漸近龍吟録

反便利、反インターネット的

【書評】堀川惠子『暁の宇品』—読書感想文

 評判がよかったので、堀川惠子『暁の宇品 陸軍船舶司令官たちのヒロシマ』を買って読んだ。なるほど、高い評判も頷ける内容だった。戦時中の陸軍船舶司令部について圧倒的な調査と資料に基づいて描いたノンフィクションだ。
 
 原子爆弾はなぜヒロシマに落とされなければならなかったのか。それは重要な軍隊の乗船基地があったからだという。
広島で軍隊の乗船基地といえば、海軍の呉ではない。陸軍の宇品である。
 
 読む前に、他の人が書いた読書感想文を読んだら「最後に感動」と書いてあったので、どんな感動が待ち受けているかと思って読んでいたら、確かにそのような展開はあった。だが途中は重苦しく、読み進めるのが辛かった。戦争時代のノンフィクションなのでどんどん人が死んでいくからだ。
 
 著者はノンフィクションライターらしく冷静な筆致に努めているが、それでも文章の端々から怒りが伝わってくる。叮嚀に書けば書くほど、軍上層部の愚策悪策ぶりや米国の非人道ぶりが伝わってきて苦しくなる。日中戦争から始まって太平洋戦争が終わるまで、本書の後半になればなるほど、著者の言うように人の命が「どんどん軽くなって」いった。
 
 前半では「船舶の神」と呼ばれた田尻昌次の半生が、後半では篠原優参謀の記述を基に佐伯文郎司令官の半生が語られる。
 
 広島・宇品の船舶司令部は自分たちが送り出して行った船と船員たちが次々と海の藻屑へと消えていく絶望の中、運命の8月6日を迎える。広島市の中心部から少し離れていたおかげで助かった宇品の船舶司令部。市中心部への交通路が完全に断たれてしまった状況、文字通りの地獄絵図の中で、佐伯文郎司令官は叫んだ。「われわれには、船がある」。そして東京の大本営からの指示を待たずに次々と船を繰り出して、広島市内を幾条も流れる川を力強く遡上して行き、被災者たちの救護活動にあたった。
 
 著者によれば、この時の佐伯司令官の行動は現代の視点から見ても救護活動として驚くほど迅速で的確であったという。なぜそれほど迅速に行動できたのか。著者はその原因を佐伯司令官が若い時に関東大震災の救護活動を経験していて、災害の時にやるべきことを把握していたからだろうという。
 
 これは本書の終盤の方で語られるたしかに感動的な逸話である。それまでの長い戦闘で多くの仲間・部下たちを失っていた。そこに最後のとどめとしてやって来た史上最大の爆弾。この絶望しかない状況で、広島・宇品の暁部隊が自分たちの“武器”であったその船で広島市民の救助に向かって行く様は、読んでいて心が震えずにはいられない。その迅速な救援活動は多くの人々の命を救い、絶望の中に一条の希望を齎した。
 
 だが、やはり関東大震災原子爆弾は違う。前者は自然災害だが後者は人災である。関東大震災における軍の活躍は素晴らしいが、原爆投下時の活躍は本来なら「やらなくていい」活躍だ。「やらなくていい」と言うのは軍の本来の任務外のことだからやらなくていいということではない。原爆投下というあまりにも非人道的な行いを米軍がしていなければ、佐伯たちは「大活躍」をする必要はなかったということだ。
 
 田尻昌次中将は兵站の重要性を理解し、唱えてもいた。冷静な判断ができる有能な人物は軍上層部にも何人かいた。だがそうした人物は上層部から排除され、精神論で乗り切ろうとするような無能な人間たちに固められた状態で、日本は太平洋戦争に突入していく。
 
 「なぜ日本は戦争を避けられなかったのか」、「誰が戦争を始めたのか」、「なぜもっと早くに戦争をやめられなかったのか」。これは戦後、何度も何度も繰り返し問われてきた問いである。関東軍など軍の中の一部の暴走した兵士たちだ、と言う人もいる。無能な軍上層部だ、と言う人もいる。東條英機が悪い、と言う人もいる。
 
 どれも正しい。しかし私は、「日本人」、「日本国民」だと思う。戦争を始めたのも戦争を続けたのも「日本国民」だ。勝利の報を聞いて酔いしれる気持ち、強気な発言をする軍上層部を「頼もしい」「リーダーシップがある」と感じてしまう気持ち、日本が西洋列強と肩を並べる強大な国になっていくのを嬉しく思う気持ち、国民たちの中には少なからずそういう心理があった。そのような心理が軍の暴走を後押しした。国民たちがそういう気持ちをもっと抑制できていたならば、東條英機がどれほど独裁者であろうがそこまで好き勝手にはできなかったはずなのだ。
 
 本書の最後の頁を捲ったとき、不意にあらわれた一葉の写真にグッときた。悲しみのガダルカナルで遺族の方が、沈没した船の海面に出ている部分をそっと抱きしめている写真だ。
 
 この本を読むまで、田尻昌次のことも佐伯文郎のことも、宇品の船舶司令部のことも全然知らなかった。本書は、戦時中の比較的知られていない部隊や人物に光を当てた労作だ。そして、すべて消えてしまったから語り継がれなかっただけで、無名の人たちの知られざる物語がまだまだ無数にある。著者の堀川惠子は田尻昌次に「よくぞ記録を書き残してくれた」と思ったそうだが、私もまた著者に対してよくぞこの本を書いてくれた、と思う。