漸近龍吟録

反便利、反インターネット的

【追悼Hagex】Hagexさんの正義

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 Hagexこと岡本顕一郎さんが福岡で刺殺されて今日で一年が経つ。
 
 私はまだこの事件についてうまく心の整理ができていない。
 
 私は、Hagexさんとは知り合いではない。事件が起きるまで顔も本名も知らなかった。ネット上で言葉を交わしたこともなかった。ブログ「Hagex-day.info」の購読者でもなかった。なので、以下の文章は多少、推測で書いている部分もある。ただ数年前から一方的にHagexさんのことは知っていた。はてなブックマークで時々、Hagexさんの書いた記事がホットエントリ入りしている時に、たまに見ていた。
 
 知り合いではなく一方的に知っていただけの人なのに、事件のショックは大きかった。こんなに釈然としない理不尽な事件もないと思った。
 
 事件後、初めてHagexさんのブログをトップページから見てみた。Hagexさんの考えていたことを少しでもわかりたいと思ったから。しかし見てみて驚いた。何万にも及ぶ厖大な過去記事があった。とても読みきれない。毎日どころか一日に複数回更新しているのである。
 
 そしてもう一つ驚いたのは、ブログ記事の大半は2ちゃんねるからの転載文だったことだ。2ちゃんねるから一部の文章を切り取って転載し、そこに「これはこわい」「これはすごい」など、たった一言コメントをつけているだけの中身のない記事だった。ざっと見、9割方はそうした中身のない記事で、たまに自分の言葉で書いた記事がありそれがはてなブックマークでホットエントリ入りしていた。
 
 なぜHagexさんはこんなにたくさんの中身のない記事を量産していたのか。それを考察する過程で少しづつHagexさんが考えていたことが朧気に見えてきた。
 
 世間の反応の中には“誤解”と思われるものも少なくない。ここではその誤解を一つ一つ解いていくとともに、Hagexさんの「正義」とは何だったのかを考えたい。
 
目次

闇の事件ではない 

 事件後、新聞では「IT講師」、「ダークウェブの専門家」といった紹介がなされていた。これを見た人は「インターネットの闇の世界に詳しかったから、闇の世界の人に殺されてしまったのだろう」と誤解した人もいたのではないか。Hagexさんは本業では確かにダークウェブのことには詳しかったようだが、事件は「はてな」という「表ウェブ」の世界をきっかけにして起きた。闇でもなんでもなく、堂々と表のウェブの世界の話だった。
 
 容疑者は、はてなで「低能先生」と呼ばれていた。そうやってからかわれていたから逆上して犯行に及んだのだ、からかっていた人たちの自業自得な面もある、事件の経緯に詳しくない人の中にはそう思っている人もたくさんいるようだ。
 

低能先生」はHagexさんが使い始めた言葉ではない

 しかしHagexさんが容疑者のことを「低能先生」と呼び始めたわけではない。むしろ「低能」という言葉は容疑者の方から先に使い始めた言葉だった。容疑者ははてな匿名ダイアリーはてなブックマークで、いろんな人に向かってIDコールで「低能」だの「馬鹿」だのという中傷の言葉を投げかけていた。あまりにもそれがエスカレートしていたので、それでいつしか、はてなブックマークユーザーたちから「低能先生」と呼ばれるようになっていった。「低能」の後に「先生」を付け始めたのが誰かはわからないが、Hagexさんではないだろう。
 

通報は他のみんなのため 

 Hagexさんがブログで「低能先生」に言及しているのは、私が見た限りではたった一回くらいで、「いわゆる『低能先生』と呼ばれている人がいる」と書いている。そして、IDコールによる誹謗中傷という迷惑行為について、はてな運営に通報したと書いている。Hagexさん自身もたびたび罵詈雑言をかけられ、「私のように罵詈雑言に慣れている人は問題ないけれど、いきなり罵倒がくると、たいていの人は怖がってしまう」から通報しているのだと、他の人を思いやっての通報なのだと書いてあった。
 
 容疑者は次々とIDを変えていたが、Hagexさんらの通報により、はてなサービス上で口を封じられ、それが怒りに繋がっていったと思われる。
 

低能先生は復讐の相手を間違えている

 今回の事件が許せないのは、もし容疑者の“復讐”という気持ちに同情するとしても、復讐する相手を間違えているからだ。ネットの「お前ら」への復讐だと言うならネットの「お前ら」全員に復讐すべきであって、なぜHagexさんが狙い打ちされなければならなかったのか。
  

「Hagexの自業自得」ではない

 「Hagexの自業自得」みたいな言い方をする人も多い。「Hagexはネットで人をおちょくったり、からかったりしていたから、こういう痛い目に遭ったのだ」と。
 
 しかし、Hagexさんがおちょくったり、からかったりする対象にしていた人たちは、今回の容疑者とはまったく別の人たちである。たしかにHagexさんは何年かに渡って特定の有名人を批判の対象にしていた。そういう対象にされていた人が逆上して犯行に及んだ、というのならまだ分かる。だが容疑者は違う。Hagexさんにずっとからかわれていたわけでもなく、言い争いになっていたわけでもない。私の把握している限りでは、Hagexさんは容疑者(低能先生)については、ブログで一回、ブックマークコメントでも一回程度しか言及していない。
 

Hagexさんの“いじり”は怒りからくる“批判”

 「Hagexのいじりは度が過ぎていた」と言う人もたくさんいる。Hagexさんの誰かに対する批判は、たしかに“いじり”、つまり「おちょくり」や「からかい」の形式を取っていることが多かったが、“いじり”の形式をとった“批判”であった。つまり不正(とHagexさんが感じること)に対して批判していたのであって、どうでもいいことを暇つぶしにからかっているわけではなかった。
 

Hagexさんの“いじり”は必ず自分より強い者に向けられていた

 これはとても肝腎なことだと私は思っている。Hagexさんの“いじり”は必ず自分(Hagexさん自身)より強い人に向けられていた。「いじりはいじり、いじめはいじめ、じゃないか」と言う人がいるが、弱い者いじめとはまったく違う。自分より強い人への批判を「いじめ(いじり)」と言うか?Hagexさんがブログで長期にわたって批判の対象としていた人は、ネットの世界でもリアルの世界でも、Hagexさんよりずっと大きな影響力を持った有名人だった。Hagexさんは自分より弱そうな人は批判(いじり)の対象にはしなかった。
 

「Hagexは調子に乗っていた」?

 私が残念に思うところの一つは、多くの人が「Hagexは調子に乗りすぎていた」と思っていそうなところだ。そして実際にはHagexさんはそこまで調子に乗っていなかったというところだ。調子に乗っていたならまだいいのだ。
 
 Hagexさんがサングラスをして舌を出している写真がある。割と有名な写真で、こういう写真のおかげで「調子に乗っている」というイメージがあるかもしれない。
 
 Hagexさんはかなり昔からブログ「Hagex-day.info」を書いていたようだが、記事がはてなブックマークに頻繁にホットエントリ入りするようになったのは、ついここ6〜7年のことであり、さらにリアルの世界で活動をし始めたのは2018年頃からである。つまり、ネットで有名になったのもつい最近のこと。リアルの世界では、Hagexさんが批判の対象としていた人たちがずっと昔からリアルで大活躍しているのにくらべて、Hagexさんはまったく活躍してなく(本業の仕事は知らない)、2018年に入ってから漸く、リアルの世界で活躍の幅を広げていこうとしていた矢先だった。福岡の講演会も、まさにその一歩だった。
 
 ブログを更新し続けること苦節十数年。30代後半になってようやくネット上で少し有名になることができ、40代になってようやくリアルで少しだけ活躍の場が出てきた。これが「調子に乗っていた」人の人生か?
 
 Hagexさんは、私たちが思っているほど調子に乗れていたわけではなかった。
 

危機感が足りなかったわけではない 

 今回の事件を受けてネット上には「荒らしはスルーするにかぎる」とか「やっぱり顔出しとかしちゃいけないんだ」と言っている人がたくさんいたのも残念だ。
 
 「荒らしはスルーするにかぎる」。自己の保身のみを考えるならそれは正しい。しかしみんなが自分の身の安全のことだけを考えてスルーしていたら、荒らしは荒らし放題、誹謗中傷し放題になる。Hagexさんはネットが好きだったからこそ、ネットの世界がそのように荒れ放題になってゆくのは嫌だったのだろう。「低能先生」を通報したのも、「ネット私刑」、「ネットリンチ」として面白がって通報していたわけではなく、「私のように罵詈雑言に慣れている人は問題ないけれど、いきなり罵倒がくると、たいていの人は怖がってしまう」から、初めての人、慣れていない人が怖い思いをしなくて済むように、という思いからの行動だった。 
 
 Hagexさんはネットセキュリティのプロだから、もちろん顔バレ、身バレはしないように細心の注意を払ってはいた。しかし、思うに、Hagexさんはそういう世界が嫌だったのではないか。2018年からリアルの世界に軸足を移しだしたのも、「もっと顔を合わせて話し合おうよ」という気持ちがあったのではないか。Hagexさんは、「ネットでいがみあっている人たちも会ってみれば案外いい奴」という世界をどこかで信じていたのだという気がする。
 

Hagexさんの“いじり”、“いじめ”に対する考え方

 Hagexさんのことが「いじめっ子」に見えていた人がいる、というのも意外だ。Hagexさんは決して自分より弱いものに攻撃を向けなかった。それはHagexさんがブログに書いていた次のような言葉からも分かる。
 
「毒舌」は私も好きですが、これって「強い人」にぶつけないと、イジメなんですよね。非難される前の小保方さんに対してこの記事をぶつけたら「素敵な毒舌」なんだろうけど、周りからフルぼっこ状態でこの記事じゃ「単なるイジメ」じゃん。(2014年3月25日の記事より) 
 自分が毒舌であること、そして、それは必ず強い人に向けるように意識していたことが、この言葉からも分かる。
 

「Hagexはダブルスタンダード」?

 「Hagexはダブスタだった」と言う人もいる。いじめは良くないと言いつつ自分もいじりをしていたではないか、というわけだ。
 
 「いじり」は揶揄、からかいである。揶揄は自分より強い者にも弱い者にも向けられる。総理大臣や大統領を揶揄したりすることもある。だが「いじめ」は自分より弱い者に向けられるものだ。
 
 Hagexさんは自分より強い者を「いじる」ことはしても、自分より弱い者を「いじる」ことはしなかった。弱い者をいじることは「いじめ」なのだとHagexさんは言う。まだ問題が広がる前の小保方氏ならともかく、すでに多方面から非難を浴びて弱い状態にある小保方氏をいじってはいけない、とHagexさんは言う。
 

Hagexさんは相手を選んでいた 

 Hagexさんは、ブログで取り上げる対象にする人を慎重に選んでいた。誰でもいいからおちょくっておけ、というスタイルではなかった。それは次のような言葉からも窺える。
 
私もこの日記でいろいろと書いてるけど、ターゲットが「自殺」したらどうなるか? はいつも考えている。ネットでは大言壮語だけどガラスのようなハートを持った人もいるので、個人的には気を使っている(2013年6月25日の記事より)
 自分自身が人を傷つける側に回らないよう、気を遣っていたことがわかる。例えば、Hagexさんは家入一真氏を“対象”として取り上げていたが、途中からだんだん家入氏に対する見方が変わってきたようで、一人の人物として“認めている”印象すら受ける。そして家入さんみたいな人だったら自分も安心して取り上げることができる、という趣旨のことを言っている。ここには(家入さんの方が力が上だから自分みたいな弱小ブロガーが少しくらいのことを言っても大丈夫だ)という前提がある。
 
 HagexさんのブログのPVが増えてきて、自分自身が、今まで批判の対象として来た人たちの影響力に近づいて来た頃には、こんな自重の言葉も残している。
 
「PVなんか気にせず、好きなことを書くのがブログの醍醐味であり、そうあるべき」というのが私の信条なんですが、アクセス数が増えると、やはり慎重になってしまうんですよね。ブログやSNSで「未成年の飲酒だぜ、けけけ」というコンテンツを見つけても、昔のように晒し上げのエントリーを書けません。やるときは、やるけど、どーしてもPVが多いと慎重になります。個人的には「アクセス数がある、影響力のあるサイトは無責任に運営してはいけない」とも考えている(2014年6月25日の記事より)
 

Hagexさんはゲスな人ではなかった

 「ゲス」とよく言われたが、Hagexさんはゲスな人ではなかった。ゲスなフリをしているだけの人だった。「自分でもゲスだなぁと思いますけど」と言っていたが、彼のブログをよく読めば、そんなにきつい言葉や酷い言葉を使っていなかったことがわかる。
  

ブログの更新は“たたかう”ため

 なぜ、猛烈な勢いでブログを更新していたのか。そのヒントらしき言葉が、2011年の大晦日に書かれた記事の中にある。
 
2011年は、ヘッポコ日記が飛躍した年でありました。2011年1月では月間69万5000PVでしたが、6月に月間100万PV、9月以降は月間200万PVを突破しております(12月は220万PV)。アクセス数は自己満足の1つではありますが、個人的には「ケンカ」をするときに、大変有効な武器になると考えています。PVは充分に稼げたので、来年これを使っていろいろと花火を上げたいと思いますので、応援をよろしくお願いします。(2011年12月31日の記事より)
 言わばネットの専門家であったHagexさんには、普通の人には見えない、巧妙な釣りや大掛かりなステマがよく見えた。だからそういった巨悪を取り上げて批判したかった。だが何の肩書もない弱小ブロガーが批判したところで、大悪人たちは痛くも痒くもない。そういった強い悪人たちと喧嘩するためには先ずは自分がある程度強くならなければならなかった。強くなるというのは影響力を持つということ。Hagexさんがブログを猛烈な勢いで更新してPVを増やしていたのは、アフィリエイト収入のためではなく、ネット上の強い人たちと闘えるだけの影響力を獲得するためだった。
  

Hagexさんはなぜ殺されなければならなかったのか

 Hagexさんの事件はあまりにも理不尽である。Hagexさんが対象としてよく取り上げていたH氏という女性やI氏という有名な男性ブロガーに殺されるのならまだ分かるが、低能先生はHagexさんの“対象”ではなかった。
 
 低能先生は次々とはてなアカウントを凍結されて恨みを持っていたという声もあるが、はてな運営に通報していたのがHagexさんだけとは限らない。しかもHagexさんが通報していたのは個人的な復讐だとか面白がって、という理由ではなく、他のみんなが怖がらなくてすむためであったことは上記にも書いた通りだ。
 
 Hagexさんはむしろ、どちらかと言えば、低能先生のような弱い者の味方だった。絶対に攻撃対象ではなかった。
 
 低能先生はネット上だけでHagexさんを見、頭の中に勝手に「Hagex像」を作り上げて恨みを募らせ、兇行に及んだ。実際に会って話してみたら、自分の敵ではない、むしろ味方なのだということが分かったはずなのだ。
 
 福岡はHagexさんの故郷だった。勉強会は規模は小さいながらも「故郷に錦を飾る」ものであったはずだった。
 
 低能先生は襲撃した時に、自分は「低能先生」でおまえに恨みを持っていた、とHagexさんに伝えたのだろうか。それとも、Hagexさんはその男が誰で、なぜ自分を襲ったのかも分からず亡くなっていったのだろうか。
 
 こんなつまらない殺され方が返す返すも残念だ。
 

Hagexさんが思い描いていた世界

 これは私の勝手な想像だが。
 
 Hagexさんがネットでやっていたことは、からかいやおちょくりといった方法を取ってはいたが、基本的には、私たち一般人が悪質な「釣り」やら「ステマ」やらに引っかからなくて済むように注意喚起をしてくれる善意の啓蒙活動だった。
 
 最期の3か月ほどの短い期間、友人だったというフミコフミオ氏がHagexさんから「フミコさんもネットから出ましょうよ」と言われたという話が印象に残っている。
 
 2018年、Hagexさんは、確実にネットからリアルに軸足を移そうとしていた。
 
 もうネットは充分。もう自分はネットではじゅうぶん力を蓄えた。これからはリアルの世界でたくさんの人と直接会って話し合ったり、自分がネットで得た様々な知見を広めていきたい。その活動の一つが「かもめ勉強会」だった。
 
 ネットのからくり、釣りやステマフェイクニュースの仕組み、ネット上の傍若無人な人との接し方、闘い方、そういったものを教え、でもその力を弱い者いじめに使わないでくださいね、必ず「悪いことではなく正義のために使ってください」ね、それがHagexさんの「遺言」になった。
 
 ふだんあまりテレビドラマを見ない私だが、2018年10月にNHKのドラマ『フェイクニュース』を見た。ドラマの最後に流れるクレジットに、Hagexさんの本名が流れた。北川景子主演のこのドラマには、悪意のある嘘ニュースを流す人物と、そうした根も葉もない情報に流されてしまう大衆が描かれていた。みんなネットの情報に踊らされていませんか?、もっと直接会って話し合いましょう、人を信じましょう、そういうメッセージが込められたドラマだったと思う。そしてこれはおそらくHagexさんのメッセージでもあったのではないか。
 
 Hagexさんにとってこれまでのネット上の活動は、言わば助走期間だった。力を蓄えてその力をリアルの世界で良いことのために使っていく。これからが本番だった。もう「ネットのゲスな自分」は卒業して、(いや、ひょっとしたらそっちも引きつづき続けていたかもしれないが)、勉強会を開いて今までの知見を人々に還元していきたい、そして「正義の味方」を少しづつ増やしていきたい、そんなことを考えていたのではないか。
 
 だからこそ、Hagexさんという人物が、その「前半生」だけで評価を下されるのが私は悔しい。
 
 ネットを愛していた。誰よりも詳しかった。ネットの表も裏も知り尽くしていたがゆえに、邪悪なからくりや人々の流されっぷりもよく見えた。Hagexさんが取り上げていたのは「未成年の飲酒」などという小さな不正ではなく、大きな不正だった。あそこまで大きな不正を暴く芸当ができる人は他になかなかいない。「正義」であったかどうかは置いといても、少なくとも「正義」についてまじめに考えていた。
 
 私もネットの世界ばかりに籠もりがちになるところがある。そして気づいたら自分の知識がネットで得た情報ばかりで、視野が狭くなっているのではないかと感じることがある。「まだネットなんかしてるんですか」というHagexさんの声が聴こえてきそうだ。