漸近龍吟録

反便利、反インターネット的

連休嫌いの理由

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連休嫌い≠休日嫌い

 昔から連休が嫌いである。
 
 「連休が嫌い」と言うと不思議そうな顔をして「働くのが好きなの?」と言う人もいる。私は連休が嫌いなのであって休日が嫌いなわけではない。
 
 「連休嫌い」が理解できない人々に、今日は連休嫌いな私がその理由を説明しようと思う。
 

連休の裏には連勤がある 

 連休の裏には連勤(れんきん)がある。これは連休嫌いの理由の中でも最大の理由である。連勤が苦手なのである。土日の2連休の裏には月〜金の5連勤がある。土日月の3連休の裏には火〜金の4連勤がある。
 
 1年を通じての総休日数が無限に増えていかないかぎり、少なくとも1年間の休日数が決まっているなら、休日を固めたら、その裏には長い連勤ができる。
 

連休を究極に長くすると

 世の中には、私と反対の「連休好き」な人たちがいる。
 
 「5連休にしてほしい」、「7連休にしてほしい」、「どうせなら真ん中の日も休みにして11連休にしてほしい」。こう言う人は多い。
 
 もし「あなたの来年の休みは1年365日の約半分にあたる181日です。しかも年給は今まで通りです」と言われたとしたらうれしい?
 
 「181日も休みがあるなんて!給料そのままで?超うれしい!」と思う?
 
 私は思わない。
 
 その1年の半分にあたる休みが固まっていたら?1月から6月まではずっと休みで、7月から12月までは土日も含め1日の休みもないとしたら?
 
 私はそんなのは絶対に嫌だ。
 

弱者にとっては連勤はきつい

 弱者は持久力がない。体力面でも精神面でも。
 
 持久力がないので連勤はきつく、こまめな休みがほしいのである。
 

プールの喩え

 プールの授業で25メートルプールを端から端まで一方通行で次々に泳ぐ授業がある。飛び込んで反対の端まで泳いだらプールから上がって、プールサイドを歩いてまたスタート地点まで戻る。
 
 弱者は泳げないと言ってもけっして「泳ぎができない」わけではない。クロールの綺麗なフォームも息継ぎもできるが、肺活量が少なすぎて泳いでいる途中に酸素が足りなくなって苦しくなるのである。
 
 だから15メートル地点に一箇所、あるいは10メートル地点と20メートル地点の二箇所に、立って息を吸うポイントを設けてほしいのだ。現状では「途中で立ったら後ろの人がつかえて迷惑だろ」と言われる。
 
 しかしとても息が苦しい。
 
 なんとか25メートル地点まで辿り着いてふらふらになっている弱者を見て、「だいじょうぶ?なんだかすごく苦しそう。少しここに座って休憩したら?」と言ってプールサイドのベンチで休むように促してくれる心優しい人もいる。
 
 だが!
 
 この「プールサイドのベンチ休憩」こそ「連休」なのである。
 
 弱者は肺活量が無さすぎて息継ぎぐらいでは全然酸素が足りない。まるで25メートル間、息を止めて泳いでいるようなのだ。だが、25メートル地点に達して一旦プールから上がったら、もう息はじゅうぶんに吸えるので、もう大丈夫なのである。スタート地点に戻るためにプールサイドを歩いている間にいくらでも酸素が吸える。
 
 強者の人たちはここを解っていない。プールサイドのベンチに座って休憩、なんていう長い休憩は要らないのだ。もう充分酸素は吸えているから大丈夫なのだ。
 
 「有給休暇つかって一週間くらい夏休み取りなよー。たまにはゆっくり休んで羽伸ばしなよー」が「プールサイドのベンチに座って暫く休んでいたら?」に当たる。必要なのは長い休憩ではなく、プールの15メートル地点での小休憩である。そこで立って一回息が吸えるだけでずいぶん楽になるのだ。
 
 水曜日を休みに。これが持久力の無い弱者たちが望んでいることだ。月曜日から2日働いたら1日休み、また木曜日から2日働いたら、また休み。最長で2連勤。それでは休み過ぎだと言うなら、土曜日を平日にしてでも水曜日を休みにしてほしい。
 

休みは長さよりも回数

 土日の2連休なんて要らない。休みは1日でいい。日曜日と水曜日が休みだったら週に2回休みがあることになる。
 
 だが、土曜日と日曜日だったら、週に「いーっかい(1回)」の休みがあるだけである。これが土日月の3連休でも「いーーっかい(1回)」。4連休でも「いーーーっかい(1回)」である。10連休でも長めの1回の休みである。
 
 弱者にとって大切なのは、休みの長さではなく、回数なのである。
 

連休という強者の論理

 日本には連休がいっぱいある。ハッピーマンデー法による土日月の3連休。ゴールデンウィーク、年末年始。
 
「連休がなかったら海外旅行とか行けないじゃないか」
 
 経済力や体力がある強者なら、そう言うだろう。
 
 弱者にとっては連休というのは、なんとなくだらーっとして終わりである。込んでいるところに出かける体力も経済力もない。だらけてしまうので逆に体調も崩しやすい。
 
 会社だけではない。例えば学校でいじめられている子どもたちにとって、週の真ん中に休みがあることで、どんなに気持ちが楽になることか。彼らは息を止めて学校に行ってるのである。水曜日に息ができればだいぶ違う。
 
 連休なんか作ったら、連休明けに学校に行くのがとても怖くなる。連休が長ければ長いほど、休みの生活に慣れてしまって連休明けの登校の難易度が上がる。
 
 今の、なんでもかんでも連休にしたがる休日の在り方は、強者の論理である。強者たちは月〜金で働いても、少し疲れた、くらいにしか思わないかもしれないが、弱者たちにとっては月〜金の5日間ものあいだ、息を止めてるに等しいのである。
 
 強者たちが強者の論理で休日を決めるのは、やめるべきだ。
 
 そもそも強者たちは体力的にも経済的にも力があるのだから、自分たちで銘々勝手に好きな時に休みを取るべきで、国民全員に自分たちの都合を強いるべきではない。法律で決める休みは、弱者たちを助ける方向になるように決められるべきである。
 
 月〜金の5連勤は長すぎると感じる。現代の人たちは「生まれたときからそうだった」から、この平日と休日の在り方に疑問を抱くことができない。「そういうもの」だと思い込んでいる。「25メートルぐらいは一気に泳ぎたい」と思う強者たちもいるだろうが、それは各自が適宜工夫してそのように泳げばいいことだ。
 
 10連休などというふざけた大連休で、公的機関や病院などが一斉に長期にわたって閉まってしまうと、真っ先にやられていくのは弱者たちなのだ。
 
 
(10年前にもほぼ同じようなことを書いていました↓)
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