漸近龍吟録

反便利、反インターネット的

生まれて初めて左右の概念を獲得したときのこと

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 突然ですが、皆さんは、生まれて初めて左右の概念を獲得したときのことを覚えていますか?
 私は覚えています。ちょっとした記憶に残る出来事があったので。
 予め、今日の話は、やや自画自賛な話になることをお断りしておきます。
 左右の概念、つまりどっちが右でどっちが左か、というのは他の「上下」や「前後」と比べても、難しい概念です。小さい子どもには「右」が何を指し示す言葉なのか分かりません。人間以外の動物でも右や左が分かる動物は少ないでしょう。
 分かりやすさの順で言えば、
上下>前後>左右
です。
 上下は分かりやすい。地球上には重力が働いているから。365日、逆立ちで生活をしている、という人でもないかぎり、どちらが「上」でどちらが「下」かを迷う人はいないでしょう。小さい子どもも上と下はすぐに理解します。
 次に分かりやすいのが、「前後」。これは目が顔の前方にだけ付いていてくれるので、分かりやすいですね。目で見えている方が「前」。見えていない方が「後ろ」。あるいは歩き出す方向が「前」。歩き出さない方が「後ろ」です。
 しかし、前後は日常生活の中で逆転することがあります。よくある例は、電車の中で「前方の車両に売店がございます」と車内放送があったときに、これは後ろ向きの座席に座っている人にとっては、「自分から見た前方」ではなく、「電車の進行方向を基準にした前方」だと捉え直す必要があります。
 で、一番難しいのが「左右」です。
 左右は日常生活の中でも頻繁に逆転します。バスガイドさんは「皆様、右手をご覧ください」と言いながら左手を出します。左右の分かりにくさは、例えば体の特徴の無さにもあります。「上」には頭がある。「下」には足がある。「前」には目、鼻、口、臍がある。「後ろ」には無い。でも、「右」に手があれば「左」にも手がある。「右」に足があれば「左」にもある。右目も左目もある。どっちが「右」でどっちが「左」だかを分ける、これといった特徴が無い。
 だから子どもも左右の概念を理解するのは上下や前後に比べて遅くなる。大人になっても、右と左が分からない、あるいは混乱する「左右盲」と呼ばれる人が稀にいるそうです。
 
 私は生まれて初めて「右」と「左」を理解した日のことをはっきり覚えています。と言っても、それが何歳のときのことだったか覚えていないのですが、おそらく幼稚園くらい?だったでしょうか。
 当時私の家は丁字路の突き当たりにありました。
 図に書くとこんな感じ。
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 なので、どこか出かけるときは、必ず図のAの道を通って交差点Bに行き当たり、そこで右へ曲がれば駅の方、左へ曲がれば商店街の方でした。
 あるとき、いつものように母親の買い物に付いて行った私。子どもの頃は元気が有り余っているので、早く先に行きたいもの。Aの道を並んで歩いているとき、走り出そうとした私は、その前に今日はどっちに行くのか聞いておかなければ、と思いました。
「ママ、今日はどっちに行くの?」
「今日は右よ」
「ミギって、どっち?」
 おそらく母はこのとき、「ああ、この子はまだ右や左が分からないんだ」と思ったことでしょう。どうやって説明しようかと少し考えて、
「お箸を持つ方が右で、お茶碗を持つ方が左」
と言いました。
「あなた、ふだん御飯を食べるとき、どっちの手でお箸を持ってる?」
「こっち」
「そう、そっちが右。お茶碗を持つのは?」
「こっち」
「そう、そっちが左」
「へー。絶対?」
「そうよ」
「絶対にそう決まってるの?」
「そうよ。右と左はそう決まってるのよ」
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 歩きながら、そう説明を受けた私は、一目散に丁字路の交差点に向かって走り出しました。そして一車線ぐらいの細道を渡って、図のBの地点で、くるっと振り返って壁を背にして、自分の方に向かって来る母に向かって叫びました。
「ママー!お箸を持つ手の方が右なんだよね?今、ボクのいるところから見たら、お箸を持つ手はこっちだから、今日は商店街の方に行くんだよね?」
 すると母は口を尖らせて、駅の方を指さしながら、
「ママから見たらこっちが右なんですぅー」
と。
「え、でも、お箸を持つ手の方が絶対に右だって、、、さっきママ言ったじゃん、、、」
と食い下がる私に、
「屁理屈言ってると置いてくわよ」
と言って、さっさと駅の方へ歩いて行ってしまう母。
「わーん、待ってよー」と追いかける私。
 
 自分としては今思い返して、生まれて初めて左右を教わった時に、即座にそれが相対的な概念であることを理解した(理解していたかどうかはともかく、少なくとも指摘できた)のは、すごいことではないかと思うのですが。
 
 あのとき母が「よくそのことに気づいたわね! そうなの、左右というのは立つ人の位置(方向)によって変わってくる相対的な概念なのよ!」と言って褒めてくれていたら私の人生は変わっていたかもしれない。
 変わっていなかったかもしれない。