漸近龍吟録

反便利、反インターネット的

COVID-19禍と天平の疫病大流行~特別定額給付金と「賑給」~

f:id:rjutaip:20200519075957j:plain
 
 世界的なCOVID-19禍の中で私が思い起こしたのは今から約千三百年前、天平九年に起こった「天平の疫病大流行」だ。日本の国が駄目になってしまうのではないかと思われるほどの未曾有の疫病危機。その中で困窮する人々に支給された「賑給」について。
 
「全国民に一律10万円の給付金。」
 
 政府のこの発表を聞いた時、私は天平時代の「賑給」を思った。
 
 賑給とは、平安時代に時の政府が貧窮する国民に対して、薬や食料品、貨幣としての稲、等を支給したことだ。この賑給が行われる時機は二つのタイミングがあって、一つは天皇の代替わりや改元など、おめでたいことがあった時、もう一つは自然災害、疫病、飢饉など大きな国難に見無われた時。そのような時に貧窮者に対して政府から施しが与えられるのが賑給だった。
 
 この賑給が「緊急出動」する出来事があった。それが今から約千三百年前、天平九年に起こった「天平パンデミック天平の疫病大流行)」である。このとき流行った疫病は天然痘で、当時は疱瘡(もがさ)と呼ばれ恐れられた。天平七年に九州から流行したが、二年後の天平九年に大流行。全国で猛威を奮い、時の政権中枢にいた人たちまでもが次々に病に斃れ、日本は未曾有の大パニックに陥った。
 
 この時、非常緊急事態ということで賑給が出された。今で言うところの給付金である。何しろ政権中枢の人たちが病にたおれているので、政府の人間にとっても他人事の事態ではなかった。急遽、特別に食料、稲が支給されることになった。その後、時代が経過すると、賑給は段々と年中行事化していき、毎年五月の定例の行事として賑給が支給されるようになった。
 
 特別定額給付金は「現代の賑給」のようにも見える。平安時代に賑給が支給されたのは改元や疫病などの災害があった時。今の日本は昨年2019年に令和に改元されたばかりでCOVID-19という疫病が大流行している最中。そして五月。これだけ条件が揃っていれば、私でなくとも、特別定額給付金を現代の賑給に擬えて見る人はいるのではないだろうか。
 
 だが支給対象に決定的な違いがある。
 
 賑給が、現代の特別定額給付金と異なる点は、支給される対象となる人である。特別定額給付金は裕福な人、貧しい人関係なく全国民に支給される。賑給は、貧窮する人に支給された。では「貧窮する人」とは具体的にどういう人のことだったか。
 
 疫病に罹っている病人、高齢者、「鰥寡孤独(鰥寡惸獨とも)」の人がそれである。「鰥(かん)」は老いて妻のない男、「寡」は老いて夫のない女、「孤」は親のない子ども、「独」は子どものない老人、を意味する。つまり、よるべのない人たちのことである。
 
 こうした誰にも頼ることができず孤立している人に賑給は施された。より弱い人、自力だけでは生きていくのが大変な人、そういう人を助けようという精神が賑給にはあった。千三百年前の政府にできたことが、どうして今の政府にできないのだろう。
 
 天平の疫病大流行とCOVID-19大流行には共通点もある。
 
 COVID-19禍で在宅勤務を命じられた社員が「でもハンコを押してもらうために出社しなければいけない」というニュースがネットで報じられていた。ハンコ社会日本らしいニュースである。一方で、「このような非常事態なので押印の省略も認める」という対応をしている会社も出てきているらしい。
 
 天平時代の疫病大流行の時もこれと似たような出来事があった。
 
 籔井真沙美氏は論文『八世紀における賑給の意義と役割』で、官符を発行する太政官が、本来なら天皇御璽をもらわなければいけないところを、緊急事態だからということでそれを省略して地方に下していることを指摘している。令和時代の日本が、約千三百年前の天平時代の日本とほぼ同じようなことをしていることに驚く。
 
 先日、こんな記事を読んだ。
 
 この記事に出てくる33歳の男性は、頼るべき友人も知人も家族もいないという点では「鰥寡孤独」の人である。COVD-19禍により勤めていた飲食店は休業し「来なくていい」と言われた。収入も絶たれ、それまで住んでいたネットカフェにも住めなくなった。国からの援助の給付金もない。10万円の特別定額給付金も住所がある人のところにしか申請書は届かない。この男性はそもそも携帯電話の充電もできなくなってしまったので、そういう給付金制度があることすら知ることができない。「飲食店に勤めてて収入がある時にアパートを借りていたらよかったじゃないか」と言う人がいるかもしれない。だが今の日本には住宅を借りる際には保証人制度というものがあって、家族や友人がいない人にとっては家を借りるのは容易ではない。
 
 これが、「よるべのない人」の困窮である。現代の「給付金」よりも天平時代の「賑給」の方が優れていたのではないか。天平時代には、誰にも頼ることのできない「真に困っている人」が見えていた。
 
 天平時代の賑給が令和時代の特別定額給付金より優れていた点は少なくとも三つある。
 
 第一点目は、困窮する者に優先して支給できたこと。
 現代の特別定額給付金は、最初は富裕層には支給しなくてもいいのではないかという話も出ていたが、高所得者の家と低所得者の家を分ける事務作業が大変だ、という理由で、全国民一律で支給することになった。
 
 第二点目は、困窮する者に申請させなかったこと。
 上のNHKの記事に出てくる男性もそうだが、本当に困窮している人は給付金制度があることも知らないし、そういう情報に辿り着けない。申請の仕方も誰からも教えてもらえない。そもそも住所がないので申請用紙も届かない。賑給は困窮している本人からの自己申告制ではない。
 
 第三点目は、スピード感。
 上記、籔井氏の論文には、速やかに賑給を支給していた当時の律令政府のことが書かれている。「奈良時代と現代とでは人口が全然違うではないか」と言う人がいるかもしれないが、千三百年も後の時代でありながら、奈良時代のスピードに追いつけていないのは情けない。
 
 私は歯痒くてしかたがない。千三百年前の政府にできたレベルのことがなぜ今の政府にできないのだろう。国民を思う気持ちがないからだ。昔はもっと為政者と国民の距離が近く、為政者は国民の窮状をよく見ていた。未曾有の緊急事態下で困窮する国民を助けようとしたあの必死の思い。
 
 上記論文の中では、天平時代の賑給は、天平九年に頻度が増えていることや支給物の内容から、単に天皇(および政権)の徳を知らしめるためではなく本当に困っている人を救おうという気持ちがあったのだと分析されている。豪邸のソファで高級犬を撫でているような為政者には解らないことである。
 
 「こんな疫病の大流行は初めてのことだからわからない」という言い訳のような台詞をよく聞くが、初めてではない。あなたにとっては初めてかもしれないが人類にとっては初めてではない。何度も経験してきたことだ。千三百年前のことを思い出し「あの時はどうしたんだっけ?」と考えれば、もっと自ずとやるべきことは見えてくるはずだ。
 
【参考文献】
(この論文を大いに参考にした)
 
 
【関連記事】