漸近龍吟録

反便利、反インターネット的

ビットコイン10歳の誕生日に寄せて

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 10年前の今日、生まれた。
 
 イギリスの新聞『The Times』紙の2009年1月3日のあの有名な表紙を思い出す人も多いだろう。
 
 ビットコインは8歳の年、すなわち2017年にバブルが起きて、翌2018年の一年間はそのバブルが弾けたようになって、時価はほぼ下落していく一方の年になった。
 
 私は2018年がビットコインにとって不幸な年だったとは思わない。むしろバブルが起きていた2017年のほうが不幸だった。
 
 2017年にはビットコインは「儲かる」、「早く買っておいたほうが得をする」などと言われ、この年の後半頃には多くの人が焦るようにしてビットコインを買った。特に日本人が多かった。そうしてたくさんの人が一気に買ったおかげでビットコインは急騰し、バブルが起こった。
 
 私はそのとき買いに走った人たちを責めるつもりはない。人間は誰だって「儲かる」などと言われたら買いたくなるものだ。悪いのは煽ったほうの人間である。
 
 世界にはビットコインを必要としている人たちがいる。ベネズエラジンバブエのようにハイパーインフレによって自国の通貨が通貨として機能しなくなってしまっている国の人たちだ。そういう国の人たちは、ビットコインに通貨としての役割を果たしてほしいと本気で期待している。金持ちたちの遊び道具にされて価値が乱高下されては堪らないのだ。
 
 最近、日本では頻りに「キャッシュレス化」という言葉が叫ばれている。「未だに現金を使っている日本は遅れている。これからはキャッシュレスの時代だ」と。そしてビットコインのような暗号通貨は「キャッシュレス勢」に分類されて認識している人も多い。
 
 つまり、
 
 現金 vs. クレジットカード、各種電子マネービットコイン
 
のように。
 
 だが、ビットコインはその性格から考えれば、いわゆる電子マネーとは立場を大きく異にする。政府や大企業がキャッシュレス化を推進するのは、お金の流れを追跡しやすくするためである。ビットコインはその流れを政府に管理されにくいという点から言えば、「現金勢」すなわち紙幣や硬貨に近い。
 
 そしてビットコインの大きな価値の一つは、発行元が政府ではない、という点にある。
 
 私はビットコインがドルや円に取って代わるとは思っていない。「政府がお金を発行する権力を手放すはずはない」という人がいるが、その通りだと思う。一方でビットコインは政府から独立しているという価値をこれからも持ち続けるだろう。
 
 ドルや円は「悪」ではない。いわゆる法定通貨はその発行量を調整することで国の経済を安定させることに役立っている。だがそれは政府の支配者が「悪人」ではない場合である。政府そのものが「悪」になった時は、一部の富豪を除く大半の貧しい国民は、紙屑になった大量の紙幣を握りしめながら死んでいくだけだ。
 
 今、政府は暗号通貨さえもその管理下におさめようとしている。世界各国の中央銀行は自前の暗号通貨(ブロックチェーン技術やそれに類する技術を使ったデジタル通貨)を作ろうと計画している。そのようなお金が登場すれば、いよいよビットコインの独立不羈性は重要になってくる。
 
 私は今は良い機会だと思っている。2017年にバブルが起こり、2018年にはそれが弾けて大きく下落した。多くの投機筋の人たちや大手マイナーたちが去った今こそ、ビットコインが良い道へと進めるチャンスだと思う。
 
 弱く苦しんでいる人たちを助けることができる「お金」として、ビットコインがこれからの「10代」を真面目に堅実に育っていくことを願っている。
 
 ビットコイン、10歳の誕生日おめでとう。
 
 
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