漸近龍吟録

反便利、反インターネット的

稀勢の里の力士人生を縮めた国民

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 大相撲の横綱稀勢の里が引退を発表。
 稀勢の里に対して「この人はメンタルが弱い」と言う人がたくさんいたが、私はそうは思わない。
 
 メンタルが弱かったのではなく、単に相撲が弱い、実力がなかったということだと思っている。
 
 ただし実力がないというのは横綱としては、ということであって、大関としての実力は十分にあったと思っている。横綱の器ではなかった。
 
 大関のままでいればもっと相撲を長く取り続けていられただろう。横綱になると「基本的に全部勝つ」ことを求められるが、大関ならギリギリ勝ち越しラインの成績でもそこまで騒がれない。9勝6敗、8勝7敗のような決して褒められたものではない成績を取り続けながら大関に長く在位した力士は過去にたくさんいた。
 
 怪我の影響を言う人もいる。怪我のことはさすがに本人に聞いてみないと分からないが、場所前の稽古では調子が良さそうだったり、親方が怪我の影響はもうほとんどない、といったような発言があってから場所が始まってみると負けてしまう、というようなことを繰り返していたので、稀勢の里が勝てなかったのが怪我の影響が大きかったからなのかどうかは疑問である。
 
 だから「稽古の時に勝てて本番で勝てないのはメンタルが弱いのだ」と言う人が出てくるのだが、私はメンタルでもないと思う。
 
 多くの国民が「日本人横綱」を望んだ。
 
 「白鵬鶴竜もいいんだけど、やっぱり日本人に横綱になってもらいたいよねぇ」と言う人がたくさんいた。
 
 朝青龍白鵬日馬富士鶴竜、といった横綱が続き、国全体に「日本人横綱」誕生の期待が高まっていた時に、いちばん横綱に近い位置にいたのが稀勢の里だった。そして稀勢の里はその国民の期待を一身に背負うことになった。
 
 2017年1月、横綱審議委員会は国民の期待に押される形で稀勢の里横綱に推挙し、稀勢の里横綱になることが決まった。
 
 横審は本来なら、国民の総意とは関係なく、力士が心技体、成績、実力、品格を含めた総合的な観点から横綱として相応しい人かどうかを審査するのが役目なのだが、国民の圧倒的な期待に押し切られる形で、全会一致で横綱に推挙してしまった。
 
 その時のことは、稀勢の里横綱に決まった2017年1月にこのブログでも書いている。
 横綱の実力がないのに横綱にされてしまった。そしてすべての取組に勝つことを求められた。負けたら悲鳴が上がる。大関のままでいたならそこまでの成績も求められなかった。
 
 「横審とマスコミが悪い」と言う人がいるが、私は横審、マスコミだけではなく、「日本人横綱」を期待した国民も、結果的には稀勢の里を追い詰めてしまったと思う。
 
 「日本人横綱」を期待してはいけない、ということはないが、その過剰な期待が結果的に一人の力士人生を縮めてしまったことは心に留めておくべきことだと思う。