漸近龍吟録

反便利、反インターネット的

追悼 渡辺京二

 

 
 歴史家、思想家の渡辺京二がなくなった。
 
 市井の学者だった。たくさんの著書を残しているが、基本的に役職に就かない人生だったため、その業績に比しては知名度は低いと思う。
 
 「名著」との誉れ高い『逝きし世の面影』は若いころに読んだ。その後も折に触れて何度も再読している。こんなに読み返す本はなかなかない。
 
 江戸時代までの日本にあった一つの美しい文明が明治時代に失われてしまったことを嘆く書だ。幕末から明治にかけて来日した外国人たちの言葉を借りているとは言え、ここまで昔の日本の美しさを鮮やかに描き出した書は他に知らない。
 
 これまた名著として知られる、石牟礼道子苦海浄土』の影の立役者としても知られる。病気で身体の自由が利かなかった石牟礼の日常生活を支え、執筆活動を支援していたらしい。
 
 私は渡辺京二という人のことをほとんど知らない。石牟礼道子を支えていたというのはネットに載っている程度の情報だ。少し偏屈で風変わりなところもあったようだが、私は渡辺京二の思想もよく分かっていない。ただ、いくつかの著書からその片鱗を窺い知るだけだ。
 
 渡辺の著作には酷評が寄せられることがある。曰く、
「昔はよかった、と言ってるだけ」
「江戸時代を美化し、暗黒面を見ていない」
等々。
 
 これらの批判は渡辺は予想済みで、それに対する答えを書いている。
私はたしかに、古き日本が夢のように美しい国だという外国人の言説を紹介した。/だがその際の私の関心は自分の「祖国」を誇ることにはなかった。私は現代を相対化するためのひとつの参照枠を提出したかったので、古き日本とはその参照枠のひとつにすぎなかった。
渡辺が描き出すのびやかな江戸時代が一面にすぎず、その反面に暗黒があったのは誰それの著書を見てもわかるという批評を案の定見かけたけれど、それがどうしたというのだ。ダークサイドのない社会などないとは、本書の中でも強調したことだ。(『逝きし世の面影』あとがき)
 渡辺京二を批判する人は少なくともこの渡辺の回答を踏まえた上で批判しなければならない。渡辺は単に昔はよかったと言っているのでもないし、江戸時代に暗黒面がなかったと言っているのでもない。
 
 また、「自分の『祖国』を誇ることにはなかった」と言っているが、『逝きし世の面影』は、いわゆる「日本すごい」系の人たちに“誤読”されることがある。
 
 平凡社ライブラリー文庫版『逝きし世の面影』の巻末の解説を平川祐弘*1が書いているのに気づいたときは驚いた。平川祐弘小泉八雲の翻訳者として有名で、日本の美しさを語った明治時代の外国人、という点ではたしかに共通している。しかし、思想的には渡辺とはかなり逆な人なのではないか。『逝きし世の面影』の解説を平川祐弘に頼んだのは正しかったのか?
 
 そしてその解説の中で「石原慎太郎氏が本書を高く評価」と書いている。渡辺は石原慎太郎の名前を出されて嫌ではなかったのだろうか?石原慎太郎は2016年の(最終的に2021年の)東京オリンピックをやろうと言い出した人である。渡辺の思想は、簡単に言えば近代の「開発」が古き良き風習をぶち壊してしまったと主張する思想である。オリンピックとは対極にある思想だと思える。渡辺は『逝きし世の面影』が「日本すごい」系の人たちから“誤読”されて賞賛されることを嫌ったわけだが、石原慎太郎などはその系の最たる人ではないのか。解説を書いてくれるという好意はさすがに受け入れざるを得なかったのか、自分とは違う思想の人も受け入れる度量があったということなのか。
 
 私は一時期、渡辺晩年の著作である『近代の呪い』や『無名の人』に書いてあった一部の言葉に反撥を感じて、渡辺京二を好きなのか嫌いなのか自分でもよくわからなくなった。しかし、そのような一部の気に入らないところは、昭和一桁生まれであることを考慮して目をつぶってよいところなのかもしれない。小さいことにかかずらって渡辺の大きな思想が見えなくなるとしたら、それは「江戸時代には暗黒面もあった」の一言で江戸時代の美しさが見えなくなってしまう人間と同じだ。
 
 渡辺は晩年、同郷の作家である坂口恭平を高く評価していたらしい。おもしろい。渡辺から見たら孫ぐらいの歳の差だ。私はまだ渡辺京二の思想の一端しか垣間見れていないのだろう。
 
 渡辺京二の思想や生き様は魅力的だ。もっと知られて評価されるべき人だ。一度会ってみたかった。
 

*1:※祐は示に右