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常識に捉われた物の考え方しかできない頭の固い人間が嫌いである。
何か提案したり批判したりする度に「そんなのは理想論だ」とか「そんなのできっこない」と言う人たちは現代にもたくさんいるし、昔もたくさんいただろう。
彼ら頭の固い現実主義者たちの口ぶりは大抵決まっている。
「そんなのできっこない」
「現実問題として」
「常識的に考えて」
「そんなのは理想論」
明治時代の人たちの会話。
「というわけで今度みんなでアメリカに行くことになりました」
(私は船は苦手なので乗りたくありません)
「そんなこと言ってもしょうがないでしょう。船に乗らないでどうやってアメリカに行くんですか」
「あなた一人だけ泳いで行きますか?それとも空を飛んで行くの?(笑)」
「空を飛ぶなんて無理。人間にはそんなことは絶対できません。」
「未来永劫、人間が空を飛ぶなんてあり得ません。ええ、断言できますよ。なぜなら過去、人類の長い歴史の中で空を飛んだ人間なんて一人もいないからです。考えてもごらんなさい。あなたは空を飛べたらいいなと思ってるかもしれないけど、あなたが考える程度のことは、世界にも同じようなことを考えている人が他にたくさんいるんですよ。それなのに現に空を飛ぶ方法は無い。なぜだと思いますか?不可能だからです。これぐらいのこと、私がいちいち説明しなくても、ちょっと考えればわかりそうなものだけど…」
「あなたは無知だから知らないでしょうが、大英帝国のニュートン博士という人が『重力』というものを発見したんです。重力という力であらゆる物体は地面に引きつけられているんです。だから人間も飛べないし、機械に乗って空を飛ぶこともできないんです」
「もし、人間が空を飛べるんだったら、今ごろ誰かがそういうものを発明して空を飛べてるはずですよね?」
「あなたもいい大人なんだからそんな子どもみたいなこと言ってないで、もっと現実を見ましょうよ」
「Bさんを見てごらんなさい。あの人だって本当は船は苦手なんですよ。でも文句一つ言ってないでしょ?そりゃ誰だって何十日間も船に揺られるのは嫌ですよ。でもそれに文句を言ったところで始まらないでしょ?」
なぜ「始まらない」のか。始まらないのはあなた方のほうだ。
これが日本人。「私は船は苦手です」と言っただけで、方々から「そんなことに文句を言ってもしょうがない」、「もっと現実を見ろ」の大合唱。
そこで、「彼が船が苦手なら、船を使わずに異国に行ける方法をみんなで考えよう!」となぜ言えないのか。
ライト兄弟に「人間は空を飛べない」という常識をひっくり返されたにもかかわらず、それでもなお現代の日本人もこの明治時代人たちとまったく同じことを言い続けている。曰く、「そんなことに文句を言ってもしょうがない」「そんなことできっこない」「ちょっとググればわかりそうなものだけど」。
グーグルを万能だと思い、あなたが考える程度のことはグーグルに答えが載っていると言い、グーグルに載っていない=できない、と見做す。「ちょっとググればわかる」などと言っている人間はグーグルの範囲内でしか生きられない。グーグルを突破するイノベーティブな発想ができない。
「人類誕生以来、過去に一度もなかった」ということを論拠にして、「だから未来にも絶対にない」と断言する人もたくさんいる。そういう人たちはライト兄弟の飛行を目の当たりにしても、自分の過去の発言は忘れて、「まさかこんな時代が来るとはねぇ」と言うだけだ。