人「職が無くて」
 
「職を探してるの?じゃあ、ハローワークに行け」
 
ホームレスの人「ハローワークに行ったら、企業は住所がある人しか雇わないって言われました」
 
「住む家を探してるの?じゃあ、不動産屋に行け」
 
ホームレスの人「不動産屋に行ったら身元保証人が必要だと言われました」
 
身元保証が必要なの?じゃあ、家族か親戚に頼め」
 
ホームレスの人「家族・親戚とはもう縁が切れていまして」
 
「じゃあ、友人か知人に頼め」
 
ホームレスの人「友人も知人もいません」
 
「友達がいなくて悩んでるの?だったら何かサークル活動にでも入ったら?」
 
ホームレスの人「以前、サークルに入ったのですが人間関係に悩んで…」
 
「精神的な悩み?だったらカウンセラーのところに行け」
 
ホームレスの人「一時間5000円のカウンセリング料が払えなくて」「あと、お腹が痛くてそこまで行くのが大変で」
 
「お腹が痛いなら医者に行け」
 
 以下繰り返し。
 
 こんな命令形の乱暴な言い方ではなくて、もう少し優しい言い方をするとしても、言ってることは同じだ。「精神的な悩みの話だったら、専門の心理カウンセラーに聞いてもらったら?」とか、一つ一つのプロフェッショナルに頼めと言う。
 
 「身体の不調のことなら医者に行け」と言うのは、そこだけに焦点を当てて言った場合には正しい。そして、病院に行って医者から言われたアドバイスも部分的な「系」としては正しいだろう。「専門家がああ言ってるんだから言われた通りにしたほうがいいよ」。
 
 だが、部分的な系のみに注目していても、ホームレスの人の問題は解決しない。
 
 病院に行ったら医者から「そのお腹の痛みは精神的なストレスから来ていますね」と言われる。なるほど。それで?
 
 精神的なストレス。
 
 家族や友人がいないから悩みを吐き出せる人がいなくて、どんどんストレスが溜まっていくわけだ。
 
 友人・知人がいないから「ツテ」で職を紹介してもらえないわけだ。
 
 職が見つからないことがストレスなわけだ。
 
 職が無いから金が無いのだ。
 
 金が無い貧しい底辺暮らしだから誰も寄って来ないで一人になるのだ。
 
 一人だから精神的孤独感がいや増すのだ。
 
 一人だから家を借りられないのだ。
 
 家を借りられず外で寝ているから体調を崩すのだ。
 
 体調を崩しているから職を紹介してもらっても体力仕事に就けないのだ。
 
 ずっと職に就けず無職でいることがストレスなわけだ。
 
 家が無いことも、金が無いことも、社会的地位や人間としての尊厳が無いことも、人が離れて行くことも、今こうして現に体調を崩していることも、すべてストレスと言えばストレスなわけだ。
 
 ホームレスの人が抱えている問題は、すべてが繋がっている。体調の問題、家の問題、仕事の問題、心の問題、人間関係の問題、すべてが密接に関係している。
 
 それなのに、その中から「お腹が痛い」という一事のみをピックアップして「それなら病院に行け」と言うことに何の意味があろう。それで言われた通り病院に行って「精神的ストレスが原因ですね」などと言われて、こんな馬鹿馬鹿しいことがあるか。自分の体調不良はストレスが原因だ、などということはホームレス本人もとっくの昔から分かっているのではないか。
 
 専門バ家は何も解決しない。解決できない。専門家だけではなく、そのように一事のみをピックアップして言う人も。
 
「そんな汚い身なりをしていたら就職面接も通らないよ」
 
 「就職面接」という一点に絞って語るなら、それは正論である。しかし、ホームレスの人の身なりが汚いのはお金が無いからであり、誰も人と会わないからである。あなたがたが今日ある程度きれいな身なりでいられるのは「自分の努力」のおかげではなく、「お金がある」、「今日誰か人と会う」という前提に支えられているのである。
 
 「でも、まずは、そのお腹が痛いのをどうにかしなきゃでしょう?」と人は言う。
 
 この「まずは」という発想、考え方をしているかぎり、ホームレスの問題は永遠に解決しない。
 
 「まずは」と言う人はそこしか見ない。前後を見ない。
 
 ホームレスの問題は全体を見なければいけない。「職を探しているならやっぱりハローワークがいいと思うよ」と言うのは、その“系”、つまり「職探しという系」についてのみ言うなら、まったくもって正論なのだ。しかしそんな正論はホームレスの問題を解決するのには何の役にも立たない。
 
 部分的な系のみに着目して“正論”を言う専門バ家はこの世の中に意外と多い。
 
 そして専門分化を深める今の世の中は、専門バ家をどんどん増やして行っているように見える。
 
 専門バ家はホームレスの問題を解決できない。ホームレスの問題にかぎらず、世の中の多くの問題は小さな問題がいくつも関聯しあっている。一部分を見るのではなく、もっと全体を見ていかなければいけない。
 
一度にただひとつの困難を解決することはできない。多くの問題を同時に解決しなければならない。―W.ハイゼンベルク『部分と全体』