漸近龍吟録

反便利、反インターネット的

「フィンテック」批判

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 ここ一年ほど、急速に「フィンテック」という言葉を聞くようになってきた。

 数年前からブロックチェーンビットコインに関心を持っていて、ずっとそれらに関聯する記事や文章を読んできた。このブロックチェーンという新しい技術がどのように世の中の役に立つか、ということに興味がある。

 ところが現状、ネット上で見かけるブロックチェーンビットコイン関聯の話は、ほとんどが「フィンテック」の文脈で語られている。「フィンテック」とは、「financial(金融)」と「technology(技術)」を合わせた新しい造語である。

 フィンテックについて語っている人はほとんど、「フィン系」か「テック系」の人たちである。

 数年前、ビットコインが登場してまだ数年しか経っていなかった頃は、ビットコインについて話していたのはほとんどがテック系の人たちだった。専ら技術的な視点のみから語られていた。それが段々、普及していくにつれて「これは法的な扱いはどうなるのか」「法的な位置付けを明確にしておかないとまずいんじゃないか」ということになり弁護士ら「ロー(law)系」の人たちが加わった。そしてその後さらに金融・経済系の人たちが集まってきた。

 ビットコインは今では10%ほどの人が技術的観点から語り、5%ほどの人が法律的な観点から語り、残りの85%くらいの人はみな「フィン」の観点から語っている印象だ。しかもそのほとんどは「儲かるか儲からないか」という話である。ビットコインに関しての何らかの記事を書いている人はほとんど、プロフィール欄に「トレーダー」「株やってます」「FX歴何年」「投資のセミナーやってます」などと書かれている。

 ビットコインという大発明、そしてそれを支える技術であるブロックチェーンが、こうして単なる「儲かるか儲からないか」という話になってしまっていってるのが残念で仕方がない。

 こうした新しい技術は、「どのように世の中の役に立つか」という観点から語られなければならない。ところが現状はフィン系の人たちは「儲かるか儲からないか」という話ばかりをし、テック系の人たちは「(技術的に)できるかできないか」という話ばかりをしている。新しい技術をどのように世の中に役立てるか、という話が聞こえてこない。

 新しい技術が登場した時はいつもそうだ。コンピューターの登場、インターネットの登場、ブログという新しいツールが登場した時も、先ずはテック系の人たちがインターネットとは何か、ブログの仕組みや、どのようなことができるかを説明し、そこに金のにおいを嗅ぎつけたフィン系の人たちがやって来て「アフィリエイトで月収何万生活!」などと始める。

 数年前、ビットコインブロックチェーンに出会った時はワクワク感があった。この新しいテクノロジーが世界を”decentralized”に変えて行くだろうという期待感に満ちていた。だがビットコイン知名度が上がってきた最近は、特に日本ではビットコインと言えば儲かるか儲からないかという話ばかり目にするようになってきた。

 日本はICOに関しては他国にくらべて計画倒れのものが少なく、プロダクトが先行している印象がある。それは良いところだと思う。だが一般大衆の間で話題になっているのは、ビットコインは儲かるか、どのICOが儲かるかとか、そういう話ばかり。うんざりだ。この新しい技術を社会にどう役立てるか、という話をするべきだ。

 私は、エストニアのe-Residencyのような取り組みに注目している。更には国自体をICOの対象にするとかしないとかいう話も先日、聞いた。エストニアの国家を挙げた「実験」とでもいうべき試みが上手くいくかどうかは分からないが、先進事例として興味深い。

 また、イーサリアムで寄付ができるGivethのような取り組みなど、ブロックチェーンを使った海外発の魅力的なプロジェクトがいっぱいある。

 日本の場合はブロックチェーンマイナンバー制度と融合させることで新たな道が拓けて来ると思っている。実際、総務省でそのような研究が進んでいる。必ずしもブロックチェーンに拘らず、それに似た分散技術を柔軟に使っていく考えのようだ。こういう方面の検討はどんどん進めてほしい。そして「知らないうちに国が勝手にやってた」とならないよう、国民ももっとフィンテックの活用について議論をするべきだと思う。

 だからこの記事はフィンテックに対する批判ではない。「フィンテック」という言葉に象徴的に表されている「仮想通貨で儲ける方法」みたいな話題ばかりが氾濫している現状の日本人の仮想通貨に対する姿勢への苦言である。

 いつまで「仮想通貨は儲かるか」などという段階の話をしているのか。