私は昔から、柔らか頭な人が好きだ。頭が固い人が嫌いだ。
だが、世の中なぜか、柔らか頭の人はほとんど悪人だ。一方で“善人”たちは頭が固いことが多い。もちろん世の中の人間を「善人」と「悪人」に綺麗に二分できるわけではないが、仮に善人と悪人に分けたとすると、善人ほど頭が固い。なぜなのか。
「ここは奥深い山間部だからインターネットは届かない。仕方ない。あきらめましょう」と皆が言っているところを、「地上のインターネットが引けないなら宇宙からインターネットを繋げばいいじゃない?」と言う頭の柔らかさが好きだ。
私は善人か悪人かで言えば善人が好きで、頭が柔らかい人と固い人だったら柔らかい人が好きだ。つまり、善人でかつ頭が柔らかい人が好きだ。
だが、世の中には「善人で頭が柔らかい」という人間がとても少ない。
誤解のある言い方かもしれないが、振り込め詐欺グループが次々と新手の手法を考え出すのも好きだ。“普通の善人”たちが「騙されないぞ」と言って対策を練るが、頭の柔らかい悪人たちはその対策を搔い潜る新たな手法を考案する。善人たちは手口を学んで対策を立てようとするが、テレビやネットで紹介されている手口はすでにもう古い。
こう話すと、「どうやら、あなたは自分自身のことをジェフ・ベゾスやイーロン・マスクのような柔らか頭側の人間だと思っているようですが、それならどうしてあなたは彼らのような大きな成功を収めてないんですか?」と言ってくる人がいるかもしれない。
それは実行するかどうか、なのだ。何の遠慮もなく、そのアイデアが齎す悪影響を考えることもなく実行に突き進むなら、柔らか頭は大きな成功を収めることができる。私は振り込め詐欺犯の柔らか頭に魅力を感じるが実行はしない。アイデアを思いつくということと、それを実行に移すことの間には大きな懸隔がある。思いついたアイデアをそのまま実行に移すなら、私は悪人になる。
翻って、世の中のいわゆる“善人そう”な人々は、こういう「柔らか頭」を持ち合わせていないことが多い。頭の固い一般大衆の善人たちは「普通」や「常識」を支持する。彼らの言う「普通」や「常識」とは「現状」、「現実」のことである。
“普通の善人”たちは現状維持と現実対応しか行わない。革新的なイノベーションを思いつくのは悪人ばかり。世の中、悪い方向にばかり変化していくわけである。いつの時代も悪人が齎した大変化に、善人大衆が振り回されている。こんなことは終わりにしなければいけない。善人たちはもっと頭を柔らかくする必要があるし、頭の柔らかい悪人たちは、その頭の柔らかさをもっと善なることのために使うべきである。