漸近龍吟録

反便利、反インターネット的

富永仲基とビットコイン(後篇)

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Miloslav Hamříkによる画像 ) 
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安藤昌益と富永仲基の共通点と相違点

 「忘れられた思想家」として有名な安藤昌益と富永仲基の共通点は、どちらも当時の権威である儒教を批判したところだ。
 
 では相違点は何か。
 
 安藤昌益の思想はもっと無政府主義的であり、政府や法律なんてものには縛られず、個人はもっと自由に生きるべきだ、という考え方だった。仲基は違った。仲基は儒教批判はしたが、幕府や法には抗わなかった。抗わないどころか逆に法や秩序を遵守して「当たり前」に生きることを説いた。
 

ビットコインコア開発陣とクレイグ・ライトの対立

 クレイグはビットコインコア開発陣と激しく対立している。対立の理由はいろいろあるが、その中の一つに思想の違いがある。
 
 ビットコインの中心的開発陣、ビットコインの草創期から携わっている人たちの中にはサイファーパンクの精神が流れている。
 
 サイファーパンクというグループの思想は、例えばグループの中心的存在だったティム・メイが1988年頃に起草し1992年に発表した「クリプト無政府主義宣言」に端的に表れている。
暗号学的手法は企業の意義、経済取引における政府介入の意義を根本から変えてしまう。勃興する情報市場と相まって、「クリプト無政府主義」は言葉と画像に置き換えられるいかなるもの、すべてのものの流動市場を作り出す。(中略)立ち上がれ!「有刺鉄線」のフェンス以外に失うものはないのだから。(一部を抜粋、訳文はコインテレグラフジャパンより引用)
 この檄文に感銘を受けて立ち上がった人たちが黎明期のビットコインに関わって来た。彼らの思想は、政府や大企業といった既存の権威に立ち向かおう、政府に管理され法律に縛られるのはまっぴらだ、個人はもっと自由になろう、という思想である。
 
 クレイグもまた、サイファーパンクのメンバーの一員であったにもかかわらず、クレイグはこういう思想には賛同していなかった。クレイグは政府や法律の枠組みに従って生きることをたびたび主張している。
 

対比の構図 

 安藤昌益と富永仲基は同時代人だが、互いに面識はなかったと思われるので対立していたわけではない。だがこうして見ると、思想面での対比の構図が見えてくる。すなわち、
 
安藤昌益=ビットコインコア開発陣
 
富永仲基=クレイグ・ライト
 
である。
 
 安藤昌益=ビットコインコア開発陣は法と政府の支配に抵抗する無政府主義的思想であり、富永仲基=クレイグ・ライトは法と秩序を重んじる。
 
 私には、ビットコインコア開発陣に対するクレイグが、安藤昌益に対する仲基に見える。
 

仲基とクレイグの“秘匿”に対する考え方 

 クレイグが仲基を好きな理由は他にも考えられる。それは“秘匿”に対する考え方である。
 
 仲基は、儒教、仏教だけではなく神道も批判したが、その批判方法として「秘匿批判」を行なった。例えば、仲基が残した次のような言葉に見える。(※現代語訳は筆者による。)
扨又神道のくせは、神秘・秘傳・傳授にて、只物をかくすがそのくせなり。凡かくすといふ事は、僞盜のその本にて、幻術や文辭は、見ても面白、聞ても聞ごとにて、ゆるさるゝところもあれど、ひとり是くせのみ、甚だ劣れりといふべし。それも昔の世は、人の心すなほにして、これをおしえ導くに、其便のありたるならめど、今の世は末の世にて、僞盜するものも多きに、神道を教るものゝ、かへりて其惡を調護することは、甚だ戻れりといふべし。
 
現代語訳(さてまた神道の悪い「くせ」は、神秘・秘伝・伝授などと言って、モノを隠すところである。だいたい隠すということは嘘や盗みの元であって、仏教徒の幻術や儒教徒の言葉巧みは見たり聞いたりして面白いところがあるのでまだ許されるけれども、神道のこのくせは駄目である。それも昔だったらまだ人々の心も素直だったので、教え導く便利な方法としてアリだったのかもしれないけれど、今は末の世で、嘘をついたり窃盗する人間も多いのだから、神道を教える者は却ってその悪を擁護することになってしまっている。これは甚だ道理に反することだ。)(『翁の文』第十六節)
 こういうところにも、クレイグが仲基を好きな理由があるように思われる。クレイグはビットコインの匿名性を強く批判している。
 
 ビットコイン開発陣は、今、どちらかと言えば、ビットコインにもっと匿名性を持たせよう、という方向に向かっている。個人のプライバシーは大事であり、プライバシーを守るためにも、ビットコインにはもっと匿名性を高める技術を加えるべきだ、というのがビットコイン開発陣の主張である。
 
 しかし、仲基とクレイグは、この「秘匿」が嫌いなのである。そして、クレイグが最も気に入っている仲基の言葉「隠すことは嘘つきと窃盗の始まりだ」に繫がるのである。
 
 ただ、クレイグはけっしてプライバシーを嫌ってはいない。どういうことなのか。
 

クレイグの匿名とプライバシーの考え方 

 クレイグはプライバシーを嫌うどころか、プライバシーをとても重視している。プライバシーを大切にしたいといつも言っている。
 
 ビットコインの開発に携わっている多くの人々は、「匿名=プライバシー」と考えている。だからゼロ知識証明やコインジョインのような匿名化技術を推し進めようとしている。
 
 クレイグの中では、匿名とプライバシーは分かれているのである。二つを別のことだと捉えているからこそ、プライバシーは守るべきものだが匿名化は止めるべきもの、という考え方に至る。
 

富永仲基のビットコイン

 「富永仲基とビットコイン」というタイトルで書いてきたが、なんだかクレイグ・ライトの擁護記事のようになってしまった。
 
 冒頭の疑問に戻って、クレイグは富永仲基の著書を読んでいるかだが、私は読んでいるだろうと思う。そうでなければここまで自分の思想と合致する人物をなかなか引っ張っては来れない。仲基の主著のうち『出定後語』はともかく『翁の文』は間違いなく読んでいるだろう。
 
 サトシ・ナカモトの由来が江戸時代の思想家、富永仲基だとすると、ビットコインは富永仲基の思想が具現化されたもの、と言えなくもない。
 
 300年の時を超えて…。
 
 富永仲基は現代の日本でもほとんど知られていない思想家である。ネット検索で「富永仲基」と入力すると第2ワードに「天才」と出てくる。数少ない富永仲基のことを知っていて関心を寄せている人たちは、仲基のことを天才と見なしているということか。たしかに18世紀前半の日本の思想家としては異色の存在であり突出していた。
 
 今、ビットコインコミュニティでは、新たな匿名化技術を導入すべきか否かが議論になっている。富永仲基がビットコインのことを知ったらどう思うだろう。やっぱり匿名化には反対するだろうか。
 
 匿名化は政府に対する市民側の強力な武器になる。しかし同時に犯罪にも使われやすくなるという反面がある。仲基は嘘を言ったり盗んだりする人が多いことを危惧していた。幕府の教えを批判しつつも、法や秩序は守らなければいけないという考え方だった。富永仲基のビットコイン、それは「法や秩序に従うビットコイン」を意味する。
 
 国に協力的にも敵対的にもなり得るビットコインの存在をどう考えればいいのだろう。私にはまだビットコインの立ち位置がよく解っていない。どこまでビットコインの独立性を保ち、かつ犯罪に使われる可能性を小さくしていくか、というのは難しい問題だ。奇しくもビットコインの発明者に“なった”富永仲基に考えを聞いてみたい。
 
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