ニューズウィークのこんな記事を読んだ。
社会に出たら学ばない──日本人の能力開発は世界最低レベル | キャリア | 最新記事 | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト
「週末とか何してるんですか?」
このよくある質問に、私は昔から「勉強とか…」と答えていた。すると決まって「勉強!!!?」とめちゃくちゃ驚かれる。そしてその次には「ああ、なにか資格取得のための勉強とかですか?」と訊かれる。「いえ、資格取得のための勉強ではなく…」。
なぜ誰も彼もからそんなに驚かれるのか不思議だったので、ある人にこの話をしたら、「普通の人は大人になったら勉強なんてしないんだよ」と言われた。「勉強っていうのは学生がするもので、普通は学校を卒業したら誰ももう勉強なんてしないんだよ。するとしても仕事のために必要とか、そういう理由で勉強することはあるけど。仕事にも生活にも何にも関係ない勉強をしてるって言ったらそりゃ驚かれるよ」と。
衝撃だった。目から鱗だった。「普通の人は学校を卒業したらもう勉強なんてしない」。そうだったのか。そういうもんなのか。
上記記事に対するコメントに「勉強する時間なんてないから」という声が多かった。
就職氷河期で就職できず、大学を出てやむなくフリーターになった私は、時間はあった。高校までは受け身の勉強だったが、大学で能動的な学びのスタイルを身につけ、大学を卒業してからもずっと大学時代の延長のような生活スタイルが続いた。だからかもしれない、私がいい歳してもずっと勉強しているのは。
ところで上記記事中に出て来る大王製紙前会長の「社会に出てからは、アウトプットするばかりでインプットする時間があまりにも乏しかった」という言葉が印象的だった。私の人生の感想とは真逆だからだ。私はひたすらインプットするばかりでアウトプットの機会がまったくない人生だった。
ここに日本社会が抱える問題の縮図があるような気がする。
就職氷河期でも運良く就職できた人は激務の日々、毎日残業続きで帰宅するのは深夜だから平日は勉強する時間なんてないし、たまの休みはもうクタクタで、勉強する力なんて残っていない。
一方、就職できなかった人たちは、時間はあるから毎日勉強して知識や資格をどんどん身につけていくが、職に就けないのでそのせっかく得た知識や資格を発揮する機会は永遠にない。
勉強したいという強い意欲を持っている人は勉強する時間がなく、勉強をたくさんしている人はひたすら頭に詰め込んでいくばかりでそれらを活用する場がない。極端に歪な構造になっているのだと感じる。