漸近龍吟録

反便利、反インターネット的

富永仲基とビットコイン(前篇)

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江戸時代のビットコインの発明者?

 富永仲基という江戸時代の思想家がいる。この富永仲基とビットコインが関係している、と言ったら驚かれるだろう。江戸時代にはビットコインなんて無かった。勘のいい読者の方は「仲基(なかもと)」という名前にピンと来るかもしれない。今回はこの富永仲基とビットコインの関係について思想の面から探っていく。書いていたら長くなってしまったので二回に分けて。
 

登場人物基礎知識 

【サトシ・ナカモト(Satoshi Nakamoto)】
 ビットコインの発明者とされる人物。正体不明。国籍、性別、年齢等、一切判っていない。個人なのかグループなのかも明らかではない。英語を使う。2011年頃から表舞台から姿を消している。
 
【クレイグ・ライト(Craig S. Wright)】
 2016年に「私がサトシ・ナカモトだ」と名乗り出た1970年生まれのオーストラリア人男性。草創期の頃よりビットコインの存在を知っていたようだが、自分がサトシ・ナカモトであることを証明できていない。世間の反応は「偽者だ」という声が多い。
 
【富永仲基(とみながなかもと)】
 18世紀の日本の思想家。八代将軍徳川吉宗の頃の人。大坂の有名な私塾「懐徳堂」で学ぶ。31歳の若さで亡くなるも、後に一回り年下の伊勢の思想家本居宣長に評価され、その名を知られるようになる。
 

「自称サトシ・ナカモト」が語った名前の由来 

 ビットコインの発明者「サトシ・ナカモト」が誰であるのかは長年謎だった。今でも謎である。
 
 クレイグ・ライト(以下、クレイグ)が「私がサトシ・ナカモトだ」と名乗り出た時は驚いた。が、それ以上に驚いたのは、彼が語った「サトシ・ナカモト」という名前の由来である。
 
 「なぜ、日本人みたいな名前なのか」。これは私たち日本人は特に気になるところだ。サトシ・ナカモトはネット上で活動していた頃は日本語を使ったことはなく流暢な英語しか使っていない。
 
 クレイグが「サトシはポケモンの主人公『サトシ』から。ナカモトは18世紀の日本の哲学者『トミナガナカモト』から取った」と言った時は衝撃を受けた。
 
 クレイグは富永仲基を知っているのか?
 
 いや、その前にポケモンには一体どのような深い意味があるのか。それにその理屈から言うなら、名字+下の名前なのだから、「トミナガサトシ(Satoshi Tominaga)」にするべきだったのでは?なぜ、下の名前と下の名前を繫げたのか。
 
 だが紛らわしいことに「なかもと」という名前は日本人の下の名前としては珍しく、むしろ名字っぽい名前であることから「なかもとさとし」という名前の人は普通に居そうではある。
 
 ポケモンの方は私はよく分からないが、富永仲基の方は興味深い。
 
 クレイグ・ライトが言ってることがそもそも全部嘘だったら、この先の話はすべて成り立たない。以降の話は「クレイグが嘘を吐いていないとしたら」という前提での話になる。
 

クレイグ・ライトはどこまで富永仲基を知っているか 

 クレイグはどこまで富永仲基のことを知っているのだろう。仲基の著書を読んだのだろうか。
 
 クレイグは、富永仲基に関して次のように発言している。
「Tominaga taught us that “concealment is the beginning of the habit of lying and stealing.”(富永は語った。「隠すことは嘘つきと窃盗の習慣の始まりである」と。)」

( Satoshi Nakamoto - Craig Wright (Bitcoin SV is Bitcoin.) - Medium より)

 これは、仲基の主著の一つである『翁の文』に出てくる次の部分のことを指していると思われる。 
「凡かくすといふ事は、僞盜のその本にて、(『翁の文』第十六節)」 
 ということは、クレイグはやはり仲基の著書をしっかり読んでいたのか。と言うと簡単にはそうとも言い切れない。ウィキペディア英語版の「富永仲基」のページに「As he always said, "hiding is the beginning of lying and stealing”.(彼はいつも「隠すことは嘘つきと窃盗の始まりだ」と言っていた。)」と書いてあるのだ(2019年5月確認)。仲基の数ある言葉の中からここだけをピックアップして引用していることを考えると、単に「ウィキペディアで見た」という程度の知識である可能性もある。
 
 つまり、クレイグは自分が「サトシ・ナカモト」であると偽るために、「どうしてナカモトというハンドルネームにしたんですか?」と聞かれたとき用に、ウィキペディアで「Nakamoto」で検索してみた。そうしたら18世紀の日本の哲学者で「Nakamoto Tominaga」なる人物がいることを発見し、その哲学者の思想と言葉が気に入ったからなのだ、というもっともらしい理屈を構築した。と、そういう可能性がある。
 
 大嘘吐きのクレイグ・ライトがウィキペディアで見つけた知識を強引にこじつけて、もっともらしい理屈を作り上げた。この結論でこの話は終わってもよさそうである。
 
 ところが、富永仲基の思想をもっと深く探っていくと、クレイグと仲基の関係が単なる「無理やりなこじつけ」とも言えない関係であることが見えて来るのである。よく富永仲基を見つけてきたなというくらい、仲基とクレイグの思想的立ち位置はよく似ている。
 

富永仲基とクレイグ・ライトの3つの共通点 

 クレイグ・ライトと富永仲基には、その思想に共通点がある。以下、大きく3つの共通点をあげる。

 

1. 時代の常識に挑む 
 仲基は、当時の日本の常識であった儒教を批判した。儒教儒学)は徳川幕府が唯一公式に認めた学問であり、どのような学徒であっても儒教批判など到底認められない時代に批判を展開した。
 
 クレイグは当人が嘘を吐いていないとすれば、ビットコインを創った。これは今までの常識であった法定通貨への挑戦である。
 
2. 批判する対象のグループメンバーだった 
 クレイグは無政府主義的な思想を強く批判しているが、自身が無政府主義的思想を持った人間の集まりであるサイファーパンクというグループのメンバーだった。
 
 仲基もまた、批判の対象であった仏教を学んでいた。仏教を学ぶというのは、当時は(今でもそうだが)、仏の道を信じ、より深く仏教について学びたいと思う者が学ぶのが普通だった。だが仲基は違った。仲基はあくまでも仏教の外にいた。仲基は仏教徒でもなく仏教を信仰しているわけでもなく、あくまで学びの対象として捉えて勉強していた。そして後にその該博な知識でもって仏教批判を展開するのである。そもそも仲基が在籍していた懐徳堂にしても儒教を教える塾である。そんな塾のメンバーとして在籍しながら、後に儒教批判を展開するのである。
 
3. 法と秩序に従って「当たり前に生きよ」と説く 
 仲基は当時の常識である儒教を批判したが、にもかかわらず、政府や法律や常識には逆らわず「当たり前」に生きなさい、と言った。
今の世の日本に行はるべき道はいかにとならば、唯物ごとそのあたりまへをつとめ、(『翁の文』第六節)
 
 クレイグもまた、ビットコインを創っておきながら、政府や法律には従って生きなさい、という考えを主張している。
 
 
 この3点が二人の共通点だ。ただ、これだけではそれほど「似ている感」が伝わらないかもしれない。もっと似ている感を感じてもらうために後篇では、対比の対象として安藤昌益にご登場いただこう。
 
後篇はこちら↓
 
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