漸近龍吟録

反便利、反インターネット的

出社勤務は遅れていて在宅勤務は進んでいるという風潮に違和感

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 ネット上の、自称意識高い系の人が集まっているようなところでは、「出社勤務は遅れていて、在宅のリモート勤務という働き方の方が進んでいる」という単純な物の見方が幅を利かせている。
 
 2020年5月末で緊急事態宣言が解除になり、再び出社する人が増えた時も、「せっかく在宅でもできるということが証明されたのに、なんで戻ってしまうの?」と言っている人をたくさん見かけた。
 
 それを「伝染病の流行を防ぐ」という観点から言ってるのならまだ良いのだが、そうではなくて「せっかく先進的な働き方ができていたのにどうして時代遅れの働き方に戻ってしまうのだ」というニュアンスで言っていて、それが非常に気になった。一部の大手企業が「今後は基本、全員在宅」などと発表して、それも喝采を浴びていた。
 
 だが、私は、こういう「在宅が先進的で出社は時代遅れ」という風潮に疑問を感じる。自宅が快適でないという人は世の中にたくさんいる。
 
 例えるなら、「天井2メートル」のようなものだ。
 
 緊急事態宣言を受けて何らかの理由で今まで5メートルあったオフィスの天井が2メートルになったとしよう。そして緊急事態宣言が解除された時、「天井2メートルでも仕事は回ることが証明されたから、天井を5メートルに戻さず引き続きこのまま行きましょう」と言うようなものだ。
 
「なんで5メートルに戻しちゃうんですか?2メートルでも仕事できてたじゃないですか」
 
 しかし、仕事が“快適に”できていたかどうかは別問題である。高身長の人は頭のすぐ上に迫っている天井に圧迫感、窮屈感を感じながら我慢して仕事をしていたかもしれない。そういうのを含めて「できていた」「仕事は回っていた」と言うのは違う。
 
 もちろん、世の中には「狭い所好き」の人もいる。「私は元々狭い所好きなんで。上の階との階段が短くなって楽チンなので、このまま天井2メートルのままでいいと思います」と言う人もいるだろう。
 
 私が特に問題視しているのは、「これからずっと在宅」などを決めている上層部の人間が、「在宅という決定には社員全員喜んでいるに違いない」と考えているであろうところだ。
 
 「欧米でもそういう企業が増えてるじゃないですか」と言う人がいるかもしれない。だが欧米の家の広さと日本の家の狭さの違いを考えたことがあるのか。欧米で在宅勤務が快適だからと言って日本でも同様に快適であるとは限らない。日本の家は欧米の家のように各部屋が十分に独立した構造になっていない家も多い。親と、義父母と、あるいは子供と、ほとんど顔を合わせているような状態で働くことがどれだけ苦痛か。
 
 他にも、会社の近くに、通勤の便利さを考えて家を買った、という人もいるだろう。去年家を買ったばかりの人。買った途端に会社が「これからずっと在宅」と決めて、そういう人たちは何のためにその場所に高い金を出して家を買ったのだろう。そういう人たちを「運が悪かったね」という言葉で片付けるのか。
 
 上層部の人間たちはある程度の年齢の「大人」である。社会人経験もそれなりに長い人が多いだろう。在宅勤務が嬉しく感じられるのは「もう、あの“痛”勤満員電車に乗らなくていいんだ」という今までとの相対的な比較があって喜びがあるのである。だが、今年入社した人たちは、痛勤満員電車を知らず、初めから在宅勤務で、それの何が喜びなのか分からないだろう。
 
 「大人」たちは、今まで出社勤務の良いところ、すなわち、気の合う仕事仲間とコミュニケーションが取れたり、会社近くのおいしい店に食べに行ったり、会社帰りにショッピングをしたり、素敵な異性と仲良くなったり、そうした出社ならではの良い面を散々経験して来た上で、今度は在宅の良い面を味わいたいと言っているのだ。最初から出社の良い面を全然経験できない人たちとはまったく違う。
 
 これは、ある特定の世代、または特定の人たちの経験や機会を大きく奪うものだ。
 
 「在宅の方が進んでる」と感じるのは、「方が」という言葉にも表れているように、出社スタイルを知っていてそれと比較して初めてそのような感覚を持ち得るのである。比較の対象を知らない、味わったことのない人たちにはなかなか持ち得ない感覚である。
 
 私はこういうところに「大人たち」の傲慢を感じる。しかもそういう大人たちは「自分は頭の柔らかい新しい時代感覚の持ち主だ」と思ってやっているからタチが悪い。
 
 「オンライン」や「バーチャル」が楽しく感じてしまう私たち大人の感覚を若者に押し付けてはいけない。若者たちからそこでしか得られない、またその時しか得られないような貴重な体験や経験の機会をそう簡単に奪ってはいけない。
 
 そしてまた、自宅が快適でない人たちをそう無責任に「牢屋」に閉じ込めてはいけない。