漸近龍吟録

反便利、反インターネット的

70歳になったらわかる

 
 老人が運転する自動車が死傷事故を起こすたびに、世間では「老人から免許を剥奪しろ!」、「老人は免許を返納しろ!」という声が上がる。
 
 「なんで老人は免許を返納しないんだろう。自分の運動神経をいつまでも過信してしまってるんだよね」
 
 だが、老人が免許を返納しない一番の理由は「運動神経の過信」ではない、と私は思っている。人が70歳を過ぎたときに免許を返納しない一番の理由は「今までの生活スタイルを変えるのが困難」だからだ。
 
 以前、マンションの老朽化に伴う建て替えで、住み慣れた家を追い出される老人の声が新聞で紹介されていた。マンションの8割か9割の住人は建て替えに賛成だが、一部の老人が反対している。このニュースに対して寄せられたコメントも「一部の老人がゴネている」、「いい迷惑」、「それだけお金がもらえるんだったらその金でもっと良いところに引っ越せばいいのに」というものだった。
 
 しかし、老人にとって長年住み慣れた街、家から引っ越すのは大苦労だ。
 
 行き慣れた近所のスーパーマーケット、床屋、クリーニング屋、ATM、その他日常生活で使っているたくさんの店。それらの店すべて新しい店を探さなければならない。床屋の人とは仲良くなってその人とのお喋りが唯一の楽しみかもしれず、床屋だけは前の街まで通おうかしらと考える。
 
 若い人でさえ、生活に必要な新しい店を新たに探し直すのは億劫になることだ。「なぜそんな老朽化した汚いマンションに住み続けるのか」、「もっと綺麗な家に住むことができるのに」。だが老人にとって、より大事なことは新しい綺麗な家に住むことではなく、新しいものを開拓する苦労をしなくて済むことのほうがよっぽど大事なことなのだ。
 
 いま「老人は免許を返納しろ!免許を剥奪しろ!」と言っている人たちは、自分が70歳になったら「私はまだ大丈夫」と必ず言うだろう。しかしその時の気持ちは自分の能力の過信ではない。返納したほうがいいと頭の中では思いつつも、もし明日から車がなくなったら、今まで通っていたあの店もあの場所もどうやって行けばいいのか。バスや他の公共交通機関があったとしても、その歳で複雑なバスの路線や行き先を新たに覚えるのはとてもハードルが高く感じられるだろう。
 
 だから、いま老人たちが引き起こしている自動車事故は老人だけの問題ではない。若い人たちは「自分は70歳になったら免許を返納するつもり」などと言って、いかにも簡単に決断実行できることかのように言っているが、今のうちから自動車に頼らない生活を構築できていないと、実際に70歳になった時それを実行することが思ったよりずっと難しいことに気づくだろう。70歳になったら分かる。そしてそのときに分かってももう遅い。
 
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