漸近龍吟録

反便利、反インターネット的

エスカレーター片側空け問題の愚

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 「エスカレーター片側空け問題」という定期的に話題になる問題がある。
 
 エスカレーターで片側に立ってもう片方を歩く人のために空けるべきか、それとも両側に立つべきか。マナー的にはどうなのか、ルールとしてはどうなっているのか、安全面ではどうなのか、効率面ではどうなのか、そういったことが侃々諤々、議論されている。
 
 「急ぐ人のために片側を空けるべきだ」と言う人もいるし、「そもそも鉄道会社が『片側を空けずにお乗り下さい』『エスカレーターは歩かないで下さい』と言っているのだから両側に立つのがルールだ」と言う人もいる。
 
 私がこの種の議論を見ていて愚かだと感じるのは、この手の話をしている人が皆、自分がふだんよく利用するエスカレーターを思い浮かべながら話をしている、というところである。
 
 ひとくちに「エスカレーター」と言っても千差万別でとても一概に語れるものではない。
 
 もう十年以上昔のことだが、私は、東京では右空け左立ち、関西では左空け右立ちであることを知って興味深く思い、「これ、全国で調べてみて都道府県ごとに色分けしてみたら面白いんじゃないか」と思ったことがある。それで全国各地に所用で行く際に、その街々でエスカレーターのどちらに人々が立つかを観察してみたことがある。
 
 その調査の結果は「どちらでもない」だった。そもそもほとんどの地方にはエスカレーターの片側を空けるという文化がない。片側を空けるという文化は東京や大阪など人口の多い都市にしかない文化である。全国の大半の都市ではエスカレーターでわざわざ片側を空けるほど人が乗っていない。左側に立っている人がいてもそれは左立ちのルールに則って立っているわけではない。自分以外誰も乗っていないのだから、右だろうが左だろうがどこに立っても他人に迷惑にはならないし、たまたま左に立っているだけである。そしてもっと田舎に行けば「そもそもエスカレーターが無い」。
 
 エスカレーターを両側に立つべきか片側に立って片方を空けるべきか、というのは一概に論じられるべき性質の話ではない。都会の朝の駅のエスカレーターと田舎の昼間のスーパーのエスカレーターでは、話の条件がまったく違ってくる。
 
 都会のエスカレーターでも、信じられないほど短いエスカレーターもあれば想像以上に長いエスカレーターもある。スピードが速いエスカレーターもあればびっくりするほど遅いエスカレーターもある。一人幅しかないエスカレーターもある。「世の中には一人幅のエスカレーターと二人幅のエスカレーターがある」と思っている人は多いかもしれないが、一・五人幅のエスカレーターというのもある。
 
 「急いでいる人は階段を使え」と言うが、近くに階段がないエスカレーターもある。
 
 以前、あるスーパーに行ったとき、エスカレーターを歩いて上ろうとしたら上れなかったことがあった。足取りが妙に重いのである。おそらく駅のエスカレーターよりも段差が大きく作られているのだろう。買い物客に老人や子どもが多いので安全のためかもしれないし、単に店の容積上の問題で急勾配にしているのかもしれない。とにかく世の中には物理的に歩けない(歩きづらい)ようにしてあるエスカレーターも存在する。
 
 この手の問題で、数理モデルを示して「片側を空けるよりも両側に乗った方が効率がいい」と証明している人もいる。しかしそんなのは、その場その場の状況を無視した机上の空論でしかない。
 
 エスカレーター片側空け問題を考える時は、その場その場の状況というものを考えなければいけない。朝の駅のエスカレーターと映画館内の帰りのエスカレーターでは、状況が全然違う。映画館の帰りのエスカレーターは混雑するが、そもそも映画の帰りに急いでいる人はいない。本当に急いでいる人はエンドロールの前に部屋を抜け出てまだガラガラのエスカレーターを下りて行くだろう。
 
 東京のような都会の駅では多くの人がエスカレーターを歩く。「立ち止まって乗るのがルールだ」と言う人がいるかもしれないが、なぜ歩くのか。それはホームに人が溢れて危険な状態だからである。降車した人は早くエスカレーターを通って広いところへ移動しなければならない。電車は次々にやって来る。自分たちがホームに滞留していたらすぐに次の電車がやって来て、その電車の人たちはホームに降り立つことすらできなくなる。次々に素早く「ハケなければ」いけないのである。
 
 一方で、このような時に人々が左側に乗ろうとして行儀よく行列に並んでしまって右側がガラ空きになっていることがある。これはよくない。その左側の長蛇の列がエスカレーター入り口付近だけでなくホーム上にまで延びてホーム上の混雑を圧迫してしまっている。上りのエスカレーターだとして、私はそのような時は自分が右側を歩いて上って先鞭をつける。するとだいたい後に続く人が出てくる。そこで先頭の私が急に立ち止まってしまったら後続の人に迷惑だろう。なのでエスカレーターの上の辺りまで来たら減速する。そうすることで私の後ろには容易く渋滞が発生し二列乗りが出現する。もちろん一番上まで歩ききってしまってもいいのだが、そもそも人々が左側に固執しているのは「こんな長いエスカレーターを上まで歩きたくない」という思いがあるからなので、こういう時は両側乗りの状態を出現させた方がよい。いつ現れるかわからないたった一人の「急ぐ人」のためにエスカレーターの片側がまったく使われていない状態は、できるだけ早くハケなければいけない状況ではよろしくない状態である。
 
 また、都会のある巨大な駅付近のビルでは複数のエスカレーターが一つの長い動線のようになっているところがある。そこでは朝は片側歩きどころか「両側歩き」という光景が出現する。「その時間帯はほぼ全員がビジネスマンである」、「途中までほぼ全員、行き先が同じである」、「一つ一つのエスカレーターがそんなに長くない」、そのような条件が揃っている時は、誰が言うとなく両側歩きが出現する。
 
 ある駅のエスカレーターは極端に短く、しかもそのすぐ隣に幅広の階段がある。明らかに、急いでいる人は階段を使ったほうが早い。そんなエスカレーターで片側空けを愚直に守るのは愚かしい。
 
 一方で階段が近くにない、とても長いエスカレーターがある。そのエスカレーターが下りの場合、急いでいる人にとっては、それだけの長い時間歩けないのは心理的苦痛であろう。さらに、そのエスカレーターが両側びっしり詰まっていれば「しょうがない」と思うだろうが、ぽつぽつと人がみぎひだりに点在していたら、「右側を歩かせてほしい」と思うだろう。エスカレーターの込み具合によっても心理的な違いが出てくる。
 
 長い下りのエスカレーターがある。下りきった先に電車のホームがあって電車が入って来ているのが見える。このような状況だったら走らないまでも最後の数段を歩いて下りれば電車に間に合いそうだなと誰もが思う。地下鉄の駅によってはエスカレーターを下りきってから電車のホームが見えない駅もある。そのようなエスカレーターでは歩かない。見え方によっても人の心理は違ってくる。
 
 エスカレーターの片側空け問題を語る時、「片側を開けるべきだ」も「両側に乗るべきだ」も、全国のエスカレーターを一律で論じるのは愚かしい。
 
都会の込んでるエスカレーターと田舎の人もまばらなエスカレーター
込んでる時間帯、空いてる時間帯
駅のエスカレーターとデパートのエスカレーター
スピードが速いエスカレーターと遅いエスカレーター
近くに階段があるエスカレーターと無いエスカレーター
段差が大きいエスカレーターと小さいエスカレーター
主な利用者が若いビジネスマンのエスカレーターと高齢者のエスカレーター
片側空けの文化を知らない外国人が多いエスカレーターと少ないエスカレーター
 
 昔から言い古されている月並な言い方だが「時と場合による」。エスカレーターの片側空けはルールでもマナーでもない。人々が自分の都合と他の人の都合を考えて取った“ふるまい”の結果である。
 
 ネット上でこの問題を議論している人たちは一度、「私がイメージしていたのはこういうエスカレーターなんです」と言う反対意見の人にそこのエスカレーターに連れて行ってもらうといい。あなたはきっと「ああ、ここのエスカレーターなら片側空け(あるいは両側乗り)しようと確かに思いますわ」と言うだろう。
 
 私はエスカレーター片側空けの問題を議論するのがくだらないと言うのではない。そうではなくて、世の中には多種多様なエスカレーターがあるのにその違いを無視して、各人が銘々に自分が普段よく利用するエスカレーターを思い浮かべながら議論しているのが愚かしいということが言いたくて、この記事を書いた。