漸近龍吟録

反便利、反インターネット的

公共料金はなぜ月一引き落としなのか

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Gerd Altmannによる画像
 
 電気代、ガス代、水道代、電話代、のような公共料金は、月に一回、登録している銀行口座から引き落とされる。
 
 これが前から疑問である。なぜ「月に一回」なのか。そして、どうして誰もこのことに疑問を持たないのか。
 
 月に一回というのは、まるで明治時代の郵便制度のようだ。
 
「九州の知人から返事が来ないんだけど」
 
「ああ、九州からの手紙でしたら来月の船便で東京湾に到着すると思いますよ」
 
 それから、手紙は五日で届くようになり、三日になり、二日になった。そして今ではメールでほぼリアルタイムに返事が届く。コンピュータとインターネットの浸透に伴い、世の中のあらゆることは「リアルタイム」の方向に向かっている。
 
 なのに、公共料金の引き落としはなぜ未だに「月一」なのか。電気代もガス代も水道代も、使った分から即時、リアルタイムで引き落としていけばよいではないか。
 
 日本は外国にくらべても、公共料金の支払いは銀行口座からの自動引き落としにしている人が多い。であるなら、なおさら使ったそばから料金を引き落としていくことが可能なはずだ。
 
 「私は月に一回引き落とされた方が分かりやすくて家計が管理しやすい」と言う人もいるだろうが、そう望む人はそうすればいいだけだ。あるいはリアルタイム引き落としにしておいて、明細だけ月一のものを発行すればいい。
 
 スマートメーターでは約30分ごとに使用量が確定している。かつてのように月に一回の人力の検針によって使用量が確定するわけではない。それなのに、料金の引き落としだけが明治時代の郵便制度のような時間感覚で動いているのは何故なのか。いったい何のためのスマートメーターなのか。
 
 月一が悪いと言うのではない。どっちの方が優れているか、とか、どちらが効率がいいか、ということではなく、当然にできることは当然にできなければいけない。
 
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地球温暖化問題は先進国と途上国の対立問題ではない

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Gerd Altmannによる画像
 
 9月23日に行われた国連の気候行動サミットでスウェーデンの16歳の環境活動家、グレタ・トゥーンベリさんが激しい口調で地球温暖化問題を訴えた。
 
 これに対する大人たちのコメントで情けないものをたくさん見たが、特に多く見られたのが、次のようなコメントだ。
 
「よくもそんなことを」 トゥンベリさん、怒りの国連演説 写真11枚 国際ニュース:AFPBB News

あくまで先進国の恵まれた若者の主張で、発展途上国の若者は俺達に貧しいままでいろと言うのかと言われるし、あっち立てればこっち立たずなんだよなぁ

2019/09/24 08:43
「よくもそんなことを」 トゥンベリさん、怒りの国連演説 写真11枚 国際ニュース:AFPBB News

途上国の子どもが「私たちの目の前で扉を閉めるのか。よくもそんなことを」って反論し始めたら最高なんだけどなw

2019/09/24 10:03 
 あるいはTwitterで1万以上のいいねを獲得していた次のようなツイート。
  
 「スウェーデンのような先進国の恵まれた環境で育った人が何を言うか」と言う。これらはありえない批判だ。出自で批判してはいけない。そんなことを言ったらスウェーデンで生まれ育ってしまったトゥーンベリさんは、これからどうやっても一生、温暖化問題について何も言えなくなる。トゥーンベリさんだけではない。スウェーデン人全員、あるいは先進国であるヨーロッパ、アメリカで生まれ育った人は誰一人として温暖化問題を語ることができないことになる。
 
 「この人が不便を受け入れるなら、話は分かるけど」と言っているコメントも見た。トゥーンベリさんは不便を受け入れるのではないか?
 
 「自分たちは今までCO2をたくさん排出して便利な生活を享受してきたくせに、途上国にはそれを規制して便利な生活を送らせないと言うのか」と言っている人がたくさんいる。しかし、その認識は間違っている。
 
 先ず、まだ16年しか生きていないトゥーンベリさんはそんなに「享受」してきていない。仮に豊かな生活を享受していたとしても、豊かな生活を享受することと経済成長を推進することは、まったく異なることである。また、豊かな生活というのは、必ずしも経済成長によって齎されるわけではない。
 
 次に、CO2をたくさん排出する=先進国、という発想が間違っている。同じ先進国でもアメリカのCO2排出量は多いがスウェーデンは少ない。途上国と称している国でも、中国やインドのようにCO2をたくさん排出している国もある。
 
 日本国内を見ていてもわかるだろう。日本で最も便利さを享受している東京人は、日本で最も自動車に乗っていない人たちである。田舎の人たちほど自動車に乗りたくさんのCO2を排出している。CO2をたくさん排出する権利=便利な暮らしができる、という考え方が時代遅れなのである。
 
 そもそもトゥーンベリさんが訴えているのは“We 私たち”の問題なのだ。
 
 「船が沈んで行ってるから何とかしましょう」と言う人に対し、「うるさい。何を幼稚なことを言ってるんだ」と返す。こんな愚かなことはない。その船はトゥーンベリさんだけが乗っている船ではない。“私たち”も同じように乗っている船なのだ。「船が沈みかけていることに気づかせてくれてありがとう」と言うべきところだ。
 
 「喧嘩を売っといて云々」というコメントも見た。トゥーンベリさんのあの演説を聞いて、「自分が喧嘩を売られた」と感じている人がいるのも信じられない。
 
 途上国のCO2の排出量が規制されたら途上国の未来が奪われる、などというのは頭の固い、時代遅れな発想だ。CO2が増えて地球がどんどん温暖化していった時に苦しむのはむしろ途上国の人間である。        
 
 先進国も途上国も関係なく地球温暖化に向かい合わなければいけない時に何を言っているのか。
 
 
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給与はなぜ月一払いなのか

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klimkinによる画像

 
 かなり前から疑問に思っている。給与はなぜ月一払いなのか。
 
 (註:この記事には答えは書いてありません。)
 
 一般的な会社員、月給制の社員の給料はなぜ月一回払いなのだろう。以前からずっと疑問で夜もたまに眠れない。「給与_月一払い_理由」などで検索しても、どこにも答えが書かれていない。疑問を発している人もいない。
 
 ちなみに「月給」は「月一払い」とは意味が違う。月給とは給与の金額が月額で定められているという意味だ。時給制のアルバイトで働いている人は一時間ごとに給与が振り込まれるわけではない。時給制であっても給与は月に一回まとめて払われる。
 
 ネットで調べると「二か月に一回とか半年に一回という払い方は労基法違反だから駄目なんです」と書かれている。それは分かっている。労基法では、給与は「月に一回以上、日を定めて払うこと」と決められている。そうではなくて、私が知りたいのは逆の方、すなわち「月に二回」とか「週一」という払い方がなぜ無いのか、ということである。
 
 少し調べてみたら、外国には給与は「月二回払い」というところもあるらしい。法律では「月一回以上」と定められているのだから、月二回でも四回でも三十回でもいいはずなのだ。
 
 なぜ駄目なのだろう。手数料がかかるから?でも「手数」って何だろう。何の手数?銀行への振込手数料?しかしそれは銀行を介するから発生するわけだろう。今年2019年中にも、給与のデジタルマネー払いが解禁される、というニュースもある。そうなればもう必ずしも銀行を介して給与を払う必要はないわけだから「手数料がかかる」というのは意味が分からなくなる。
 
 少しだけ歴史も調べてみたが、日本で「給与の月一払い」が慣習化したのは戦後のことらしい。つまり江戸時代とかそこまで起源が古いわけではない。しかし、なぜそれが慣習化したのか、つまりなぜそれが「当たり前」になったのか、は分からないのだ。
 
 そして、戦後、仮に昭和30年頃としても、それからもう65年近くもこの月一払いという習慣は変わっていないのだ。その間、紙幣を給料袋と呼ばれる封筒に入れての手渡しから銀行振込へと渡す方法は変化したが、「月一払い」の方は誰にも疑問を持たれることもなく旧来のあり方がずっと続いている。
 
 21世紀にもなって、こんな戦後の旧いやり方が踏襲されているのは驚くべきことだ。
 
 私は給与はできるだけ「リアルタイム払い」に近づけるべきだと思う。
 
 ネットで調べるとだいたい「賃金支払いの5原則」というものが出てくる。労働基準法で定められた賃金の支払いにおける5つのルールで、
 
1. 通貨払いの原則
2. 全額払いの原則
3. 直接払いの原則
4. 毎月1回以上払いの原則
5. 一定期日払いの原則
 
の5つのことを指すらしい。
 
 だが、先ずこのルールからしてツッコミどころだらけなのだ。1の通貨払いというのは「現金じゃなきゃ駄目ですよ」ということであり、3の直接払いとは「手渡しじゃなきゃ駄目ですよ」という意味だ。つまり「給料は現金手渡しで払いなさい」ということなのだ。だが、今、日本の会社で給料を現金手渡しで払っている会社がどれだけあるだろう。およそ9割方は銀行振込ではないのか。銀行振込はなぜかこの原則の「例外」として認められているらしい。これもよく意味がわからない。
 
 最近になって「給料を電子マネーで払ってもよい」という方向に法律が変わろうとしている。今まで電子マネーはなぜ駄目だったのだろう。それも検索して調べると「電子だから」と書いてある。だが、それを言うなら銀行振込だって「電子」だ。今まで何十年もの長きにわたって電子で払ってきたのに「電子だから駄目」というのは理屈が合っていない。
 
 で、話を本筋に戻すと、4の「毎月1回以上払いの原則」や5の「一定期日払いの原則」あたりが関わってきそうだ。
 
 「毎月1回以上」、つまり1年に1回とかそういう払い方は駄目だということだ。これはわかる。「10年後にまとめて一括で給料を払います」と言われたら、10年間まったくお金が入ってこないことになってしまう。だが「1回以上」なのだから、月に2回とか3回とか週に1回とか、そのように増やすことは可能なはずである。
 
 そしてこれを突き詰めて行けば、1日1回、すなわち「毎日払い」も可能になるはずだ。これは「日雇い」とか「日給制」とは話が違う。あくまでも月給制において30日なら30分割して日毎に払うということである。毎日定期的に払うわけだから、5の「一定期日払いの原則」にも反していない。
 
 なぜ、そうしないのだろう。
 
 考えられる反論が3つある。
 
1「振込手数料がかかりすぎる」
 これはおかしい。今は振込手数料がかからないサービスはいっぱいある。
 
2「手間がかかる」
 これもおかしい。何十年も昔ならいざ知らず、今はコンピューターが給与計算も、その後の従業員の口座に振り込む手続きも全部やってくれる。手間は無いはず。
 
3「経理上、複雑になる」
 経理のことはよくわからない。これが理由?
 
 あと、ネットで調べていて、「25日に払われる給料の一部を15日に受け取ることは給料の前払いになる」というようなことが書いてあって、これも納得いかなかった。15日に1日から15日まで働いた分の給料を受け取るのだから「後払い」ではないか。前払いというのは「まだ働いていないのに払う」のが前払いで、働いた後に払うのは後払いだ。
 
 給料は働いた日の分まで、なるべくリアルタイムに払われるべきだ。例えば、営業日が月に20日あって、月給20万円の人は、毎営業日の夜に1万円づつ払われるべきだ。
 
 さらにこれを究極に突き詰めると、月給25万9000円の人には、10秒に1回、1円づつ払っていけば、月内に給料を払い終えることができる。(※一か月30日以上ある場合。)もちろん、夜中も不眠不休で10秒に1回ボタンをクリックしなければいけないわけではない。すべてコンピューターが自動でやってくれる。
 
 デジタルマネーでの給与払いを解禁するならば、この「月一払い」という奇妙な旧来の風習の見直しとセットでなければいけない。
 
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颱風後の反応に見る「批判を許さない」日本人の思考体質

f:id:rjutaip:20190914204854j:plainNickyPeによる画像
 
 2019年9月9日に猛烈な勢いを持った颱風15号が関東地方を直撃し、死者こそ出なかったものの、交通機関の大混乱や千葉県での広域停電を齎した。
 
 このことに対するネット上の反応でたくさん見られたのが、「JR東日本東京電力の社員さんたちは懸命に復旧に向けて頑張っておられるのだから文句を言うな」「責めるのはかわいそう」「インフラのありがたみを感じろ」という声だった。
 
 例えばこれは、東電が復旧作業をしているというNHKのニュースに付いていたはてなブックマークの人気コメント。
停電42万戸余 東電 復旧見通しツイッターで順次公表 | NHKニュース

日頃お世話になってるインフラのありがたみを感じるべき場面で、あろう事か逆に復旧の遅れを責めるブコメまで出る始末。馬鹿につける薬はないね。都市の脆弱性より都市に住む人間の脆弱性の問題やで。

2019/09/11 11:32
 
 また、これは、JRの計画運休を「大失敗」と批判した鉄道評論家の冷泉彰彦氏の文章に対して付いたはてなブックマークの人気コメント。
JR「計画運休」の大失敗。台風直撃で露呈した低スキル首都・東京 - まぐまぐニュース!

事故無し&ケガ人も無し。「よくやった」でいいでしょ。

2019/09/11 11:47
JR「計画運休」の大失敗。台風直撃で露呈した低スキル首都・東京 - まぐまぐニュース!

はいはい。12時運行開始予定って案内しておいて、朝8時の時点で安全確認できていたら今度は「4時間も人の時間を奪った。もっと早く再開できたはずなのになぜそんなに待たせたのか!」っていうんだよねわかってる。

2019/09/11 13:09
 
 「JRや東電を批判するな。感謝しろ」と言う人の多さに、私はつくづく日本人には奴隷根性が骨の髄まで浸み込んでいるのだと感じた。
 
 批判はしてよいのである。批判があることで課題が見えてくるし、次回以降のより良い対策へと繋がっていくのである。
 
 「現場で作業に当たっている社員さんたちは睡眠時間たったの5時間で不眠不休で頑張っていらっしゃるんです!」と根性論を語る。
 
 批判というのは「睡眠時間5時間は長すぎる。4時間で対応しろ!」ということではない。一生懸命頑張っていらっしゃるんだから批判するな、というのは思考停止である。こういう日本人の思考体質は戦前から変わっていない。
 
「現場の兵隊さんたちは命がけで頑張っていらっしゃるんです」。
 
「失敗?そう?アメリカと日本の国力の差を考えれば充分頑張ってるほうだと思いますよ。現場では兵隊さんたちが必死で頑張っていらっしゃるのに、こんな時に感謝こそすれ批判なんかするべきではないと思います」。
 
 現代でこそ、戦時中の日本軍の作戦のまずさなどに対していろいろと批判があるが、戦時中は一切そうした批判は封じられていた。国によって封じられていただけでなく、国民自らが封じていた。
 
「なんで、私たちのためにあんなに命をかけて頑張ってくださっている兵隊さんたちに批判を向けるんだ!」            
 
 日本人の思考体質は戦時中からちっとも変わっていない。批判はしていいのである。批判をすることで問題点が見えてきて、「もっといい作戦があるんじゃないか」という風により良い方向に持って行けるのである。
 
「颱風なんだから文句を言ってもしょうがないじゃないか」
「戦時という非常事態なんだから文句を言ってもしょうがないじゃないか」
 
「ちょっとぐらいの、寒いとか暑いとかお腹空いたとか、それぐらいのことで文句を言うな!現場の兵隊さんたちはもっと苛酷な状況で働いてるんだよ!」
 
 流している汗水の量を元に批判してはいけないと言うのは根性論である。戦時中の日本軍は死に向かう間抜けな作戦を、まさに一生懸命汗水垂らして遂行していたのである。
 
 批判を向ける対象の違いというのもあるかもしれない。批判をする人たちはJR東の上層部、東電の上層部、日本軍の上層部、を思い浮かべながら批判をしている。「文句を言うな」と言う人たちは、「現場の作業員」を思い浮かべている。これからは批判をする人たちは、「JR東(上層部)」、「東電(上層部)」などと、いちいち「(上層部)」を付けて批判したらいいかもしれない。
 
 私は、この「批判を許さない」という日本人の思考体質が日本を弱くしていると思っている。戦争に負けるのも然り。サッカーワールドカップでも、監督や選手や戦略のまずさを指摘すると、「日本のチームを批判している反日分子はどこだ」となる。試合に勝ったら「日本は絶対負けるって言ってた奴どこ行った」となる。
 
 だから、日本軍も日本のサッカーもいつまで経っても弱いまま。颱風に対しても弱いまま。「あんなに一生懸命頑張ってくださってるのに、なんで責めるんだ。馬鹿につける薬はないね」と、汗水の量で批判を封じ込めてしまう日本人の思考体質が、日本を弱いままにしてしまっている。
 
 「JRや東電のせいじゃないだろ。颱風のせいだろ」、「颱風は自然のことなんだからしょうがないじゃないか」と言ってる人たちは、颱風は「自然のこと」でも電車の運行や電力の供給は「自然のこと」ではなく「人工のこと」である、ということが解っていない。
 
 より良くするために考えうるべきこともできることもたくさんあるのに、国民がこんな思考では、また次回颱風が来たときも同じように苦しむだけだろう。
 
 
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LINE Payが本命になるであろう理由

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 「ナントカペイ」が乱立している。20以上?いや、もっとありそうだ。その中でも、今のところユーザー数が多いのは、PayPay、LINE Pay、楽天ペイの3つだろう。
 
 もし、この3つの中で1つだけが覇権を握るとしたら、私はLINE Payが本命になるだろうと思う。私はLINEの回し者ではないが、以下、LINE Payが本命になるであろう理由をいくつか挙げてみたい。
 
1.使い始めのハードルの低さ
2.使える店の多さ
3.オンライン決済を押さえている
4.マーケティングの上手さ
5.給与支払いを睨んだ動き
 
 
1.使い始めのハードルの低さ
 LINEは、今では日本人のほとんどが使っているので、LINE Payは使い始めるにあたっての心理的ハードルの低さがある。
 
2.使える店の多さ
 メルペイ、au Pay、7pay、ゆうちょペイなどと比べても、圧倒的に使える店が多い。
 
 
 と、ここまではわりと普通の理由だが、LINE Payが本命になるであろう理由はこの先だ。
 
3.オンライン決済を押さえている
 LINE Payがすごいなと思うところは、流行りのQRコード決済だけ力を入れているのではなく、オンライン決済もしっかり押さえているところである。日本のQRコード決済ブームの「師匠」である中国でも、支付宝はオンライン決済をしっかり押さえている。日本人は形や見た目に捉われるので、日本ではオンライン決済は話題にすらなっていないが、いくら話題になっていなくてもそういうところをきっちり押さえているのはLINE Payはさすがだと思う。他の◯◯ペイの大半は、オンライン決済は疎かにしている。
 
4.マーケティングの上手さ
 ゆうちょペイが始まったとき、ツイッターで大々的なキャンペーンを行なった。今どき時代遅れな戦隊モノのゆるキャラを使い、「抽選で当たるかも!?」キャンペーンを実施。抽選結果をツイッターで応募してきた個々人のアカウントに報告していた。その結果、その時期にツイッター検索で「ゆうちょペイ」で検索すると、「残念ながら結果はハズレ」というツイートが何百何千と連なり、さながらスパムのような様相を呈していた。
 一方、同時期にLINE Payがツイッターでやっていたのは、「#ここがヘンだよLINEPay」というハッシュタグを使って、LINE Payの不満点、改善点をユーザーに指摘してもらうことだった。そして実際にユーザーからの要望に応えて、LINE PayをLINEアプリとは別個のアプリとして独立させた。
 さすが本業だけあって、SNSの使い方を熟知していると思った。このツイッターの使い方一つを取ってみても、LINEの巧さが際立つ。
 
5.給与支払いを睨んだ動き
 LINE Payが最近つくったサービスに「LINE Payかんたん本人確認」と「LINE Payかんたん送金サービス」がある。
 この二つは、いずれも将来的な給与のデジタルマネー支払い解禁を睨んだ動きだ。いずれもニュースとしての取り上げられ方は小さかったが、私は重要な動きと見ている。特に、本人確認は地味ながら重要で、LINE PayはNECと組んでこれを実現させている。
 給与のデジタルマネー払いが解禁されれば、会社は社員の銀行口座ではなく、LINE Payに直接、給与を送金することになる。その時に、今のうちに作っているこうした地味なサービスが生きてくる。
 
 
 と、LINE Payを褒めてばかりきたが、ひとつ疑問に思っていることがある。それは「LINEバンク」の存在だ。
 
 LINEとみずほ銀行が組んで「LINEバンク」を設立するという話がある。だがもし、給与のデジタルマネー払いが解禁になれば、会社は給与を銀行には振り込まず、社員のLINE Payに直接送ることになる。給与振込は銀行の大きな強みなので、それを奪うということはつまりLINE Payの存在は銀行の首を絞めるものになるはずなのだ。となると、LINEバンクは「給与の口座振込に頼らない形の銀行」を目指すのだろうか。
 
 ともかく、LINE Payは確実に未来を見据えている。
 
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ATMに並んでいる人

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 街なかで見かける。
 
 ATMに並んでいる人たちが気の毒だ。
 
 彼らは何を思って並んでいるのだろう。辛抱強く忍耐強く並んでいる。
 
 キャッシュレス社会に生きる未来の人たちはATMに並ばない。過去の人たちもATMには並んでいない。江戸時代の人も縄文時代の人たちもATMには並ばなかった。
 
 ATMなんかに並んでいるのは現代人だけだ。
 
 このように私が言うと、「しょうがないでしょう。私たちが生きているのは江戸時代でもなく22世紀でもなく現代なのですから。現代に生きる私たちは現代の流儀に従って生きていくしかないでしょう」と皆言う。
 
 だが、その「流儀」や「常識」はもっと簡単に変わる。百年後とか、そんな遠い未来に変わるのではない。
 
 昭和時代には、成人男性は皆タバコを吸ってるのが「当たり前」だった。職場でも飲食店でも。しかし一人の人生の間にその「当たり前」は劇的に変化し、今や吸わない方が当たり前になった。
 
 昭和時代には遠方の人にメッセージを送る時は葉書か手紙で送るのが「常識」だった。そこから電子メールが「常識」に取って変わるまで、ほんの十数年しかかからなかった。
 
 
将来の子ども「私のおじいちゃんはどうして亡くなったの?」
 
「おじいちゃんは、真夏にATMの列に並んでいて熱射病で倒れて亡くなったのよ」
 
子ども「そんなくだらない理由で亡くなったの?」
 
「まあ、そうねえ、当時はそれが普通だったから」
 
子ども「何のためにATMに並んでたの?」
 
「当時は今みたいにクレカや電子マネーで買い物ができる店が少なくてまだまだ現金が必要だったから、ATMに行ってお札を下ろす必要があったのよ」
 
子ども「じゃあ、ATMがたくさんあったの?」
 
「うん、今よりはずっとたくさんあったわね。でも、当時は銀行の経営効率化の名の下に、コストがかかるATMは急激に台数を減らされていたの。だから一台のATMにたくさんの人が並んでいたのよね。給料日とか連休前には長蛇の列ができるのがおなじみの恒例行事のような光景だったわね」
 
子ども「それで、おじいちゃんは20分も並んでて倒れたの?誰も不満は言わなかったの?」
 
「今はもう街なかでATMはほとんど見かけないし、今振り返ってみれば、ATMにあんなに長時間並んでいたのはあの頃だけだったわね。でもあの頃はあれが普通で当たり前のことだと思っていたのよ。誰もそれをおかしいことだとは思わなかった。しょうがないって思ってたわ」
 
 
 私が関心があるのは、いつだって今この一瞬のことだ。
 
 今の人は二言目には「コスパコスパ」と言う。ATMは設置と維持に大きなコストがかかると言う。銀行の経営改善、効率化のためにATMを減らしましょう、と言う。
 
 銀行は効率化するかもしれないが、人々の生活はどうなるのだ。たくさんの国民が何十分もボケーっと並んでいるのは効率が良いと言えるのか?
 
 充分にキャッシュレスで生活できる環境を整えてATMを無くすのでもない。ATMの台数を増やすのでもない。まだまだ現金を必要としている環境の中でATMの台数を減らしていく。
 
 「今は過渡期ですから」と言う。
 
 その過渡期に倒れた人の人生はもう二度と戻って来ない。
 
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西日本豪雨と熊澤蕃山

 平成30年西日本豪雨災害から一年が経つ。
 
 梅雨前線が長く停滞し、西日本の広範囲に渡って大きな被害を齎した。200名以上の人が亡くなり、家の全半壊1万棟以上、床上床下浸水3万棟以上の大災害となった。
 
 7月6日には岡山県でも大きな被害が出た。豪雨被害は、九州から始まり、西から順番に東へと移動して行ったため、順番から言って岡山県はほぼ最後の方だった。川が氾濫し、倉敷市真備町でたくさんの人が亡くなった。
 
 この災害の時に私が思い起こしたのは、約400年前、岡山の治水、治山に尽力した思想家、熊澤蕃山のことだった。
 
 岡山県という所は昔から「晴れの国」と言われるぐらい一年を通しての晴天率が高い。その一方で、一度雨が降ると水害が起こる。
 
 岡山県内には大きな川が三つあり、さらにはそれぞれの川の支流がある。中国山脈から瀬戸内海までの距離が短いため、おのずと川は急流になる。こうした構造は隣の広島県も似た感じになっている。そのため、岡山県は晴れの国であるにもかかわらず、歴史的にたびたび大きな水害に見舞われて来た。
 
 特に明治時代には大きな水害が立て続けに起こり、危機感を感じた宇野圓三郎という人が対策に乗り出した。今の岡山県の安全は、この時、宇野圓三郎が施した水害対策に負うているところが大きい。
 
 宇野圓三郎は、吉井川、旭川高梁川のような大きな川よりも、むしろ支川の方で氾濫、洪水の危険が高いということをすでに明治時代に指摘している。平成の大洪水で氾濫したのも小田川という小さな川だった。
 
 この宇野圓三郎が岡山県の人々に治水事業の重要性を説く時に口にしていたのが、江戸時代の思想家、熊澤蕃山の名だった。
 
 熊澤蕃山は江戸時代初期の頃の人。その思想は江戸時代の他の思想家の思想と比べて、国土を論じたところにその特徴がある。蕃山は国土、土木、治水といったことに関心が高かった。やがて、名君として名高い岡山藩藩主の池田光政に雇われることになり、長く岡山県に住んだ。
 
 江戸時代にも、岡山県はたびたび大水害に見舞われていた。特に承応三年の大水害は被害が大きかった。この時の大水害をきっかけに蕃山は旭川の氾濫から岡山の城下町を救うため、百間川という川を新たに“作った”。
 
 蕃山が指摘したのは、当時森林伐採が進み、山の保水力が弱くなっていることと、干拓によって水捌けが悪くなっている、ということだった。この二つによって河川の氾濫が起きやすくなっていると分析した。主著『集義外書』に次のように言う。
水上の水、流域の谷々、山々の草木を切り尽くして、土砂を絡み保留することがないから、一雨一雨に川の中に土砂が流入して、川床が高く、川口が埋もれるのである。その根本をよくしないで、末端だけのやりくりをしてはどうして成功しようか。(『集義外書』)
 行き過ぎた森林伐採によって山が一度禿げ山になってしまうと植林を進めてもうまくいかない。ふだん雨が降らない「晴れの国」であることが裏目に出て、なかなか木が育たないのだ。蕃山は藩主に進言し、山の行き過ぎた森林伐採をやめさせた。 
 
 しかし時代が経つと人々は教訓を忘れてしまう。
 
 明治時代には再び禿げ山が目立つようになり、上述の大災害が起こり、宇野圓三郎が立ち上がって、ふたたび治山治水事業を行った。宇野圓三郎は岡山の治山治水事業の大先輩である蕃山を尊敬しており、基本的には蕃山の思想を継承した対策を行った。
 
 岡山県には、江戸時代には熊澤蕃山、明治時代には宇野圓三郎がいた。そして水害とたたかい、治水の重要性を訴えた。そういう歴史があってもなお、今回の大水害を防げなかった。
 
 平成の大洪水の時は、山を禿げ山にしていたわけではなかった。真備地区は近隣の都会である倉敷市総社市ベッドタウンとして人口が増えて行った。住民の多くが昭和40年代以降に住み始めた比較的新しい街だったという。だからおそらく、そこがどういう経緯や由来を持った土地なのかという歴史を知ることがなかった。歴史が語り継がれなかった。土地の古老から歴史を聞くことがなかった。
 
 そうしたことが今回の大きな被害に繫がってしまったのだと思う。
 
 今年生誕400年の記念の年であることを契機にして、治山治水の大切さを訴えた熊澤蕃山の思想を見つめ直したい。二度とこのような悲劇を繰り返さない。そのためのヒントがきっとある。
 
 
(参考文献・サイト)
熊澤蕃山『集義外書』
宇野圓三郎『治水植林本源論』